-
kaleidotheater
- 1477
- 0
- 0
- 0
![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
「父親と違う生き方をしよう」とした人の息子が「父親と違う生き方をしよう」というのはliar paradoxだが、息子が「父親と同じ生き方をする」と「父親と違う生き方をする」という判断において父親と同じか違うかという階層的判断を考えると、いわゆる無限後退かな。
2011-10-23 01:18:03![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
中川裕志先生がFBで、「父親と違う生き方」をした人の息子が「父親と違う生き方」をしたとき、それは父親と違う生き方なのか、それとも父親と同じ生き方なのか、という問題を論理学でどう扱うんだろう?と聞いていらっしゃいます。
2011-10-23 01:33:21![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
@kaleidotheater xFyで「xはyの父」とし、aFb&bFcのとき、原始述語DifLife(x,y)についてDifLif(a,b)&DifLif(b,c)の解釈問題ですね。DifLife(x,y)という原始述語の公理を与えてくれれば、論理学の問題となりますね。
2011-10-23 01:38:47![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
@kaleidotheater どちらにせよ、キーとなるのは公理の主張の問題なので、全体としては、論理学の問題と言うより、意味論の問題ですね。
2011-10-23 01:40:29![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
@kaleidotheater 論理学専攻じゃないので詳しくはないのですが、「父親と違う生き方を選ぶ」というのがメタな言明なので、通常の論理とメタ論理を使い分ければキレイに記述できそうです。これらを統合して意味論を扱おうとする立場もあるかもしれませんが。
2011-10-23 01:44:16![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
意外と形式意味論の問題だったりして。strict/sloppy readingの違い、たとえば「トヨタはそこの子会社を訴えた。日産もだ」のときに、日産が訴えたのがトヨタの工場なのか、日産の工場なのか、という問題と通じる匂いがしなくもない。
2011-10-23 01:44:17![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
@yuyu_de_gozaru いえいえ、有り難うございます。ツイート睨んで考え込んでました。
2011-10-23 01:49:15![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
@ytb_at_twt そうですね、「違う」の意味が実は二つあって……みたいな辺りが一番詰まらない解としてありそうですね。
2011-10-23 01:50:15![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
@kaleidotheater 浅識ながらの所感ですが、「父と違う生き方を選ぶ生き方」に、結局どのように生きたのかが情報として入っていないところに問題があります。父の生き方Aと違う生き方Bを選んだ人の息子がその父と違う生き方Cを選んだならB≠Cで丸く収まるのではないでしようか?
2011-10-23 02:19:11![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
@kaleidotheater このとき、「父と違う生き方を選択する」ということ事態に目を向けるなら、実際の生き方はB≠Cでも、生き方を決める一条件は同じだった、と見なせると思います。父と違う生き方をする、という条件だけでは実際にどういきるか決められないと感じました。
2011-10-23 02:23:25![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
「父親と違う生き方」という表現は人生の性質に対する量化を含んでいて,その量化領域に「父親と違う生き方である」が含まれるとする(非可述性)と矛盾.RT @kaleidotheater 「父親と違う生き方」問題を定式化してみました。 http://t.co/LhyT4F3L
2011-10-23 02:39:15![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
@zahlangabeheft そうですね、「父親が、祖父と違う生き方をしているならば、息子は父親と同じ(=なんらかの同じプロパティを持つ)生き方しかできない、というところまででしょうか?
2011-10-23 02:56:21![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
やはり戸次さんの仮定だけではまだ矛盾していない.しかしcが本当に「自分の父親と違う生き方をしている」という点を除いては父親(b)と違う生き方をしているのなら,矛盾が導かれるように思われる.@Zahlangabeheft @kaleidotheater
2011-10-23 02:57:32![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
@kaleidotheater 入れ違いになりました.ちょっと調整すればパラドクスが構成できそうな気もします.
2011-10-23 02:58:35![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
「自分の父親と違う生き方をしている」という点を除いては父親と違う生き方をしている,というところの定式化がちょっと難しい.でも構造としては,「すべてのクレタ人は嘘つきだ」が,この発言者以外のクレタ人がすべて嘘つきである場合にのみパラドクスを導くのと同じ.
2011-10-23 03:20:51![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
うーんやっぱし二階量化の問題とみなすのが普通の見方なんだろうな.「父親の人生が持ついかなる性質も持たない人生」というのがそもそも問題含みで,人生が対象であり,「X=X」のような性質を持つとすると,「父親の人生が持ついかなる性質も持たないような人生」はそもそも不可能.
2011-10-23 04:35:18