除染・放射能汚染: チェルノブイリを震災復興特別委で柿沢未途衆議訪問

更新: チェルノブイリ見学後、“原発事故発生当時に発電所で働いていた今や数少ない生き証人の一人”、ホローシャ非常事態省立入禁止区域管理庁長官はじめ、その他に放射線測定の専門家のタバチニー中央地球物理観測所副所長、ボリシュク最高会議災害除去等委員会事務局長(国会の担当委員会職員)とのヒアリングを追加。 事故から25年にあたりまとめられた国の報告書、詳細な汚染マップとその電子版を前に、取り組まれた除染、その結果…など、貴重なこれまでの歩みをウクライナの方々がシェアしてくださった。
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柿沢未途 衆議院議員(江東区・東京15区) 自由民主党 @310kakizawa

石棺周辺では作業員500人が今も作業に従事。86年の事故時に「リクビダートル(原発事故処理作業員)」を無制限に投入した間違いを繰り返さぬよう、年間20mSv以下に被曝管理。作業は今も20-30分交替で行なっていると。 http://t.co/a5L9CwZ1

2011-10-15 23:41:44
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柿沢未途 衆議院議員(江東区・東京15区) 自由民主党 @310kakizawa

石棺展望パビリオンの女性職員、この仕事を20年しているが、健康に問題はないと。事務員は年1回、作業員は毎日、ホールボディカウンターで測定を受けているそうだ。写真の迷彩服を着ているのが作業員、迷彩服だが軍人ではなく民間人。 http://t.co/cUaqkGcc

2011-10-15 23:43:30
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柿沢未途 衆議院議員(江東区・東京15区) 自由民主党 @310kakizawa

午後はプリピャチ市に行くが、その前に昼食。何とチェルノブイリ発電所の「社員食堂」で食べる事になった。入口には体表の放射線測定装置が。 http://t.co/SEYDioD1

2011-10-15 23:44:35
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柿沢未途 衆議院議員(江東区・東京15区) 自由民主党 @310kakizawa

14時近くなっていたので、お客さんは他にはおらず。写真が「チェルノブイリ定食」、酢漬けの野菜、ジャガイモとセロリのスープ、鳥のフリットとマッシュポテト。デザートにはクレープが。 http://t.co/eatZBSKp

2011-10-15 23:45:38
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柿沢未途 衆議院議員(江東区・東京15区) 自由民主党 @310kakizawa

チェルノブイリ発電所を離れ、プリピャチ市へ。原発で働く作業員や技術者、研究者のために作られた人工の街。市内に入る看板には“1970”の文字。3号炉が完成した1970年に建設開始した街である事を示していると。 http://t.co/GqhXbBv1

2011-10-15 23:47:50
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柿沢未途 衆議院議員(江東区・東京15区) 自由民主党 @310kakizawa

発電所の(北東)、プリピャチ市に向かう沿道、この辺りは「錆び色の森」と呼ばれ、非常に高い放射能のプルーム(気団)が通ったところとして知られる。当時の森の木々は全て伐採されたという。 http://t.co/86NOvQ4e

2011-10-15 23:48:52
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柿沢未途 衆議院議員(江東区・東京15区) 自由民主党 @310kakizawa

チェックポイント。発電所から3kmのプリピャチ市は、現在、24時間体制で立入管制が敷かれ、チェルノブイリ発電所とは別の立入許可がないと入れない。市内には墓地があり、元住民は年に1回、5月のお墓参りの時期に立入を許されるそうだ。 http://t.co/njp8g9ec

2011-10-15 23:51:00
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柿沢未途 衆議院議員(江東区・東京15区) 自由民主党 @310kakizawa

避難により廃市となり、無人の街となった。25年間の歳月で草木も伸び放題。 http://t.co/tI6SrZkB

2011-10-15 23:54:06
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柿沢未途 衆議院議員(江東区・東京15区) 自由民主党 @310kakizawa

プリピャチ市、中心市街地。左はスーパーマーケット、右はホテル。真ん中に広場があり、広場はバラの花でたいそう美しかったのだそうだ。 http://t.co/Nhyysd30

2011-10-15 23:55:07
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柿沢未途 衆議院議員(江東区・東京15区) 自由民主党 @310kakizawa

広場で空間線量を測定。1.45μSv/h。低いようだが、線量を確認して低い地点だからこそ見学者の立入が許されているのだそうだ。 http://t.co/FsG6hYl2

2011-10-15 23:55:50
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柿沢未途 衆議院議員(江東区・東京15区) 自由民主党 @310kakizawa

プリピャチ市、5万人の人口がいたが、事故直後に全住民が「一時避難」。「3日分の荷物だけ持って」と指示され、慌ててバスに乗って逃げたが、結局、そのまま帰還できなくなってしまった。その後の家財道具の持ち出しも禁止されているそうだ。 http://t.co/18yyBFPd

2011-10-15 23:57:41
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柿沢未途 衆議院議員(江東区・東京15区) 自由民主党 @310kakizawa

木々の成長は私達が思っているよりもずっと速い。25年前、プリピャチ市がまだ華やかなりし頃、この地点からチェルノブイリ発電所のプラントが見えていたそうだ。当時を知らない人にはその頃の様子をイメージする事も難しい。 http://t.co/MQFuj5Uh

2011-10-15 23:58:35
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柿沢未途 衆議院議員(江東区・東京15区) 自由民主党 @310kakizawa

プリピャチ市は放棄され、元住民の大半は新しく建設されたスラブジチ市へ移住。映画「チェルノブイリ・ハート」の後半、「ホワイトホース」というドキュメンタリーは、プリピャチ市育ちの青年が、幸せだった頃のアパートメントの一室を初めて再訪 http://t.co/IBQnp7ap

2011-10-15 23:59:16
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柿沢未途 衆議院議員(江東区・東京15区) 自由民主党 @310kakizawa

日付が変わりました。が、チェルノブイリ報告、続きます。実はここからのレポートの方が大事な部分もあります。引き続き、お付き合いください。

2011-10-16 00:05:03
柿沢未途 衆議院議員(江東区・東京15区) 自由民主党 @310kakizawa

プリピャチ市を離れ、10km地点のチェックポイント。係員がガイガーカウンターでバスのタイヤを測定。問題なかったようで、ゲートのバーが上がる。 http://t.co/33HF7KOT

2011-10-16 00:08:36
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柿沢未途 衆議院議員(江東区・東京15区) 自由民主党 @310kakizawa

今度は30km地点のチェックポイント。ここでは一旦バスを降り、「チェルノブイリ社員食堂」の時と同じ放射線測定装置に身を通す(測定装置の写真は前のTweet参照)。30km地点の空間線量は0.07μSv/h。やはり低い。 http://t.co/P6Qxhb4c

2011-10-16 00:11:25
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柿沢未途 衆議院議員(江東区・東京15区) 自由民主党 @310kakizawa

立入禁止区域の30km圏内から離脱。左右に美しい牧草地が広がる。馬や牛が放牧されている。雨も上がって、本当に美しい風景。こうした風景が30km圏内にも広がっていたのだろう。「原発さえなければ…」とやはり思わせられる。 http://t.co/j5z2FMNu

2011-10-16 00:13:18
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柿沢未途 衆議院議員(江東区・東京15区) 自由民主党 @310kakizawa

チェルノブイリから100km、キエフに戻り、ホローシャ非常事態省立入禁止区域管理庁長官、放射線測定の専門家のタバチニー中央地球物理観測所副所長、国会の担当委員会職員であるボリシュク最高会議災害除去等委員会事務局長とのヒアリング兼 http://t.co/h81LSHPi

2011-10-16 00:17:32
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柿沢未途 衆議院議員(江東区・東京15区) 自由民主党 @310kakizawa

ホローシャ立入禁止区域管理庁長官、原発事故発生当時に発電所で働いていた今や数少ない生き証人の一人でもある。事故から25年にあたり発刊された国の報告書、詳細な汚染マップとその電子版を持ってきてくれた。 http://t.co/W2Gbl1Lt

2011-10-16 00:18:45
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柿沢未途 衆議院議員(江東区・東京15区) 自由民主党 @310kakizawa

除染に関して、前日のヒアリングで当時の非常事態省副大臣プリステル氏からその有効性と費用対効果を疑問視する発言があった。出席議員「30km圏内の除染はどのくらいやったのか?」ホローシャ氏「除染を行なったのは3つ。原発周辺、プリピャチ市、道路等の交通網だ」

2011-10-16 00:21:28
柿沢未途 衆議院議員(江東区・東京15区) 自由民主党 @310kakizawa

ホローシャ氏「原発は発電継続を予定していたので、周辺の徹底的な除染をやった。プリピャチ市は当初は住民を帰還させる予定だったので一定の除染を行なったが、半減期の長いプルトニウム等が検出され、放棄を決定した。交通網については、道路はアスファルトを敷き直し、また車の除染所を設置した」

2011-10-16 00:22:45
柿沢未途 衆議院議員(江東区・東京15区) 自由民主党 @310kakizawa

出席議員「30km圏内に住民を戻すための除染はやっていない?」ホローニャ氏「プリピャチ市以外ではやっていない」タバチニー氏「88年までは住民は帰還の方針でモニタリングを行なった。しかし88年に帰還不能と判断。判断の前提には2年半に及ぶモニタリングによる測定データの蓄積があった」

2011-10-16 00:24:04
柿沢未途 衆議院議員(江東区・東京15区) 自由民主党 @310kakizawa

出席議員「避難区域の設定プロセスは?」タバチニー氏「事故直後の4月末の段階ですでに30km避難を決定。5月8日までに区域内の全員避難と。さらに6、7月のモニタリング結果に応じて対象地域を一部30km圏外に拡大。ジトーミル州の55km、90km地点の2つの村を強制避難の対象に

2011-10-16 00:26:07
柿沢未途 衆議院議員(江東区・東京15区) 自由民主党 @310kakizawa

タバチニー氏「一方、30km圏内であっても測定値の低い2つの村については、8月に例外的に帰還を認める決定をした」出席議員「帰還不能の判断は?」ボリシュク氏「最終的な判断は86年5月末から6月初旬にかけてのソ連邦決定だった。避難住民にキエフ又は希望地に住宅を与える決定をした」

2011-10-16 00:26:51
柿沢未途 衆議院議員(江東区・東京15区) 自由民主党 @310kakizawa

出席議員「帰還不能であると住民に知らせたのか?」ボリシュク氏「特別に『もう戻れません』という知らせはしなかったが、住民は施策を通じて理解した。『住宅がもらえる』というのはそういう事(=帰れない)に他ならない」

2011-10-16 00:27:51