数学的帰納法ってnはいくらでも大きくできるけど、決してn=∞には到達できない。たぶんひっかかってたのはそのこと。ちょむ先生の言ってることはわかる。「離散無限」という言葉さえ使わなければ。ねるねる詐欺でした。
2011-10-24 01:10:41離散無限は、Martinetのdouble articulationをちよむなりに言いかえたのかな… やっぱり滝に打たれてくる
2011-10-24 01:14:48そうか…ペアノ算術の帰納法のステップは非有界だけど、それによって生成される自然数の濃度は可算無限。生成文法の各プロセスは帰納法によるのでそれぞれ非有界だけど、個別言語の文の集合の濃度は可算無限。「離散」はひとまず取れるので、「無限」にしぼると、ちよむはこういったこと区別せず?
2011-10-24 01:24:19なるほど…p.23に確かに…これは非有界…ここは福井先生の解説だけど、ちよむもか? というか一昨日の統語論の授業で、おれ無限て言った!間違いなく言った! orz
2011-10-24 01:37:35昨日のまとりんさんのChomskyの「無限」についての問題、昨晩寝る前にやっと腑に落ちたと思う。そして昨日までのお答えの仕方に少し誠実さが欠けてたと思う。生成文法では数学化が隠れている暗黙の想定を明らかにすると考えるので、ちゃんとしなければならない。@mathlingue
2011-10-24 11:06:51昼間考えると変なところにこだわってたような気がします。文はつねにあと1語増やしてより長い文を作れるし、語彙もいくらでも付け加えられるし、数だって任意の自然数に1を足したものを考えられる。その意味では言語と数は共通で、同じような脳の部分が担当? @piyokacho
2011-10-24 13:59:13この辺は興味を惹かれるところなのでわざと「ほんとかな?」と思いながら読んでいます(ちょむ先生にけちつけてるわけでなく)。当たり前のようにさらっと書かれてる「いくらでも増やしていけるところが人間特有」というのを「ほんとにそんな特別のすごいことなのかな?」と。 @piyokacho
2011-10-24 14:02:51@mathlingue Chomskyの離散無限のアイデアをガリレオに帰する講演で、finite meansでnot limited array of thoughtとありました。ちょむは区別してるかもですが、区別してないひとが多いかも、少なくともワタシ…(´Д` )
2011-10-24 18:06:11