- y_tatematsu
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土壌を肥やし、そこに種を蒔いて、充実した実を収穫する。これが産業の基本。日本には充実した「家」を収穫するきわめて良質な土壌がすでにある。ここを少し耕せばいい。
2011-10-15 23:48:06変わった家に住もうと提案しているのではない。相応しい家を普通に作り上げる住宅リテラシーが、今まで欠如していただけ。日本人の生活者達の中には、既に水準の高い住宅への希求が潜在している。
2011-10-15 23:45:46家族のかたちもコミュニティのかたちも、通信のかたちも、こころのつながり方も変わった。四十年前の平均世帯構成人数は4.5人。現在は2.6人。世帯構成人数の1位は一人、二位は二人。ふたつを合わせると60%以上。
2011-10-15 23:41:31田舎暮らしがひととき流行ったが、今後の社会を展望してみると「都市」の可能性を再度検証してみる必要性に気付く。都市の暮らしを再考してみる必要がある。
2011-10-15 23:43:34一方で、日本には伝統と美意識という途方もない資源もある。どうしてこれを今まで使わなかったの、というような、先祖ゆずりのお宝を、そろそろ蔵から出して、ほこりをはらって眺めてみてはどうか。
2011-10-15 23:34:58欲望のかたちは変化する。潜在しているものが、呼び起こされてかたちをなす。住宅リテラシーが向上することで、全く新しい住まいのかたちが求められるようになる。
2011-10-15 23:32:56防音壁、防音床を巡らせて、グランドピアノをどかんと置いて弾き暮らす人もいるかもしれない。図書館のように、壁という壁を本棚にして、読み放題に本を読み原稿を書き暮らす人もいるかもしれない。
2011-10-15 23:26:32水平経済の時代になって、「住まい」はようやく「家」として認知され始めた。つまりそれぞれの暮らしに対応した品質を備えているかどうかが、吟味され始めたのである。
2011-10-15 23:17:38「HOUSE VISION」も、いわば「住まい」に関する欲望のエデュケーション。これまで不動産屋のチラシが「家」の教科書であった。2DKも3LDKもここから教わった。しかし、家の作り方に関する「新しい常識」が流通し始めると欲望のかたちが変わってくる。
2011-10-15 23:06:54家には寝に帰るだけ、という人もいるかもしれない。図書館も、銭湯も、コンビニも、食堂も、有効に使って「家」の概念を都市機能の中に拡張する人もいるかもしれない。
2011-10-15 23:23:56リテラシーとは文字の読み書き能力だが、「住宅リテラシー」つまり、家づくりに関するリテラシーが高まり始めている。これは勿論、自分で設計するようなことではない。建築家や専門家に、どんな家が欲しいかをちゃんと説明でき、実現できる能力。
2011-10-15 23:09:39日本は画一的なサラリーマンの国ではなくなった。生活のあり方も驚くほど多様になった。そういう人たちが、皆同じような家に住んでいるのは不自然。自分の暮らしのかたちを上手探す。それは決して難しいことではない。目をつぶって自分のへそを指せばいい。
2011-10-15 23:12:18風炉好きで、スパのような家に住み、湯や水に親しむ生活を送りたい人もいるかもしれない。そういえば、人類もかつては両生類であった。
2011-10-15 23:28:23右肩上がりの経済成長の時代には、住宅産業は金融業の一種であった。住宅を供給する側も買う側も家を「不動産」と考えていた。建築家もデザイナーも住宅にはほとんど触れなかった。こういう状況下では、創造性は足手まといだったのだ。
2011-10-15 23:15:50