作家であること。謙虚さ。反省。

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あさみ編集長 @m_asami

「ジョブズもいってた、日本メーカーがAppleに負けっ放しの理由」 http://t.co/copl3QAF この議論が建築に当てはまるか考えながら読むと興味深い。アーキテクトな皆さんぜひ。

2011-10-17 20:37:51
sttts @s_tomokazu

僕も以前にこれ読みました。考えます。RT @m_asami: 「ジョブズもいってた、日本メーカーがAppleに負けっ放しの理由」 http://t.co/YAFxs2U5 この議論が建築に当てはまるか考えながら読むと興味深い。アーキテクトな皆さんぜひ。

2011-10-17 21:01:16
堀井義博 @yoshihirohorii

@s_tomokazu @m_asami あれを読んで「まったくその通り!」と思うと同時に、自分を含めた、そう思う人たちの多くが、すぐ、多かれ少なかれ自分を特別な存在のように考えるのもおかしい、という気もする。自信が直ちに尊大さに繋がっている。謙虚さとのバランスが難しい。

2011-10-17 22:17:58
sttts @s_tomokazu

@yoshihirohorii @m_asami 全く言いたいことを堀井さんに言われてしまいましたが、僕も半分同意しつつ、半分は「素人の意見を聞かずに人に形(ビジョン)を示すことができるか」という思いもあります。では住民参加に意味が無いのか、と言われると「意味ある」とも言いたい。

2011-10-17 22:27:37
堀井義博 @yoshihirohorii

@s_tomokazu これ、実は学校で教えている時にも同じことが起こっていて、立場が少し違うのですが、学生の「先生に言われた通りにやる」のパタンがそうです。開発者は買い手の顧客候補者(=消費者)を暗黙の上位に置き、学生は評価を下す教員を暗黙の上位に置く。 @m_asami

2011-10-17 22:31:21
堀井義博 @yoshihirohorii

@s_tomokazu ちなみにジョブスも時々プレゼンで言ってましたけど、彼らも入念な市場や消費者の動向のリサーチはしてますよね。おまけに、リリースした製品に寄せられたフィードバックからも、次の製品へのステップを探している。問題は..... @m_asami

2011-10-17 22:32:46
あさみ編集長 @m_asami

謙虚を売りに生きてるので、とことん謙虚でありたいと思っています。謙虚さをコントロールするようなバランス間隔は私には不必要だなあ。

2011-10-17 22:33:03
sttts @s_tomokazu

なるほど。RT @yoshihirohorii これ、実は学校で教えている時にも同じことが起こっていて、立場が少し違うのですが、学生の「先生に言われた通りにやる」のパタンがそうです。開発者は買い手の顧客候補者(=消費者)を暗黙の上位に置き、学生は評価を下す教員を暗黙の上位に置く。

2011-10-17 22:34:23
堀井義博 @yoshihirohorii

@s_tomokazu 鍵になるのは「意見を聞く」という場合のこの「聞く」という動詞の意味というか、働き、その動作にかかっているのだと思います。先のブログの主張に合わせて言えば、判断を他人に委ねているようではダメ、ということになるでしょうか。 @m_asami

2011-10-17 22:35:13
あさみ編集長 @m_asami

@yoshihirohorii @s_tomokazu なるほど。「『聞く』の動作にかかっている」で、ようやく分かってきました。

2011-10-17 22:37:39
堀井義博 @yoshihirohorii

@s_tomokazu 必要なのは弁証法的な対話の姿勢であって、上位の誰それが私に点数を付けるということではなく、より高次の私たちに到達しようとするプロセスなのだと思います。これは一見すると、よく言われる合意形成に似ていますが、少し異なると思います。 @m_asami

2011-10-17 22:38:19
あさみ編集長 @m_asami

堀井さんすごい! 私がやってんのは「合意形成」なんかじゃないと常々思っていたけど、その直感を見事に説明していただきました。ありがたい。

2011-10-17 22:41:47
堀井義博 @yoshihirohorii

@m_asami 謙虚さは、他人に対して控え目ということではなく「自分が生み出す製品や作品などの成果に対して」持たれるべきではありませんか。自分が作った作品でさえも、自分自身そのものとは違う、という意味。作品を自分と同一視する傾向は、だから謙虚さを欠いていることが多いと思う。

2011-10-17 22:42:27
sttts @s_tomokazu

僕は「一般の人の意見を聞く」とか「多くの人の意見を集める」といった話を聞くと、どうしても2010年2月に開催されて「LIVE ROUNDABOUT JOURNAL」で池上高志氏の「その人の意見は『正しい』のか?もしくはどこまでのNOWなのか?」という言葉を思い出す。

2011-10-17 22:42:42
sttts @s_tomokazu

そのNOWはLONG NOWなのか?という疑問。

2011-10-17 22:42:59
あさみ編集長 @m_asami

@yoshihirohorii まさにそんな気がします。「他人に対して控えめ」として表現されることは多いですけど。で、ですよ。自分の謙虚さをボリュームコントロールする必要はあるだろうか?と考えたわけです。謙虚スイッチONでおしまい、ではいけないのかなあと。

2011-10-17 22:45:52
堀井義博 @yoshihirohorii

@m_asami 「この "私が作ったもの" は、私を笑っていはしないだろうか」と、作品を通じて自問し続けること自体が謙虚さなのではないでしょうか。笑うのは他人ではなく、作品にカタチを変えた、私自身の自己欺瞞や手抜きや慢心ではないでしょうか。 @s_tomokazu

2011-10-17 22:49:30
sttts @s_tomokazu

なるほど。RT @yoshihirohorii @m_asami 「この "私が作ったもの" は、私を笑っていはしないだろうか」と、作品を通じて自問し続けること自体が謙虚さなのではないでしょうか。笑うのは他人ではなく、作品にカタチを変えた、私自身の自己欺瞞や手抜きや慢心ではないで

2011-10-17 22:50:58
堀井義博 @yoshihirohorii

@m_asami …とそれ自体は尊大に見える作家も控え目すぎる作家も、多くがやっていることだと思いますが、仮にその自問がポジティブな答えを導く場合でも、その問いを止めないことが重要なのかなと思います。モノローグと言ってしまえばそれまでなんですが。 @s_tomokazu

2011-10-17 22:51:44
堀井義博 @yoshihirohorii

@s_tomokazu 他人を騙すことは出来ても、自分自身を騙すことは出来ませんからね。そういう意味では親子関係に似ていると思います。子供の様子を見て、教師や周りの友人を責める前に、親が自分自身を省みることが出来れば解決する問題がどれだけ多いでしょう。 @m_asami

2011-10-17 22:54:21
あさみ編集長 @m_asami

@yoshihirohorii なるほど。ちょっと自分の態度を振り返るよい機会になりました。たぶんその問いを止めないってのが面倒なので、私は自ら造り出したものを作品と称するのが苦手なのだなと…。それはある意味シビアな議論を逃げてるってことなのかもな @s_tomokazu

2011-10-17 22:55:05
堀井義博 @yoshihirohorii

@m_asami 偉そうに書いていますが、これも自問の形式の一つと僕は思っています。どうもすみません。さっきの親子の関係というのは、僕はまだ子持ちじゃありませんが、本当に「その通り」な例えだと僕は思っています。というのも… @s_tomokazu

2011-10-17 22:58:26
sttts @s_tomokazu

僕は自分の仕事の中で「エンドユーザーの声が聞けない」ということに疑問っていうか何か限界のようなものを感じていたんだけど、この「日本メーカーがなぜ勝てないか」という話にも納得する。多くの意見を集めながらも盲信せず、彼らが潜在的に持っていた思いを形にすること。これって簡単じゃない。。

2011-10-17 22:59:55
堀井義博 @yoshihirohorii

@m_asami 作家が生み出した作品は、間違いなくその作家から導かれるものですが、生み出された途端、作品は作品自身の生を歩み始めるからです。作品は作家自身とは違う。作家が死んでも作品が残ることは多いし、また、その作品を通じて別の作家が他の作品を生む。 @s_tomokazu

2011-10-17 23:00:53
ひつじハウス @hitsujihouse

思春期前の子供の考えは、親のコピーであることが多い。だからこそ、ちゃんと話さないといけないのよ。子供には、真正面から話さないといけない。決して、斜めから見た話はしちゃいけない。もしするとしたならば、それは一つの考え方として。2ちゃんねるでの話を子どもにする親を私は認めない。

2011-10-17 23:01:38