辺見庸さんの講演会2011/10/08

河津聖恵さんの講演抄録ツイートをまとめました。「それでも死刑は必要なのかー3.11の奈落から考える」より
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河津聖恵 @kiyoekawazu

2時からの牛込箪笥区民センターでの辺見庸さんの講演会、すでに満員御礼。

2011-10-08 13:41:24
河津聖恵 @kiyoekawazu

今日の辺見庸講演「それでも死刑は必要なのかー3.11の奈落から考える」は、期待通り濃密な一時間半だった。会場は超満員、入れなかった人はロビーでライブ。辺見さんの言葉は、私達が感じていた言葉に対する虚しさや不信感を言い当てることで鋭く貫き、私の胸底にも確かに差し込んできたのだった。

2011-10-08 18:26:37
河津聖恵 @kiyoekawazu

承前)以下講演で語られた内容から。「3.11に一体何が起こったのか、誰も語りえていない。数字や美談だけが次々と突き付けられるが、危機の本当の深さと意味を語る言葉はない。私達が欲しているのは、ナショナルヒストリーでメモリーでもない。個としての危機の深さと意味を語ろうとする言葉だ。」

2011-10-08 18:42:16
河津聖恵 @kiyoekawazu

(承前)3.11には小さな私の内面では捉えきれない強度と重さと性質があり、人間の想像力、表現力を超える無限の波及力があり、個々の内面には収め切れない。言葉はすでに瓦礫の中に捨てられているが、拾い上げ洗う人はいない。今の状態を納得出来る言葉が欲しくて、反射的に詩を書いた。

2011-10-08 18:53:59
河津聖恵 @kiyoekawazu

承前)しかし勿論満足はせず書けなくなった。もやもやした白い霧のようなものが体に立ち込めている。光はもとの光ではないし、影だってそうだ。今飛び交うのは3.11以前の言葉。それは3.11の深みに全く合っていない。

2011-10-08 19:07:12
河津聖恵 @kiyoekawazu

承前)もしパウル・ツェランの詩のような言葉に耳を傾ける社会だったら。ツェランの詩はファシズムを暗に描くが、言葉の底力、喚起力を感じない訳にはいかない。この位の不安感がある方が身を処しやすい。危機の深さを体の芯で感じる方が大事である。

2011-10-08 19:17:56
河津聖恵 @kiyoekawazu

もうすぐ京都なので、講演報告ツイート一時中断。

2011-10-08 19:21:58
河津聖恵 @kiyoekawazu

承前)3.11以後死と終わりの風景が間違いなく剥き出されてきた。なぜ見えなくし、美化するのか?  3.11以前の言葉や文化で真っ暗な陥没部分を埋められるはずかない。

2011-10-08 20:22:23
河津聖恵 @kiyoekawazu

承前)狂気と正気、過去と未来の境界が曖昧になるにつれて、抑鬱状態が進んでいる。ここ迄生きてきて初めてのことだ。

2011-10-08 20:27:35
河津聖恵 @kiyoekawazu

承前) 人は知的であることから逃れられない、とは、近代による人の位置付けだった。だがそうだろうか?  それは人というもの美化ではなかったか? 実際は人はいくらでも知から逃れられる、無知と戯れうる。

2011-10-08 20:32:37
河津聖恵 @kiyoekawazu

(辺見庸講演続き)故郷石巻。自分の感官の大半はここで作られた。体の芯に鉄棒のように入っている記憶がある。馬のような顔をし、背筋をピンと伸ばし頬骨の張った男タカハシ、私の恩師。 狂気か怒気か淋しさかどこかげびた感じと高潔さを合わせ持つ、眼に慈しみの見えない皆に恐れられた男。

2011-10-09 00:21:08
河津聖恵 @kiyoekawazu

(承前)タカハシはいつも群れから離れて立っていた。ある時クラス討論で何も議論しようせずボーッしたままの生徒達にタカハシは絶叫した。「おもえー!!」。 硝子が割れるような声。こんな命令形は今も聞いたことがない。鏡面のように海は輝いて。50年後こんな奈落が起こるなど予想もできない程。

2011-10-09 00:23:14
河津聖恵 @kiyoekawazu

(承前)「おもえ」は「想え」か、「思え」か。思惟? 思弁? 予感? 半世紀、これを頭の中でいじくったり敷衍したりし続けている。恐らくタカハシが言う限り、それは「ひきうつす」ではなく、「自分で考えよ、言葉にせよ」である筈。それ以来「一人で立つ」「離れて立つ」ことをずっと考えてきた。

2011-10-09 00:25:36
河津聖恵 @kiyoekawazu

(承前)3.11以後、あれこれ狂おしく考えるが、「おもえ!!」に関連して少し思い至った言葉がある。「おもえ」とは、哲学の第一真理ではないか? 法律や人権以前の〝原真理〟ではないか? 一切の事物の自明性を疑った果ての、人としての始点=cogitoでは? 

2011-10-09 00:26:17
河津聖恵 @kiyoekawazu

(承前)震災以来こだわり続けている。すべてをはぎとられたあとの原真理としての「おもうこと」。「自分の頭でおもうこと」皆と一緒にナショナル・ヒストリーを作る必要はない。原真理に立ち戻らなくてはならないだろう。

2011-10-09 00:26:56
河津聖恵 @kiyoekawazu

(承前)原真理=cogitoは、いわゆる良民や市民や金持や教養人などだけに許されているのでなはない。人殺しや強盗などにだって許されている。裸の真理=cogito。死ぬまでは生きる他ない。生きる限りは「おもう」他ない。どんなつまらないことでも。

2011-10-09 00:28:07
河津聖恵 @kiyoekawazu

(承前)cogitoによって言及されるもの、対面させられるものとは、単純に言えば「生きている」ということ。どんな些細で愚劣なことであれ、「おもい」つづけること。「おもう」主体が生きているということ。

2011-10-09 00:29:31
河津聖恵 @kiyoekawazu

(承前)〝corps〟は、ラテン語で「死体」、「中身のない抜け殻」。死体とは「おもわないもの」だ。「おもわず、ただ他によっておもわれるもの」。「cogitoしないもの」。「ゆくりなくモノ化されてしまうもの」。「言葉を奪われたもの」。

2011-10-09 00:30:42
河津聖恵 @kiyoekawazu

(承前)私にはたくさんのcorpsの記憶がある。頭の中の浜辺に並べてみる。「死者にことばをあてがえ」という詩を書いた。全部のcorpsにそれぞれ違う言葉をあてがえということだが、しかし言葉を奪われたものが死体であるとすれば、「生きた死体」というものもありうるのではないか?

2011-10-09 00:31:38
河津聖恵 @kiyoekawazu

(承前)「何もおもわないもの」はcorpsになぞらえていいのではないか? タカハシの「おもえ!!」は「生きた死体になるんじゃない!!」だったのではないか。ただの腹立ちまぎれの叫びだったかもしれないが、その瞬間の単純な命令形は、どんな複雑な言葉よりも、言葉が生きていた、立っていた。

2011-10-09 00:32:41
河津聖恵 @kiyoekawazu

(承前)3.11とは何だったのか? ①cogito ergo sumを手もなくなぎ倒し否定した。②モノ全般をなぎ倒し、これ以上ないであろうabstract artを現出させた。芸術、宗教、技術の全的否定=神話破壊。③現在という書き割り的な時空間があっけなくめくりかえされた。

2011-10-09 00:52:18
河津聖恵 @kiyoekawazu

(承前)そして④は、時間的連続性が奪われたこと。私は何を約束できるだろうか。明日は今日の続きという連続性が内面で断たれている。しかし最も断たれたら困るのは①の原真理だ。人間存在の根幹に関わるからだ。

2011-10-09 00:53:03
河津聖恵 @kiyoekawazu

(承前)3.11のおびただしい死と喪失のただ中で死刑判決があった。激しい違和感と怒りを覚える。裁判員裁判で6例目の判決だった。すでに2例が確定している。世間の感情を背景とした乱発ではないか。

2011-10-09 00:55:15
河津聖恵 @kiyoekawazu

(承前)よしんば法理論上適法であるにせよ、明日人類が滅びる時に死刑を執行することは、根底の哲学に照らすと、賢いのか、それとも途方もなく愚劣なのか? だが戦争など緊急状態で死刑は控えられるのではない。逆に社会は暴力化する。

2011-10-09 00:56:24
河津聖恵 @kiyoekawazu

(承前)明日人類が滅びる時に死刑を執行することは、もちろん最も愚劣である。今確定死刑囚は121人で戦後最高だが、産経新聞などメディアは早くやれといわんばかりだ。121人を絞首刑していないことが、生活に何か支障があるかのごとき報道だ。

2011-10-09 01:07:51