モルトケ元帥生誕祭

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もちはらみなみ @rokuharaminami

26日はモルトケ元帥の生誕日でしたか。 またモルトケ祭でもやろうかしら(・・?)

2011-10-21 18:19:49
もちはらみなみ @rokuharaminami

祭用のお話を探していたらフライングしてしまった…。元帥ステキな発言や逸話がいっぱいあるから、どれがいいか迷ってしまう(´-`).。oO

2011-10-21 18:38:09
もちはらみなみ @rokuharaminami

うそうそ、1867年です!打ち間違えました! RT @rokuharaminami モルトケ元帥って現役軍人だけど、選挙で選ばれる国会議員でもありました。複数の選挙区で当選なんてこともあったそうですが、少なくとも1967年にはベルリン選挙区で落選したんだとか。

2011-10-21 18:39:16
もちはらみなみ @rokuharaminami

TLにオランダ人の高身長の話が見えたので、モルトケ元帥と日本人将官の身長の話。フライング、モルトケ元帥生誕祭(笑)主役は山田顕義中将。

2011-10-25 12:13:03
もちはらみなみ @rokuharaminami

岩倉使節団の欧州視察に随行した山田少将(当時)だったが、背が低く肌も白く髭もなく、そしていまだ30歳にもなっていなかった。欧州人はそんな少将を見て、不可思議に「日本は少年の将官がいるのですか?」とたずねた。

2011-10-25 12:16:05
もちはらみなみ @rokuharaminami

当時の日本陸軍には山田少将、鳥尾中将の二人が年若の将官として知られており、ともに「天下の奇才」と称せられていた。山田少将がドイツを訪れた時、モルトケ将軍はその年少なるを見て、種々の奇問を発して少将を試した。

2011-10-25 12:19:07
もちはらみなみ @rokuharaminami

山田少将は詭弁即答し、談笑の間、終にモルトケ将軍を屈した。モルトケ将軍は少将の「奇才天縦測度すべからざる」に驚いた。 以上、近世偉人百話 / 中川克一編 より

2011-10-25 12:21:35
もちはらみなみ @rokuharaminami

人は身長じゃないのよー、という事ですかね。まぁ170㎝がチビだとか背が低いとか言われるドイツにおいて160㎝もなく29歳だった山田少将は少年に見えちゃいますよね。

2011-10-25 12:23:26
もちはらみなみ @rokuharaminami

山田顕義は26歳で少将、34歳で中将。鳥尾小弥太は23歳で少将、28歳で中将。創成期とはいえ圧倒的に若い二人!

2011-10-25 12:27:08
もちはらみなみ @rokuharaminami

モルトケ元帥と日本将校関係で調べていて気になったのが、川上大将と乃木大将との事。この二人が明治20年にドイツに留学したさい、モルトケ元帥からフランス語もできる士官としてデュフェ(デュフェー?)参謀大尉を紹介された。

2011-10-25 19:18:42
もちはらみなみ @rokuharaminami

2人はデュフェ大尉から野外要務令についての講義を受けたとのこと。 モルトケ元帥はデュフェ大尉を日本からの留学将校の伊地知幸介大尉(当時)にも紹介している。

2011-10-25 19:23:18
もちはらみなみ @rokuharaminami

しかし、川上大将のドイツ留学時期の日記(簡易メモ?)を見るとデュフェ大尉の名前は一度もあらわれてこない!かわりに頻繁に出てくるのは、リユハアイス参謀大尉の名前である。

2011-10-25 19:26:06
もちはらみなみ @rokuharaminami

リユハアイス大尉は参謀本部長(ママ)モルトケよって川上・乃木両将官の附属となる事を命じられた。大尉はその夫人ともども2人をもてなし、日々随伴してまわっていたという。

2011-10-25 19:30:29
もちはらみなみ @rokuharaminami

なんで川上大将のメモの中にデュフェ大尉の名前がないのかしら? グナイストの講義を受講したことは書いてあるけれど。謎。そして、リユハアイス大尉って何もの?

2011-10-25 19:33:23
もちはらみなみ @rokuharaminami

明日のためにアイコン変更~♪ モルトケ元帥(プール・ル・メリット付き)。 では、おやすみなさいー。

2011-10-25 22:48:39
もちはらみなみ @rokuharaminami

【モルトケ元帥生誕祭】 10月26日は、Helmuth Karl Bernhard Graf von Moltkeこと大モルトケの誕生日です。今日はモルトケ元帥の発言を中心に半bot状態で元帥生誕祭をおおくりします!

2011-10-26 06:50:08
もちはらみなみ @rokuharaminami

1800年10月26日、メクレンブルグの小邑パルヒムParchimにて、デンマーク軍将校の父Friedrich von Moltke とプロイセンの旧家出身である母 Henriette Pauchenの三男として生まれる。すでに2人の兄がおり、後に弟が2人妹が3人生まれる。

2011-10-26 06:56:36
もちはらみなみ @rokuharaminami

1811年、11歳の時に兄フリッツと共にデンマーク王立陸上幼年学校に入校。ここの教育はスパルタ的なものであった。 『私はのちに母のもとを去ったが、確かに私は何の教育も受けなかつた、ただ笞を貰つただけであつた。それがしばしば私には悲しかつた。』

2011-10-26 07:20:11
もちはらみなみ @rokuharaminami

晩年には『取扱ひが余りに厳格苛烈すぎた』と述べているが、この時代の楽しい思い出として、Hegdrmann Lindencrone将軍の3人の子息との交友を挙げている。

2011-10-26 07:23:55
もちはらみなみ @rokuharaminami

この時代の友人曰く、「彼の鉄の如き勤勉と勢力的な意志とは、いかなる課題をも恐れず、それを確実になし遂げることができた。 交際に於ては話好きで愛想よく、勤務と勉強に於ては真面目で控え目」であった。しかし身体は弱く、毎年のように士官学校で発熱していた。

2011-10-26 07:39:58
もちはらみなみ @rokuharaminami

『生れつきの性格からすれば軍人には向いていなかった。考古学を研究して、大学の歴史学の教授になるのが夢だった。だが乏しい実家の収入では士官学校で教育を受けるしか途はなく、軍人になる以外の選択肢はなかった』 (甥の小モルトケにあてた言葉)

2011-10-26 08:23:24
もちはらみなみ @rokuharaminami

1822年にプロイセン陸軍に入る。試験委員長はグナイゼナウで、合格証書は彼が署名している。 23年には士官学校に入校し、校長はクラウゼヴィッツ少将であったが直接指導をうけることはなかった。モルトケは地理学と物理化学に熱意を傾けた。

2011-10-26 08:57:34
もちはらみなみ @rokuharaminami

【故人モルトケ】 1845年にモルトケの『露土戦史1828-29年』が出版され、54年には英訳された。しかしこの時英語版には翻訳者からバロン(フライヘア、男爵)・モルトケはすでに生きていないと紹介されていた。

2011-10-26 10:10:14
もちはらみなみ @rokuharaminami

1936年初め、参謀総長からトルコに数年滞留する気はないかと問はれた事について。『要するに僕は希望したといふよりはむしろ拒絶したといつた方がいいでせう。しかし問題は一切総長の決定に一任しました。それがいつも最上の方法です。』 (母親宛の書簡)

2011-10-26 11:01:22