80年代〜90年代女性誌においてチェルノブイリ原発事故はどう取り上げられたのか
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『Olive』(1982/9/18号)「ついにサーファーまでも反原発運動を始めた」という出だしではじまるコラム。「カルフォルニアのサーファーを中心にして、にわかに反核・反原発の動きが遅ればせながら出ている。サーフ・ポイント周辺にある原発が海を汚しているのではないか?(略)」
2011-10-08 09:34:38これを読んでふと思ったのだけど、他国の高校生〜大学生が読む雑誌では今回の福島第一原発の事故はどのように取り上げられているんだろう。だれか各国の状況を踏まえつつ分析してくれないかな。
2011-10-08 09:34:54Twitterやブログで声をダイレクトに知ることも可能だけど、、。学生たちの反応みたいなのを翻訳して紹介してる人とかいないのかな。いそうだけどな。
2011-10-08 09:35:00チェルノブイリ事故を当時の日本のファッション誌ではどのように伝えたのか、『non-no』『POPEYE』『Olive』の1986年5月号以降を調べてみた。『セブンティーン』は蔵書なし。
2011-10-10 20:01:50『JJ』(1986か1987)では女子アナ特集の中にいくつかのキーワードを用意し連想する言葉を答えるというコーナーがあり、そのキーワードの中に「チェルノブイリ」も入ってたんですが。
2011-10-10 20:07:41※以下、1986年8月号『JJ』の記事に関するツイート。質問ワードは「チェルノブイリ」ではなく「原発」でした。
1986『JJ』8月号、特集「いま、いちばん輝いてる職業 TVキャスター入門」。ちょうど女子アナブームのころだものね。その中のフジの長野智子アナの自我の強さにびっくり。あるワードから連想する言葉を、アナ5人に答えてもらっているのですが、
2011-08-24 05:08:52ほかのアナは、インタビュー→マイク。テレビ→テレビカメラ。キャスター→パネルディスカッション。原発→チェルノブイリ。という無難なアンサー。
2011-08-24 05:25:38長野智子アナのアンサー。ファッション→魔法。インタビュー→かけひき。テレビ→夢というほどきれいでない。レーガン→強いと作られただけのイメージ。キャスター→ただの人。原発→ただの迷惑。やめてほしい。1986年『JJ』5月号より。
2011-08-24 05:13:521986年当時23歳でこの自我の強さはすごいよ。とWikipediaで調べたら、帰国子女なんですね。むむ、納得。…学校で相当浮いてたのではないか…。
2011-08-24 05:28:37ここまで
そんな訳で『Olive』(1982/9/18号)「FLASH UP FRONT」内の「ついに、サーファーまでも反原発運動を始めた」という記事は80年代ファッション誌の中ではめずらしく原発(反原発運動)を取り上げた記事だったのかもしれません。
2011-10-10 20:14:40ファッション誌にチェルノブイリ原発事故のニュースは掲載されたのか? 大宅壮一文庫雑誌記事索引(1988〜2008)で調べました。
2011-10-11 16:29:17検索キーワードは「原発」と「チェルノブイリ」の二パターンで試しました。雑誌の種類は「女性誌」「ファッション誌」で絞りこみました。これで検索すると、女性誌(婦人公論からnon-noまで)とファッション誌(男性女性それぞれのファッション誌)の記事がヒットします。
2011-10-11 16:33:011988〜1991まで。「原発」32件、「チェルノブイリ」7件。チェルノブイリ原発〜という風に重複している場合もあります。「クロワッサン」「pumpkin」「婦人公論」が並ぶ中、『CREA』(文藝春秋)が5回掲載していています。
2011-10-11 16:38:27『MORE』(集英社)と『ELLE JAPON』(アシェット婦人画報社:当時)『マリ・クレール』(アシェット婦人画報社)でも取り上げていました。とはいえ『マリ・クレール』(1991/6月号)「ピエール・カルダンがユネスコ名誉大使に チェルノブイリ5周年記念のクリエィション」て。
2011-10-11 16:43:40『CREA』(1990/7月号)「環境問題にゼッタイ強くなる ソ連、中国、北朝鮮 日本の周りのコワーイ原発マップ」。同誌(1991/3月号)「放射能も確かにコワイけど…[1%の可能性]と[99%の安全性]に疲れ果てた街。※若狭湾周辺の原発」など。
2011-10-11 16:49:45『家庭画報』(1988/5月号)「放射能時代だから あなたの食卓は安全ですか」。『クロワッサン』(1989/10/10号)「主婦は変わった! なんと生き生きと生きる主婦たちよ! 原子力発電所の問題は、ひとつのきっかけです。問題意識を持って生活するようになりました」。
2011-10-11 16:52:42『MORE』(1988/6月号)「安藤優子のMOREジャーナル 知れば知るほど怖くなる 原発は本当に大丈夫?」。『婦人公論』(1988/6月号)「WOMEN SCIENCE ここが知りたい 原子力発電」。ざっとこんな感じ。
2011-10-11 16:58:39『MORE』のように社会人を対象にしたファッション雑誌では、チェルノブイリの事故や原発のことを事故当時から取り上げていた可能性は非常に高い、それが高校生〜大学生対象の雑誌だと可能性やや落ちるというところ。事故直後の『non-no』には気配すらなかったし。
2011-10-11 17:02:48