この空気感、この空気を一気に燃焼させる爆薬があればもろともに体当たりをしたい毎日の連続です。 『憎くて憎くて気が狂いそう』になる言葉のウィルスを撒き散らしているのは誰でしょう?その繁殖力を強化する空気、環境をつくっているのは誰でしょう?🧐
2022-10-07 17:20:34Jacque PrevertとCharles M.Shulzを敬愛し、日本国憲法前文を至高の名文と崇める穏やかな不満分子。この素晴らしき世界を愚か者たちが壊してしまわないように、さあこれからどうしようか。と書いていましたが、見窄らしく壊され始めたので、徹底抗戦モードに転換です。
逃げ道求める空気感 穂村弘さん 自分の言葉遣いがいつの間にか変化している、と気づくことがある。例えば、飲食店で食べたものに対して、昭和の時代なら「おいしくない」とか「まずい」と言ったところを、この頃では「ちょっと苦手かも」と言っている。気の合わない人に→ asahi.com/articles/DA3S1…
2022-10-06 09:05:56→ に対しても、昔なら「いやなやつ」とか「きらい」と言ったけど、この頃ではやはり「ちょっと苦手かも」だ 「自分は好きではないけど、人それぞれだから気に入る人もいるかもね」というニュアンスが生じて、一種の逃げ道ができるのだ。その逃げ道を強化するために、さらに「ちょっと」と「かも」を→
2022-10-06 09:07:27→ 加える。「ちょっと苦手かも」のできあがりだ… まずは大事な逃げ道を確保。そんな空気感に包まれて、自分も「ちょっと苦手かも」を連発していると、強い否定の言葉に敏感になる。何かの機会に、「おいしくない」「まずい」「いやなやつ」「きらい」などに出会うと、びくっとする。怖いよ、→
2022-10-06 09:09:16→ 大丈夫か、乱暴な人か、と怯えてしまうのだ。ある日、こんな短歌を見て、どきっとした。 《もにょるって言葉の意味も何もかも憎くて憎くて気が狂いそう》枡野浩一 「憎くて憎くて気が狂いそう」とは、強すぎる否定の言葉だ。そんな言い方、普通はしないだろう。やばい人なのか。いや、そうでは→
2022-10-06 09:12:18→ なさそうだ、と気づく。何度か読み返してみて、これはたぶん、わざと過激な言い回しをしているな、と。その理由は否定の対象にある。「もにょる」とは、もやもやして気持ちが悪い様子を表す言葉で、もともとはネットから生まれたものらしい。そのニュアンスも時間とともに徐々に変化している→
2022-10-06 09:13:24→ ようだが、これは「苦手」の親玉というか、逃げ道的な表現の究極形ではないだろうか。 つまり、対象を漠然と否定したい気持ちがありつつ、でも、その理由を説明したり、責任を取ることはしたくない。そんな時に便利な言葉なのだ 「対象を漠然と否定したい気持ちがありつつ、でも、その理由を→
2022-10-06 09:14:31→ 説明したり、責任を取ることはしたくない」という気持ちは、多くの人の中にあるものだろう。私にもわかる。卑怯者にはなりたくない。でも逃げ道は欲しい ノーリスクで駄目出しをしたいというニーズに応えるために「もにょる」の他に、例えばネット上の発言では「なんだかなぁ」が多用されている→
2022-10-06 09:16:00→ その発信者が匿名ならもう無敵だ 一方、新聞や雑誌のようなメディアの記事では、「批判を呼びそうだ」というフレーズを見ることがある。文章の最後にそう言われると、不意に書き手の姿が消えてしまったように感じる 何がどう「なんだかなぁ」なのか、誰になぜ「批判を浴びそうだ」なのか、→
2022-10-06 09:17:06→ ということは明示されないまま、透明人間の駄目出しのような否定の気分だけが世界に生み出される。言われたほうは、予(あらかじ)め反論を封じられることになる。透明人間に言い返すのは難しい。先の過激な短歌は、そのような言葉の在り方への痛烈な異議申し立てなのだ。 ……
2022-10-06 09:17:52本と映画の好きな団塊爺さん。《良識記事は無料で多くの人に読まれるべき》が信条。朝日紙面の良識度をチェック。日本会議」など弱者を差別する団体は大嫌い。弱者の味方は、少年探偵団、赤胴、アトム、イナズマくん、ビリーパック、天馬天狗、はやぶさ小僧らの遺言…今は「正義は女性にあり」。写真は原節子「我が青春に悔いなし」。