気休めと希望(除染とともに/を越えて)

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直立演人 @royterek

私たちは放射能という見えざる敵に、四六時中、四方八方から包囲されている。こうした意識や無意識は、この先何十年も、いや、死ぬまで続くのだろう。そう思うと将来を悲観したくもなってくる。将来への悲観とは、自殺の最もありふれた理由の一つである。ここでは、偽りの希望など何の役にも立たない。

2011-10-19 03:48:42
直立演人 @royterek

暗く厳しい見通しに圧倒されそうな今だからこそ、私たちは真の希望を見つけなければならない。真の希望とは一体何だろうか。原発のない世界だろうか。もちろんそれは大きな希望だ。けれども、たとえ近い将来に原発がすべて止まったとしても、いったん汚されてしまった大地はそう簡単には戻ってこない。

2011-10-19 04:06:41
直立演人 @royterek

人は希望なしでは生きられない。ありとあらゆる困難にもかかわらず、それでも人生は生きるに値するのだという確信、いや、予感を抱くことができなければ、私たちは絶望という死に至る病に侵されてしまうだろう。

2011-10-19 04:17:36
直立演人 @royterek

気休めと希望は根本的に異なる。気休めは一時的なその場しのぎであり、決して長続きすることはない。気休めは幻想に囚われた偽りの希望に過ぎず、厳しい現実の前ですぐに化けの皮が剥がれてしまう。ただし気休めにもそれなりの効用はある。絶望するしかない状況で一時的な鎮痛剤の役目を果たすことが。

2011-10-19 04:50:46
直立演人 @royterek

現状について言えば、除染がまさしくその気休めに当たる。除染は、局所的かつ相対的に過ぎないとはいえ、土壌や家屋の汚染を一定程度改善するという意味では、現状における最上の気休めと言えるかもしれない。だが、それはあくまで応急処置であって、根本的な解決とはほど遠いことを忘れないでいよう。

2011-10-19 05:08:05
直立演人 @royterek

最良の気休めであっても、気休めであることに変わりはない。もしかすると、気休めは希望の萌芽となり得るかもしれない。だが、希望そのものに成り変ることができるだろうか。希望とは、気休めを越えた何ものかではないのか。気休めが気休めにもならなくなった時ですら失われない何ものかではないのか。

2011-10-19 05:25:02
直立演人 @royterek

汚染地帯に人が住み続ける限り、除染はやるに越したことがないだけでなく、やらないという選択肢がおよそ考えられないような応急処置と言えるだろう。けれど、何京ベクレルという想像を絶する放射能が撒き散らされてしまった今となっては、限りなくドンキホーテ的な作業であるかのようにも感じられる。

2011-10-19 05:35:08
直立演人 @royterek

政府やマスコミは連日のように除染のことを話題にしている。こうしたことが繰り返されると、この応急処置の積み重ねによって、あたかも人が安心して暮らせる環境がそう遠くない将来に戻ってくるかのような幻想を私たちは抱いてしまうのではなかろうか。だとすれば、それは明らかに偽りの希望である。

2011-10-19 05:42:54
直立演人 @royterek

気休めとは、自分に都合よく現実を解釈することとも言い換えられる。たとえばこの場合、除染を地道に継続することによって曲りなりにも人が暮らせる環境を取り戻すことができるはずだ、という希望が表明される。しかし、これが気休めにしか過ぎないのは、人々が被爆し続けることに変わりはないからだ。

2011-10-19 05:58:08
直立演人 @royterek

多かれ少なかれ気休めは幻想に基づいているが、にもかかわらず、そこには合理的な計算も働いている。気休めとはいわば、幻想に基づいた打算のことだ。ここに気休めの矛盾した性格が見てとれる。なぜなら、不合理な幻想に則りながらも、気休めが表明する「希望」の方は、徹底して計算ずくなのだから。

2011-10-19 06:24:05
直立演人 @royterek

気休めのこの矛盾した性格こそは、希望との本質的な違いではなかろうか。希望は決して安易な幻想に飛びつくことはないが、打算とも無縁である。こう言ってよければ、希望とは、気休めを徹底的に排した先になお残る直感、あるいは、悲劇的な状況にあってもなお生きようとする盲目的な意思のようなもの。

2011-10-19 06:47:39
直立演人 @royterek

3・11以降において、希望とは、悲劇的な現実を直視し悲観的な見通しを立てながらもなおかつ、それでも私たちが生きるに値する人生や社会を取り戻すことは可能だと祈るような気持ちで信じることではなかろうか。たとえそれが限りなく困難に見えたとしても、私たちには生き抜く力があるのだと信じて。

2011-10-19 07:07:26