2011年10月25日

ローマは結局道路に滅ぼされた

政府の機能向上が、道路の能力向上に追いつけなかったのが敗因だったんじゃないのかな、と思う。道路というのは物流と情報、文化を運搬する道具であって。
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medtoolz @medtoolz

モンタネッリ「ローマの歴史」という本を読む。グローバル化と格差の拡大、世論分裂と新宗教の微妙な台頭、加速度的に短くなる皇帝在位期間、国の分裂と内戦、疲弊。国の一生ってどの時代もそんなに変わらない

2011-10-24 21:38:25
medtoolz @medtoolz

ローマは結局道路に滅ぼされた、政府の機能向上が、道路の能力向上に追いつけなかったのが敗因だったんじゃないのかな、と思う。道路というのは物流と情報、文化を運搬する道具であって。

2011-10-24 21:39:46
medtoolz @medtoolz

隣の芝は、見えなければ青く見えない。情報の伝播速度がどんどん上がって、見える範囲は広く、隣はますます青く見え、一方で、中央の判断速度はいつまでたっても変わらない。この状況が長く続くと、もうそこにいるのがばからしくなる。青い隣の庭に移住したくなる

2011-10-24 21:41:49
medtoolz @medtoolz

物流や情報の伝播速度が向上することで、国の大きさは見かけ上小さくなって、コントロールはむしろ容易になるはずなのだけれど、為政者から見たこの状況は、恐らくは「国民が加速度的に不道徳になっていく」ような変化としてうつる

2011-10-24 21:42:54
HIROTA Ryo 廣田遼 @hirotaryo

@medtoolz このツイートだけを見てネットの話かと思いました。 QT: 物流や情報の伝播速度が向上することで、…

2011-10-24 21:44:57
medtoolz @medtoolz

@hirotaryo 政府はだから、ネット嫌いなんだろうな、と。。

2011-10-24 21:46:28
HIROTA Ryo 廣田遼 @hirotaryo

@medtoolz 物や人の流れに対しては国境を作れたけど、ネット上の情報をせき止められるのは言語の壁くらいしかないですもんね。

2011-10-24 21:51:38
medtoolz @medtoolz

@hirotaryo 皇帝の道路を、いろんな人が行き来するようになったということが、たぶん情報の伝播速度向上を、劇的に招いたんじゃないのかな、と。。

2011-10-24 21:53:16
medtoolz @medtoolz

国民が堕落したのではなく、隣の青い芝生が否応なしに目に入る状況の中、まじめにやっているはずの、うちの芝生はちっとも青くならないじゃないか、という思いが、「やってられねぇや」というあきらめを生むんだと思う。政治家はこれを堕落というけれど、国民もまた、政治家が堕落したように見てる

2011-10-24 21:44:35
mach0.9 @mach_09

@medtoolz そういうわけで、皇帝の下に下位副帝を置いたり、同格皇帝で分割統治したりしてました。 最近の軍事史的研究によれば、帝国軍の対外敵対処能力は基本的に高く、頻発する小規模侵入にはかなり対応できていたらしい、対応できなかったのは大規模な侵入だったという説も

2011-10-24 21:45:05
medtoolz @medtoolz

@mach_09 最後のほう、国を物理的に分割するのは、あれは政府の反応速度を見かけ上向上させよう、という試みに見えたのです。。で、それでも追いつかなくて、最後は地方豪族支配みたいになって瓦解するという

2011-10-24 21:46:15
mach0.9 @mach_09

@medtoolz 皇帝は当極までにライバルを蹴落とし、ライバルを少なくしなければならなかった、また挑戦者も退けなければならなかった。つまり皇帝候補者のリソースは継続的に減らされていった。そういう政治史的な指摘もあるそうです。

2011-10-24 21:48:34
medtoolz @medtoolz

@mach_09 国割ると、もう当たり前のように内戦ですもんね。。

2011-10-24 21:49:56
medtoolz @medtoolz

「知らせちゃいけない」は、半分ぐらい真実なんだと思う。これやると組織が大きくならないんだけれど、知らせると、今度はコントロールできなくなる

2011-10-24 21:45:19
medtoolz @medtoolz

カエサルの昔は皇帝追っかければ歴史になったのに、ハドリアヌスあたりから急速に怪しくなるというか、人間の影が薄くなる。結局もう、どんなルール作っても一瞬で攻略されて文句ばっかり返ってきて、歴史作るどころじゃなくなったんだろうと思う

2011-10-24 21:49:34
mach0.9 @mach_09

@medtoolz 地中海史(塩野さんの得意フィールドでもありますが)を日本海にあてはめたりすると、非常に面白いですよw

2011-10-24 22:12:21
medtoolz @medtoolz

@mach_09 洋の東西も時代も超えて、ある人的、地理的状況に置かれた人間は、結局同じように判断し、同じように失敗するんだなぁ、と。。

2011-10-24 22:13:43
mach0.9 @mach_09

@medtoolz はい。そして塩野さんご自身が「盛者必衰は動かせない。ただ先延ばしができるだけである」と。その過程でできることは俯瞰すれば似ざるを得ないのでしょう。

2011-10-24 22:15:02
medtoolz @medtoolz

何となく、歴史学んだ政治家ほど、政治改革って無理ゲに見えてくるんだろうなと思う。

2011-10-24 22:22:48

コメント

Yuki Miya@ζῷον μόνον @felicitas01ARB 2011年10月26日
…ローマの街道とその上を走る駅馬車網"cursus publicus"は、アウグストゥスが整備したもので、皇帝の私財"fiscus"で運営されていたのですけれども。この皇帝直営交通・通信網があったからこそローマはあの版図を統治できたのでは。
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岡一輝 @okaikki 2011年10月28日
メディアの発達がベルリンの壁を壊したなんて話もありましたなあ。
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Yuki Miya@ζῷον μόνον @felicitas01ARB 2011年10月29日
ローマの歴史をざっくりと振り返ると、共和政が紀元前2世紀末から混乱していき、せっかく出てきたカエサルも暗殺されてオワコン、その後アウグストゥスと愉快な仲間たちが「改革」を行って「帝国」になったという流れです。
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Yuki Miya@ζῷον μόνον @felicitas01ARB 2011年10月29日
そのアウグストゥスの時代に、街道の維持管理を担当する"curator viarum"や水道を管理する"curator aquarum"といった官僚機構が整備されて、以後だいたい200年の「パクス・ロマーナ」が実現しました。
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Yuki Miya@ζῷον μόνον @felicitas01ARB 2011年10月29日
ローマ帝国内に張り巡らされた街道を維持管理していたのも「帝国政府」です。「帝国政府」の管理の手が及ばなくなれば、街道は当然老朽化します。街道を円滑に利用できたことそのものが「帝国政府」が機能していた証左です。
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夜更至ヒルネスキー @hiruneskey 2011年10月29日
《物や人の流れに対しては国境を作れたけど、ネット上の情報をせき止められるのは言語の壁くらい》《※:街道の維持管理を担当する"curator viarum"や水道を管理する"curator aquarum"といった官僚機構が整備》  それは政治じゃなくて行政なのでは……(法律を合わせるのではなく法律に合わせる組織)。言語の壁が崩れたら法則の壁しか残らない様な。
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Yuki Miya@ζῷον μόνον @felicitas01ARB 2011年10月30日
だいぶ遅レスになってしまいました。…アウグストゥス以降の帝政ローマの場合、「政治」とは皇帝と元老院の力関係で、それもおよそ皇帝が優位にありました。「控除説」的に言えば「政治≒行政」だった訳です。
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Yuki Miya@ζῷον μόνον @felicitas01ARB 2011年10月30日
あと「言語」に関しては、当時のローマ帝国版図では、西側はラテン語、東側はコイネー(ギリシア語)が標準語化していて、今の英語と同じ役割を果たしていました。4世紀に帝国が再編された頃も同様です。
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Yuki Miya@ζῷον μόνον @felicitas01ARB 2011年10月30日
"curator viarum"は行政機関です。ただ、それを「創設」したのはアウグストゥスです。私はラテン語厨なもので、「アウグストゥスが行った一連の政治改革」が「ローマ帝国」を築き上げた…と言いたかった次第です。
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夜更至ヒルネスキー @hiruneskey 2011年10月31日
お返事ありがとうございます。こちらこそ遅レスですいません。行政とは不可分でしたか。  《西側はラテン語、東側はコイネー(ギリシア語)が標準語化》 ……牛疫の本にローマ帝国は東西間に侵入した西ゴート族の飢饉(その原因が牛疫)による暴動を鎮圧出来ずに居座られた為に分裂したとあったのですが、鎮圧出来なかった要因には帝国側の意思疎通の不備にもあった……などという仮説を思い付きました。
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空 or せい @ku_999 2011年10月31日
ラテン語圏とギリシャ語圏に二分はされてましたが、政治・軍団関係の公用語はラテン語が公用語でした。東ローマの公用語がギリシャ語になったのは西ローマ滅亡後です。それにローマの政治家というか知識階級は双方の言語に通じているのが珍しくありませんでしたから、言語の壁というのは当時はそれほどの障害ではありませんでしたよ。
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夜更至ヒルネスキー @hiruneskey 2011年11月1日
訂正ありがとうございます。間違いでしたか……残念。
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