で、ええと、ソロバンの話だ。これによる計算を広めていったのは、毛利重能殿。太閤殿下の家臣でもあったこの人は、明に算術留学をしたんだ! …くううううう…ううううう羨ましいぜ……ッ!!!! #長束の算術教室
2011-09-25 15:42:01更に重能殿。徳川の世になってからは、『割算の天下一』っつー看板で、算学塾を開いたそうじゃねぇかッ!!!!その弟子の数、実に数百人だとか…。 …どんだけだ…、どんだけ俺を羨ましがらせれば気が済むんだ…。 #長束の算術教室
2011-09-25 15:45:07徳川家が治める世になり、戦は無くなった。すると人々は、より文化的と言うか…学問的な物などを求めるようになる。そのひとつに、算術もあった。……いや、こっからは「和算」と呼ぶべきか? #長束の算術教室
2011-09-25 15:50:22一般人が八次、九次…といった、高次方程式を、意味も無く(笑)、ただただ趣味で解く時代がやって来たわけだ!なんと素晴らしい、羨ましい世の中なんだ…!戦の無い世の中万歳ッ!! #長束の算術教室
2011-09-25 15:53:05あと、割り算の九九まで編み出されたからな!!コレ覚えてりゃソロバンでの計算が一層速くなるんだ。 例えば「1÷1」は「一進の一、十(いっしんのいち、じゅう)」とかって言うらしいが…。戦国時代の内に作っときゃ良かったかな、俺が。 #長束の算術教室
2011-09-25 15:58:49で、この「算術ぶーむ」だが、その流行り具合がもっとも顕著に表れたのは「算額」だな。 神社なんかの絵馬に、自分の考えた計算問題を書いて、掛けておく。すると、他の奴がそれを解いて答案を掛け、また別の問題を掛ける……。 なんだこれ、すげえ楽しそうじゃねえか、ずるい。 #長束の算術教室
2011-09-25 16:05:40実際、この頃の日ノ本の計算能力は、南蛮にも劣らなかったらしい…!「和算」は我が国が誇れる、素晴らしい文化の一つってわけだ^^ #長束の算術教室
2011-09-25 16:11:36うーん…これからもっと後の時代となると、さすがに俺が語るのもなァ。これからが和算発展の時期なんだが…。いや、「算額」の話は、つい羨ましすぎて語っちまったが…(苦笑) まァ要するに、平和な世になって、多くの人が算術の楽しさを知ってくれて良かったって話だよ。うん。 #長束の算術教室
2011-09-25 16:13:54と、いうわけで! 今日の「長束のぱあふぇくと算術教室」は、以上だな。今後、また機会があれば、具体的な問題の解法とかもやっていきてぇな。…興味がある奴がいるか、甚だ疑問だが…(苦笑) 長い間聞いてくれた人、ありがとさん!少しでも興味を持ってくれて嬉しいぜ! #長束の算術教室
2011-09-25 16:17:04