(承前)死刑停止は、時の法務大臣の恣意、善意、お情けに頼ってきた。千葉元法務大臣の執行命令はショックだったと同時に、やっぱりなと思った。革新・民主主義者も容易にファシストになることは、とりわけ1930年代、ドイツのコミュニストたちの変貌が証明している。
2011-10-09 01:10:44(承前)しかし日本は、今ほどファシストにとって成熟した空気のできている時はないだろう。ふくいちのメルトダウンよりも恐ろしい事態だ。死刑廃止運動家の多くは千葉大臣に激しく反撥したが、「結局は誰かがやっただろう」という声もあった。そこを正していかなくては。
2011-10-09 01:11:29昨日の講演録(抄)ツイート、いよいよ後半、核心です。一昨日、つまり講演の前日、夜中に辺見さんに匿名の電話があったそう。「大震災と死刑の問題を結びつけて語るのは、死者に対する冒瀆だ」。相手は予め内容を知っていたようだ。つまり講演をやめろという脅迫だった。
2011-10-09 11:03:41(承前)その脅迫電話が表していたのは、この国にある古くからの情念。死刑になじむ情念。つまり死刑の死者は「汚らわしい」、一方で震災の死者は「神聖である」というタブー。そのタブーを破るのは涜神である、というセンチメントがある。
2011-10-09 11:04:46(承前)もちろん会場内は違う。だが一歩外に出れば、口先では死刑に反対していながら、執行されても屁とも思わない人々ばかりだ。死刑が執行されても平気で飯を食い、セックスをする。「おもわない」限りはそうだ。
2011-10-09 11:05:41(承前)確定死刑囚とは、アガンベン(哲学者)のいう「ホモ・サケル」といえよう。社会的権利を奪われ、生物学的権利のみを与えられたローマ時代の奴隷。かれらに「おもえ」は否定されている。アガンベンはそういう生のあり様を「むきだしの生」と呼んだ。彼は、ローマにだけでなくそれを現在に見る。
2011-10-09 11:06:44(承前)だが同じく棄民のような存在はこの日本にいるではないか。被災地に行けば分かる。現実はNHKが伝えるようではない。第一真理の「われおもう、おもうわれ」は、例外状態でも可能なのだ。執行前の死刑囚にだって。かれらに貴賤があってはならない。
2011-10-09 11:07:21(承前)まずもっと人をあらしめよ。存在させろ。こんなに死んだのだ。執行することはない。かれらをしてあらしめよ──こんな単純なことを半年以上かけて考えた。肌で予感するものが多くなった。
2011-10-09 11:07:48(承前)歴史はきれいな結節点ではなく、大きく曲がりながらゆっくりうねっていく。アダム・スミスの「見えざる手」などありゃしない。投機マネーという虚が実体経済を殆ど支配し、思考でもシミュラークルが支配する。人間は市場の奴隷である。
2011-10-09 11:08:15(承前)五月のビン・ラディンの殺害は「低強度戦争」といえる。つまり法律を守る必要のないローコストの戦争。それはたえず起きている。
2011-10-09 11:08:32(承前)荒ぶる神による風景は、これからも起こる。私には十分自信がある。世界大崩壊時代、 性質の違う大地震、災厄が続く。日本の熱帯化、デフォルトの連鎖、国家の破綻、システムのダウン、テロの頻発、低強度戦争の日常化・・・そして核爆発。パキスタンの核管理はゾッとするようなものだ。
2011-10-09 11:09:01(承前)1990年代前半の欧州で50年後の世界を予測する番組を見た。欧州では暴動が拡大し、暴徒がビッグベンへ押し寄せ警察が撃つ。中国は三つの政府間で内戦が起きている。米大統領はヒスパニックでホワイトハウスにペンペン草が生えている。日本は中国から難民が押し寄せ、軍国主義化している。
2011-10-09 11:49:25(承前)震災後「方丈記」が読まれているが、あの本が教えるのは常住のものは何もないという無常観。われわれには歴史がなく、「流れ」だけがあるのではないか。非歴史的歴史はあるが、みずからたたかって打ち立てていく歴史はないのだ。
2011-10-09 11:50:14(承前)1945年3月10日について書かれた堀田善衛の「方丈記私記」。東京大空襲は3.11を遥かに超えるホロコーストであり、実時間内に発言したものではないが、大変学ぶべきとこが多い。堀田が書いていることは何か。
2011-10-09 11:50:41(承前)①日本の全てが破壊されたが、平べったくなった爽快感がない訳ではない。②天皇から二等兵まで全部難民になってしまえば、階級社会がなくなるという新しい未来が夢想されている。③政治利用された無常観を「俗無常観」と名づけ、戦争や特攻隊にアプリオリな諦観として利用されたと見抜く。
2011-10-09 11:51:40(承前)この「どのみち人の命ははかない」という俗無常観が政治利用されることで、私たちは歴史を打ち立てようとせず、歴史に流され続けてきた。しかし現在こそ末世末法であり、明日なき今、自覚的に生きざるをえない。「おもえ」に戻るしかない。だか堀田の主張は尻すぼみである。日本文学の限界だ。
2011-10-09 11:52:03(承前)人は生きる間は、生きるための存在である。死が生の中軸となるよう政治は動いてはならない。それは死刑制度そのものだ。根底から反対したい。
2011-10-09 11:52:23(承前)今年7月3日に読まれた句がある。「暗闇の陰翳刻む初蛍」。俳句は読む側も最大の想像力を必要とするが、螢は北限は岩手か青森であることを思うとここでは福島の螢が想定されているかもしれない。フクシマの放射能に汚された螢ではないか? だが作者は30数年間、螢を見ていない。
2011-10-09 11:53:12(承前)なぜなら作者は死刑囚だから。そして病んでいる。だが彼はcogito(おもうこと)をした。独居房で、放射能の波動のように明滅する螢を一つ「おもった」のだ。「おもった」彼を殺していいのか?(講演抄録終わり)
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