映像化に際する「イメージボードに転換される設定」と「説明に転換される設定」の違い
設定が多いか少ないか、じゃなくて設定が面白いかそうでないか、あるいは(設定を本筋で活かしているか否かではなく)設定が本筋を邪魔するかしないか、という水準を考えてみる
2011-10-18 01:43:58例えば設定的にはそこそこのシンプルさで、その設定をフルに活かした作劇をした漫画/小説でも、映像化したときはその「フルに活かしている」ことが足枷になって、説明の必要なアニメなりになったりするんじゃないだろうか
2011-10-18 01:46:47だから空の教会の俯瞰風景を観たときに「どんだけ原作は要らない説明が多かったんだ…」と思ったものだが、空の教会はありあまる設定を「フルに活かしていない」「水面下で世界のディティールを支えている」ことが実は映像化を助けたんじゃないかと
2011-10-18 01:49:34原作はそんなに設定過多じゃなくても、物語へフルに活かすことで映像化すると設定アニメになってしまう例…というのはまぁ色々なラノベ原作アニメを想定したdisではあるけど、そういう意味では空の協会よりもFateシリーズの方が「アニメ化時に説明を要する」のだろうなあと
2011-10-18 01:53:24「設定を出すなら本筋に活かせ」というよくある金言は、メディアミックス前提に考えると必ずしもそうはいえないんじゃないかという話ですね。実際、魔法科を映像化したらFate/Zeroよりも空の境界寄りの映像になるだろうなーと想像しているので
2011-10-18 01:57:08そういえばあきやまさんが「劇場版空の境界は、説明を省けばラブコメしか残らないということを明らかにしてしまったから酷い」みたいなこと言ってた気がするなあ(笑)。つまり魔法科も妹萌えだけ残れば成功ってことですね
2011-10-18 02:00:40アニメ版のトリコを観ると、アニメで説明しなきゃいけない設定が最小限だったのがよくわかる。逆にハンターハンターは、イメージボードとしての設定もルールとしての設定も豊富だから演出家のバランス感覚が問われそうだ
2011-10-18 02:06:23