「実存は本質に先立つ」 されど、秘蹟の価値は…?

「実存は本質に先立つ」というのは「神や秘蹟。霊性や聖性の否定」というよりは、「エピステーメーとして教条化し現実とズレてしまったドグマを否定する」ということだろうけど、、   では、ドグマチックに現実からずれたものではないリアリティとして聖性や霊性がある場合、例えばアーティストなんかは聖性に近いものを感じてたりするけど   続きを読む
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山下 健吾 @kengo_yamasita

ただ、教会所属の問題と家庭(性道徳)の問題は今の教会のボトルネックだと日々感じる。

2011-10-10 20:35:30
山下 健吾 @kengo_yamasita

下記二つの問題に共通するのは信仰の内在化と個人化・・・アイデンティティもでるの信仰理解、内在的超越、実存で神の神秘を捉えるのはいい加減限界がある。霊性と道徳が分離されたりだとか碌なことにならない。

2011-10-10 20:38:11
服部弘一郎(聖書&キリスト教ナビ) @bible_go

受洗の有無ではなく個人の内面の信仰をもって「クリスチャンか否か」を決めることと、受洗しているクリスチャンに対して「あの人は本当のクリスチャンじゃない」とか「あの人の信仰は偽物だ」と裁くことは並行関係にあったりして……。

2011-10-10 20:45:53
山下 健吾 @kengo_yamasita

@bible_go  洗礼の秘跡や叙階の秘跡のおかげで助かってる部分が随分あるとは思うのですが、あんまし認識されないのが悲しいところです。

2011-10-10 20:47:47
山下 健吾 @kengo_yamasita

秘蹟における一致がなければ教会を刷新するたんびに教会を分裂させないといけなくなる。ある意味、教会から秘跡を抜いたらどうなるかを見せてくれてるのがプロテスタントの諸教会だとは思う。

2011-10-10 20:48:59
finalvent @finalvent

現象学というのは、「本質とはなにか」から考えるのは、ひとますやめよう、ということではないかな、簡単に言うと。

2011-10-11 06:57:53
finalvent @finalvent

ベルクソンなんかは、思考そのものが、realityに向かう運動と見てる。

2011-10-11 06:59:01
finalvent @finalvent

ヘーゲルは本質論、まさに。

2011-10-11 06:59:32
finalvent @finalvent

現象だの本質だのというのは、世界理解のコミュの問題に過ぎないのではないか。

2011-10-11 07:00:52
finalvent @finalvent

独我論からは、よって、本質も現象もさほど意味はない。

2011-10-11 07:01:48
finalvent @finalvent

独我論は、言語によるために、コミュの問題が混じってこんがらがる。我とは言語像のように見えるからだ。

2011-10-11 07:03:27
m_um_u @m_um_u

本質は神の問題だろけど、現象として神もしくは霊性を感じてる人とそれが現象ではない(言語によって理解)な人とではズレあるわなぁ

2011-10-11 07:05:13
finalvent @finalvent

ヴィトゲンシュタインが私的言語の議論で示唆するように、「我」というのは、コミュを外れた言語像に過ぎない。

2011-10-11 07:05:27
m_um_u @m_um_u

粉ちゃんがいってた「実存で神の神秘を捉える」ってのはよくわかんなかったんだけど http://t.co/j2e3Tkfs 言語によって実存と思えるものからズレが生じてる人はなんとなくいる感じだからそういった意味での「実存」って言い方だったのかな。アイデンティティというか

2011-10-11 07:07:57
finalvent @finalvent

結局、「私」が身体を持ち感覚しているのに、しかも他者とは通じないってなんなのさ、というのが、疑問なら大問題。他者なんかどうでもいいよ、俺は俺を抱えてくたばるだけ、と腹からわかれば、哲学終了。

2011-10-11 07:08:45
m_um_u @m_um_u

実存なんか他人意識して「正しい行い」とか「良い人」するものでもないのにな。だから自分に正直であれば社会的に悪でもいいと思うんだけど、そこで理趣会の誤解的問題が生じるのか。

2011-10-11 07:11:17
finalvent @finalvent

臨済録とか読むと、やたら殴りまくってるのは、その痛みの確実性と、痛ませる他者の受容を示唆するからなんだろうな。

2011-10-11 07:14:16
finalvent @finalvent

悟りなんて糞はさておき、禅の、独特な優しさは、あの人への関与の徹底性にあるな。

2011-10-11 07:15:47
m_um_u @m_um_u

エゴを追求してった結果、他者や弱者を助けていく機構というのは道徳ではなく囚人のジレンマなアレなのかなっていまのところの理解だけど、視野狭窄的にエゴ追求するところから長期的視点で協力→協働の恩恵を受けるところにシフトする機構がいまひとつ納得でけん。1/20ぐらいの確率ってことだけど

2011-10-11 07:16:06
ミシェル・フーコー @M_Foucault_jp

〈道徳〉の歴史を一つ書こうとするだけで、この語の覆う様々に異なった現実を考慮に入れなくてはならない。つまり、それは様々な〈道徳性〉の歴史であり、個人なり集団なりが、それぞれ違う決定の機構を通して提示される規則や価値に、どの程度順応するかしないかを研究する歴史である。-快楽の活用-

2011-10-11 18:35:31
Toru Takahashi @torux

学問、即ち知的生産とは、日常的に数多経験する現実存在の中から、本質存在と呼ぶに相応しいと直感する、一般性の高い存在論的構造を発見し公知する作業である。この意味で本質の探求は学問の本質であり、科学における普遍性は本質の一形態。本質に先立つ実存の探求もまた、実存共通の本質を探る学問。

2011-10-11 19:27:00
ミシェル・フーコー @M_Foucault_jp

根底において、現象学者の経験とは、それがどんな対象であっても生きられた一対象の上に、或いは過渡的な形式における日常的なものの上に、反省的な眼差しを向け、それらの意味作用を把握する一つの仕方である。-M・フーコーとの対話-

2011-10-12 10:35:39