茂木健一郎(@kenichiromogi)さんの「ノウハウなんて意味がない、心を整えることこそが大切さ」&MAQIOの私見
「連続ツイート」をお届けします。文章は、その場で組み立てながら即興的に書いています! 今日は、このところ考えていることについて。
2011-10-15 08:14:26のこ(1)松下村塾には二回行ったことがある。二度目の訪問の際、吉田松陰が教えていたのが「陽明学」であることが気になり始めた。心を整えること。時代の情勢がどんなものであれ、自分の心のあり方を真っ直ぐで清明なものにすること。ぼくはそのことに撃たれて、その感覚がずっと 消えない。
2011-10-15 08:16:20のこ(2)この世をいかに生きるか、ということを考えた時に、外形的なノウハウやチェックリストから行くやり方がある。何分これをしろとか、一日の時間帯の中ではいつやれとか、道具はこれを使えとか、そのような話が現代の日本人は大好きで、私もそんなことばかり質問される。
2011-10-15 08:17:59のこ(3)しかし、昔の日本の学問は、そうじゃなかったんだよね。心を整えること。心のあり方を見つめること。それは、いわば「心の彫刻」。その心のあり方さえきちんとすれば、あとのことはついてくる。昔の人はそう考えていたように思う。もちろん吉田松陰もそうだった。
2011-10-15 08:19:04のこ(4)具体的なノウハウは、わかりやすいようだけど、つまりそれは出来損ないの人工知能のようなもので、状況に応じて臨機応変にやり方を変えるということができない。一日何分やるとか言って、じゃあ、他のことが忙しくてできない日はどうする? 例外が多すぎて、意味がない。
2011-10-15 08:20:14のこ(5)勉強をやらない子どもがいるとする。一日何分やりなさい、という外形的なノウハウから入るやり方は、心に届かない。それよりも、なぜ学びたいのか、何を学ぶのか、心に火をつけることの方が長持ちするし、どんな状況でも効果を発する。だけど、心は目に見えないから、わからないんだよね。
2011-10-15 08:21:35のこ(6)スティーヴ・ジョブズのプレゼンが凄いという人がいる。私もそう思う。しかし、そのプレゼン術を、ノウハウに落としたところで何の意味もない。自分のパッションを伝えること。人々を驚かせ、喜ばせること。そのような心の「かたち」が最初にあって、個々のプレゼンが生まれる。
2011-10-15 08:22:57のこ(7)昨日、朝日カルチャーセンターの後の飲み会で、ぼくはスイッチがオフになったように意気消沈して、「日本は変わらないよ」「日本には飽きたよ」とクダを巻いていたらしいが、日本が変われないのも、ノウハウの問題じゃなくて、つまりは変わるという気持ちが整っていないだけの話さ。
2011-10-15 08:24:13のこ(8)どんなに状況が困難でも、障害があっても、「変わろう」と本気で思ったら、そんなことは大したことじゃない。自分の内面を見つめて、心を整える。あとのことはついてくる。ジョブズも、スピーチで、「あとのことはディテールに過ぎない」と言っているじゃないか。
2011-10-15 08:25:23のこ(9)スティーブ・ジョブズは、日本の僧侶に教えを受けたんだよね。自分を見つめ、心を整える「心の彫刻」。あとのことは大したことじゃない。日本人は、もともとそういうことを知っていたのに、ノウハウ野郎どもに乗っ取られた。朱子学なんてぶっつぶせよ。時代は陽明学だよ。
2011-10-15 08:26:39@kenichiromogi 社会の安定化は社会制度の安定化を伴う。アフガンが安定化しないのは社会の仕組みが安定しないから。制度が安定すると、その社会における評価も安定する。こうすればおおかた褒められる、って評価。幕末の社会が流動化した中、評価も流動化したところに現れた松陰先生。
2011-10-15 15:33:46@kenichiromogi 心の教育をしてきて日本は発展してきた。他人の為に尽くしなさい、滅私の精神、奉公の精神。経済も儲けたら『皆様のお陰様』。御中元、御歳暮で周りに御礼を欠かさない。そうした心配り心遣いが外形的形式的になり、心がこもらない儀式になってくると社会も退廃する。
2011-10-15 15:40:04@kenichiromogi 心の現れとして『礼儀』がある。作法と心遣い両方の現れの礼儀。元寇の際、日本の武士は騎馬に乗り海に入り名乗りを上げる『やあやあ我こそは』。元軍の船から飛んでくる矢に射取られた。銅鑼の音で一斉攻撃してくる敵に対処できなかった。礼儀は敵の前に無力である。
2011-10-15 15:54:20@kenichiromogi 野球が日本の中で長い間スポーツの主役を担っていた。攻めの順番と守りの順番が固定され、ズルもしにくい。いわゆる武士道と相性がいい。そこにサッカー登場。サッカーは日本の美学と相性がよくない。審判の見えない所で服を引っ張り、わざとこけてペナルティを取る。
2011-10-15 16:14:43@kenichiromogi サッカーを教えるのに、外形的に教えると本来の教育と反対方向に行く。『見えないとこなら悪いことをやってもいい』『ペナルティを取るためにわざとこけて審判の目を騙していい』。録画で確認したら分かるのに、敢えてそれをやらない、その哲学はどこから来るのか。
2011-10-15 16:18:28@kenichiromogi サッカーの許されるルール違反は社会の縮図じゃないだろうか。外形的に教えるととんでもないが、録画のないやり直しのきかない資本主義社会の中で、仲間とゴールにボールを入れる為にギリギリを攻める。『勝つ為にギリギリを攻めて、ペナルティをしても堂々としてろ』。
2011-10-15 16:28:45@kenichiromogi 激流の中で『変わろう』と言う思いやモチベーションは実は必要ないんじゃないか。価値観の評価のパラダイムシフトがまさに起ころうとしている時、大人がしてあげるべき制度の整備は、むしろ外形的に目に見える理不尽を、心の整えに咀嚼してあげることではないだろうか。
2011-10-15 16:38:41