「艦隊が直面した最も困難な対空戦の問題」:沖縄におけるアメリカ海軍と神風の戦い

NHHCが公開した、アメリカ海軍の神風との戦いを書いた論文を翻訳しました。よろしければどうぞ
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同志雪の人@活動低下 @yuki_8492

ドクトリンでは、5インチ砲は12,000ヤード以上の距離で高い比率でVT弾を使用し、攻撃機と最初に交戦した。これらの砲は、その打撃力、特殊弾薬、レーダーによる照準により、航空機に対する主要な殺傷力となることが期待された。

2022-11-26 23:44:24
同志雪の人@活動低下 @yuki_8492

40mm砲と20mm砲は3,000~3,500ヤードから一斉自動射撃と照準射撃で近接防御を行った。

2022-11-26 23:44:25
同志雪の人@活動低下 @yuki_8492

この組み合わせは1944年6月のフィリピン沖海戦で非常に効果的で、高速空母任務部隊TF58の経験豊富でよく訓練された戦闘機パイロットは、1日だけで日本空母373機のうち推定243機を撃墜し、空対空戦闘での損失は15機だった。

2022-11-26 23:44:55
同志雪の人@活動低下 @yuki_8492

TF58を守る大量の対空砲火は、CAPをすり抜けた少数の攻撃機を撃墜または追い払い、被害は戦艦サウスダコタ(BB-57)への爆弾被弾1発と数回の至近弾に留まった。

2022-11-26 23:44:55

Kamikazes in the Philippines

フィリピンにおける神風

同志雪の人@活動低下 @yuki_8492

フィリピンの日本海軍第一航空艦隊司令官、大西滝次郎中将は、TF38(ウィリアム・F・ハルゼー提督の第三艦隊所属時の呼称)の高速空母の攻撃で作戦機が40機に減少したため、大規模な特攻を開始する。

2022-11-26 23:45:37
同志雪の人@活動低下 @yuki_8492

1944年10月19日、日本海軍の20数名のパイロットが志願し、最初の特別攻撃隊を結成した。10月25日、250キロ爆弾を搭載できるように改造された零戦に乗る12人のパイロットが、トーマス・C・キンケード中将の第7艦隊を狙い、最初の集団攻撃を成功させた。

2022-11-26 23:45:38
同志雪の人@活動低下 @yuki_8492

護衛空母セント・ロー(CVE-63)を撃沈し、乗組員126名を死傷させた。

2022-11-26 23:46:58
同志雪の人@活動低下 @yuki_8492

カリーニン・ベイ(CVE-68)(7名死亡、53名負傷)、キトゥン・ベイ(CVE-71)(1名死亡、16名負傷)、サンティ(CVE-29)(16名死亡、27名負傷)、スワニー(CVE-27)(10月25日と26日に被弾、107名死亡、160名負傷)、ホワイトプレーンズ(CVE-66)(11名負傷)、に損害を与えた。

2022-11-26 23:46:59
同志雪の人@活動低下 @yuki_8492

これらは朝早くサマール沖海戦で日本の艦艇に襲撃されて生き残っていたものだった 。

2022-11-26 23:46:59
同志雪の人@活動低下 @yuki_8492

日本軍はフィリピンの航空部隊を大幅に強化し、日本陸軍航空隊は独自の特攻隊を編成した。レイテ島、ミンドロ島、ルソン島への上陸作戦の間、継続的に攻撃を行った。

2022-11-26 23:47:52
同志雪の人@活動低下 @yuki_8492

最終的にはあらゆる種類の航空機が神風攻撃に使用されたが、初期の攻撃のほとんどは、単発の戦闘機と攻撃機を使用していた。日本軍は、訓練されたパイロットを確保する必要があると考え、神風特攻隊のパイロット候補生を募集し始めた。

2022-11-26 23:47:52
同志雪の人@活動低下 @yuki_8492

1944年半ば、日本の空母航空隊はわずか2~6ヶ月の訓練しか受けていなかった。これは終戦まで続き、日本人の飛行士は平均して100時間の飛行経験を積んだだけであった。神風特攻隊員はわずか30時間から50時間の飛行訓練を受けただけであった。

2022-11-26 23:47:53
同志雪の人@活動低下 @yuki_8492

神風機3機と通常機2~3機を護衛につけ、5~6機の小集団で出撃した。接近は高高度、低高度、陸上から行われ、アメリカのレーダーの既知の弱点を突いた。

2022-11-26 23:48:46
同志雪の人@活動低下 @yuki_8492

レーダーにはアンテナの形状から、上空と低空に隙間があった。メートル波長のSK航空捜索レーダーは、海面や陸地からの反射による自己干渉を受けやすく、死角が生じやすいことが判明した。このため、目標を連続的に追跡することは困難であった。

2022-11-26 23:48:47
同志雪の人@活動低下 @yuki_8492

センチ波長のSM、SP指向性レーダーは航空捜索を行うには射程が足りなかった。

2022-11-26 23:48:47
同志雪の人@活動低下 @yuki_8492

攻撃者はまた、可能であれば戻ってくるアメリカの航空攻撃部隊を追跡し、電子的な敵味方識別(IFF)信号を詐称した。

2022-11-26 23:48:48
同志雪の人@活動低下 @yuki_8492

その結果、特攻隊員はCAPの迎撃を回避することが多くなった。特攻機もその護衛機も、アメリカの戦闘機と交戦した場合は、接触を断とうとした。戦時中の分析では、CAPは攻撃機の60%を迎撃し、撃墜するか、追い払ったと推定されている。

2022-11-26 23:49:32
同志雪の人@活動低下 @yuki_8492

1970年に行われた海軍の調査では、この数字はフィリピン作戦中の平均で45パーセントに近いとされている。水上で発見した目標への攻撃が成功する確率は約60パーセントであったが、陸上または陸上付近で発見した目標に対してはその確率を30パーセントに減少させた。

2022-11-26 23:49:33
同志雪の人@活動低下 @yuki_8492

通常、5インチ砲の射程のすぐ外側で10~15分間隊列を組んで個々の標的を選び……ときどき、追撃してくるCAPはこれを捉えることができた……生き残った神風隊は最終アプローチのために二手に分かれた。

2022-11-26 23:51:22
同志雪の人@活動低下 @yuki_8492

高高度攻撃は、太陽や雲を隠れ蓑にして、約6,000~8,000ヤード先から浅い角度(20~30度)で降下し始めた。曲芸飛行をするものもいた。彼らは1,500~2,000ヤードまで接近した後、対空砲火を回避するために速度を頼りに、回避行動をほとんどとらず、最大50度の急降下を行った。

2022-11-26 23:51:23
同志雪の人@活動低下 @yuki_8492

低高度での接近は水面を50~100ヤードでかすめる。あるものは1000ヤードまで接近してから高度500ヤードまで急上昇してから目標に急降下し、他のものは単に船の側面に直接飛び込むだけであった。

2022-11-26 23:51:23
同志雪の人@活動低下 @yuki_8492

早期警戒と厳重なCAPがあっても、目標エリアに侵入した神風は、艦上戦闘機の方向と索敵範囲、火器管制レーダーの連携不足により、しばしば戦術的な奇襲を達成することがあった。侵入してくる攻撃機は見張りやレーダーで等しく発見されたが、近すぎて効果的な警告が出せないことが多かった。

2022-11-26 23:52:16
同志雪の人@活動低下 @yuki_8492

神風と交戦した艦艇の平均射程は5,700ヤードであったが、標的となった艦艇が砲撃を開始したのは、5インチ砲の射程内、20mmと40mm機銃の有効射程に近い4,000ヤードであった。

2022-11-26 23:52:17
同志雪の人@活動低下 @yuki_8492

射程距離と反応時間の短縮は、5インチ砲とVT弾の効果を減少させた。火器管制コンピュータが急速に接近する目標に追いつけず、交戦時間が限られたため、砲弾の発射数が減少した。このため、個艦防空の負担は40ミリと20ミリの機銃座に委ねられた。

2022-11-26 23:53:04
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