メイキングオブ『「悪」と戦う』 No.8

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高橋源一郎 @takagengen

今日の予告編1 こんばんわ。そろそろですね。少しうとうとしていたら、もうこんな時間です。言ったかもしれませんが、もう何年も、この時間には熟睡していたのです。体の方は不思議がっています。慣れるまでには、まだ少々時間がかかるかもしれません。

2010-05-08 23:52:15
高橋源一郎 @takagengen

予告編2 今日は…そうですね、なにかを書く、という時、その人にとってよく知っていることより、よく知らないことの方がいい、ということについてしゃべりたいと思っています。というか、どんな痛切な経験の持ち主も、その痛切な経験をうまく書けないし、書くべきではないか、ということについて……

2010-05-08 23:55:22
高橋源一郎 @takagengen

予告編3 それはたぶん、多くの人たちにとって……ぼくにとっても……常識に反するバカバカしい意見なのですが。まあいいでしょう。続きは24時からです。それでは。

2010-05-08 23:57:06
高橋源一郎 @takagengen

メイキングオブ『「悪」と戦う』8の1 去年、ある文学賞の選考会の席で、ある作品……いや、具体的に名前を出すことにしましょう。奥泉光さんの『神器』という小説です……その『神器』をめぐって激しい議論が交わされました。『神器』を強く推すぼくのような若手(ではないのですが)作家に向かって

2010-05-09 00:02:32
高橋源一郎 @takagengen

メイキング8の2……豊かな経験を持つずっと年上の選考委員がこう言ったのです。「この人は戦争がどういうものなのかよく知らないのだ」と。まことに、実際に戦争を経験した人たちにとって、「戦争を知らない」世代が書く戦争小説には、読むに耐えぬところがあるにちがいありません。そして同じ頃……

2010-05-09 00:05:57
高橋源一郎 @takagengen

メイキング8の3……やはり、時代も内容もまったく異なる作品で、ぼくは同じような風景を目にしたのです。それは、小熊英二さんが書いた『1968』という上下で2000頁以上ある巨大なドキュメンタリーで、その本の中で、小熊さんは、1968年を中心に起こった「学生反乱」について描いたのです

2010-05-09 00:09:23
高橋源一郎 @takagengen

メイキング8の4……しかし、その本に対して、実際に「1968年」を経験した当時の若者たちは「そんなことはなかった」とか「ぼくの見たものとは違う」と言って、作者を批判したりしました。けれども「1968年」に若者のひとりであり、その本にとりあげられている一人でもあるぼくは……

2010-05-09 00:12:25
高橋源一郎 @takagengen

メイキング8の5……「小熊さんは当時まだ子どもで、なにが起こったのかを自分の体や目で確かめることできなかったろうが、それでいいのだ。直接には知らない小熊さんの書いたものの方が、直接そのことを知っている我々が書くものよりずっといい」と言って、同世代の人たちの顰蹙をかったりしたのです

2010-05-09 00:15:19
高橋源一郎 @takagengen

メイキング8の6……奥泉さんの『神器』……これは1945年頃ある軍艦の乗組員が現代にタイムスリップするという、真剣な戦争小説を念頭に置いて考えている人たちを逆撫でするような作品なのですが……に対しても、ぼくは「まだ生まれていなかった彼こそ戦争を描く資格がある」と言いたかったのです

2010-05-09 00:19:51
高橋源一郎 @takagengen

メイキング8の7……ぼくがそのように言うと……戦争を体験した人より、未経験の奥泉さんこそ戦争を書くべきだとか、「1968年」の参加者より、その頃子どもだった小熊さんこそ、あの時代を描くのにふさわしいとか、言うと、「あいつはまた変なことを言っている」と思われてしまうのです。

2010-05-09 00:23:02
高橋源一郎 @takagengen

メイキング8の8……ぼくは今年で59歳になります。この歳になると、絶対に口外できないこと、墓場まで持ってゆくことになるだろうというようなことだっていくつもあります。そこまで行かなくとも「他人には理解できにくいだろう痛切な経験」だって一つや二つではありません。そして、いつかは……

2010-05-09 00:27:24
高橋源一郎 @takagengen

メイキング8の9……書いてみたいと、他の誰でもなく、ぼくこそが書くべきであると思いこんできたのです。そして、ぼくが書こうとしていることに近いところで書こうとしたり、同じような内容のことを誰かが書こうとすると、「なにもわかってないくせに!」などと呟いたりしていたのです。だがある日…

2010-05-09 00:30:46
高橋源一郎 @takagengen

メイキング8の10……ぼくは愕然としたのです。「いやはや、ぼくは、戦中世代が、ぼくたちに対して、『戦争を知らない連中だ』などと言うのと同じことを言ってるじゃないか!」と。ぼくは、自分の経験、自分の痛切な経験を、自分の「正しさ」を疑っていませんでした。そして、なにか「権利」でもある

2010-05-09 00:34:36
高橋源一郎 @takagengen

メイキング8の11……と思い込んでいたのです。もう少しだけ、具体的に話しましょう。1960年代の末頃、政治闘争がもっとも激しかった頃、ぼくはその熱い場所、その近くにいました。何人かの学生たちが死んだり、殺されたりする現場にいたのです。そして、ぼくは愚かにも「ぼくは知っている」と…

2010-05-09 00:38:25
高橋源一郎 @takagengen

メイキング8の12…思ったのです、いや「ぼくは見た」とか「ぼくにはしゃべる権利がある」と思ったのです。そして、何年も(、「いつかは書かねばならない」と思い、さっきもつぶやいたように、あの季節や事件について触れるものを目にすると、「あの現場にいなかったくせに」と舌打ちしたのです……

2010-05-09 00:41:32
高橋源一郎 @takagengen

メイキング8の13……だがある日、ぼくは気づいたのです、ぼくにとっていちばん大切なのは「自分の正しさ」だったのです。あることを、ある歴史を、ある事件を正確に描きたい、のではなく、「あの現場にいた自分だけが語る資格がある」ことを他人に認めてもらいたかったのです。そして、誰かが……

2010-05-09 00:45:38
高橋源一郎 @takagengen

メイキング8の14…その現場に近づくと「しっしっ、あっちへ行け、権利があるのはぼくなんだ」と言うのです。確かに、「現場」にいた人間には「おれが見た」という権利がある。しかし、その権利は、いつか、自分以外に現場に近づく人間を排除するようになるのです。ぼくは、それを「正しさの呪縛」と

2010-05-09 00:48:55
高橋源一郎 @takagengen

…呼ぶようになったのです。ぼくは結局、ぼくの「痛切な経験」を書かないでしょう。いや、書けないでしょう。ぼくもまた自分の「正しさの呪縛」に陥り、「完全に正確でなければ書く意味がない」と思い込んでいるからです。つまり、ぼくこそが、ぼくの経験の再現の、真の「敵」だったのです。

2010-05-09 00:51:32
高橋源一郎 @takagengen

メイキング8の16…だから、ぼくは、『1968』が、その経験者たちから「事実と違う」と批判された時「事実と違うからいいのだ。堂々と間違うことができるからこそ価値があるのだ。細部になにがあったのか最終的には再現することが不可能であることを知っているからこそ素晴らしい」と言ったのです

2010-05-09 00:54:29
高橋源一郎 @takagengen

メイキング8の17…「現場」にいるのは誰でしょう。ぼくたちひとりひとりにとって。そう、ぼくたちにとって、「私」こそが、最初で唯一の「現場」です。そして、その「現場」のことは、自分しか知らないのです。だからこそ、我々は、小説の中で、様々な表現なことで、唯一無二の「私」と書くのです。

2010-05-09 00:57:14
高橋源一郎 @takagengen

メイキング8の18……だとするなら、「私」こそ唯一の「現場」だとするなら、「私」たちは、誰も、他の「私」、すなわち「彼」や「あなた」のことを書くことはできません。ほんとうに正しく「彼」や「あなた」のことを知っているのは、あるいは書けるのは、当人だけなのですから。それにもかかわらず

2010-05-09 00:59:27
高橋源一郎 @takagengen

メイキング8の19…ぼくたちは、他の「ぼく」について書こうとします。「正しく」書けるはずもなく、その権利もないのに、なぜ、ぼくたちは、他の「ぼく」について書こうとするのか、そして、そのことを、小説は、その表現の根幹に置くのか。それは、小説が、「正しくあろう」とするのではなく……

2010-05-09 01:01:41
高橋源一郎 @takagengen

メイキング8の20……「間違いがあろう」と、いや「必ず間違うであろう」と確信しながら、それよりも「他の『ぼく』と繋がること」を最大の使命としているからです。「ぼく」のことは他人が書けばいいのです。そしてそれは間違うでしょう。いいじゃありませんか。それより大切なことがあるのですから

2010-05-09 01:04:11
高橋源一郎 @takagengen

メイキング8の21…小説は、様々な「ぼく」が、他の様々な「ぼく」を誤解しつづけた歴史のようなものです。ぼくが、そんな小説を、なにより好むのは、「正しさの呪縛」から抜け出すやり方を教えてくれるからです。いわく「愛せよ」と。今晩はここまで。ご静聴ありがとうございました。

2010-05-09 01:07:11