青年団『ソウル市民五部作』感想ツイートなど
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アイオワ州にいる。ミネアポリスからの飛行機で隣り合わせた東洋系の顔立ちの大学の先生(航空力学)は、ブラジルでの講演からの帰り道だった。ブラジルには日系人が多いという話をしながら、サンパウロ市民のことを思った。
2011-12-05 08:13:04いつ行ってもお手洗いに花が飾られているのが嬉しかった青年団ソウル市民五部作連続上演は、昨日12/4の『ソウル市民1939恋愛二重奏』で5作品すべて観劇できました。作品は無論、今日はなんの花?も楽しみに吉祥寺シアターに通いました。フリージアだった日は清々しい香り。スタッフの心遣い。
2011-12-05 05:35:05ソウル市民五部作の役の入れ替えで思ったのはチェルフィッチュによる複数の俳優が一人の役を演じてみせる「発明」は演劇の原理を解いた「発見」だったのだなということ。
2011-12-05 00:16:00五部作通してみていちばん印象的だったのはそれぞれ手法が少しずつ違うこと。渋谷陽一が昔「ツェッペリンが凄いのはアルバムごとに違うことを実験していることだ」と言っていたが、それと同じ。『昭和望郷編』のコラージュはしかし凄い。古今東西の様々な演劇手法が「つぎはぎ」されている。
2011-12-04 23:34:31→連続上演でおもしろかったのはひとつの役柄を異なる俳優が演じ、あるいはある作品で<書生>を演じていた俳優が別の作品では<篠崎家長女の婚約者>を演じるというような入れ替わりが短時間で見られたこと。それは結果的に虚構の意識化を促していた。簡単にいうと、頭がすげえこんがらがった。
2011-12-04 23:32:24五部作を通しで見て『1919』の魅力を発見したことがいちばん大きな意義で、つぎが『望郷篇』が『ソウル市民』の次にすぐれた作品であることを再確認したこと。新作はそれぞれ違った意味で失望しましたが、『1919』と同様、再演すればその魅力を発見できるかもしれません。
2011-12-04 23:28:08『サンパウロ市民』はその点で安心しました。単体としては相当つまらなかったけれど、あの作品全体が持つ偽物くささ、フェイク感は五部作のバランスを考えれば絶対に必要でした。ことに『恋愛二重奏』が本物、正史ぽくなってしまっていたので。
2011-12-04 23:21:13→一方で「歴史」という神の視点を作劇中のどこの景に置くのかということが極めて慎重に丁寧に考え抜かれていたと思う。神になって嘯きたくはない、そんなものは観たくないよ。
2011-12-04 23:20:58ソウル市民。生活者の無自覚な、あるいはまだ名付けられなかった悪意や悲しみや喜びが歴史のパースペクティブを重ねた時にビビッドに浮かぶ瞬間に胸を打たれたのだけれど、『恋愛二重奏』での「篠崎のすき焼きが一番うまいよ」が五部作観劇の最後の台詞だった。じんわりと深く効いている。
2011-12-04 23:12:43個人的には、平田が家元制度という日本の闇にこれ以上踏み込まないためには、『東京ノート』の続篇続々篇を書くべきだと思っています。歴史/過去から離れて80年代小劇場演劇的な近未来を描くこと。それがいかに嘘くさく薄っぺらくても、歴史の重み=正統性から距離を保ち続けることは必要です。
2011-12-04 23:10:44ボードリヤールとかディック『電気羊』に影響を受け「本物/偽物」の主題ばかり扱った80年代小劇場演劇から平田は遠く隔たっているように見えますが、出発点はそこにあります。平田が新しかったのは「本物/偽物」の主題を歴史と連結させたこと。80年代小劇場演劇はまた歴史の忘却も特徴的でした。
2011-12-04 23:05:55脱線ついでに。「偽史」としての『ソウル市民』という主題は偽物の闖入というエピソードにだけでなく「大篠崎商店の歴史」の編纂というエピソードにも現れています。「本物」と「偽物」の緊張関係は平田作品のほぼ全てに見られる主題ですが、80年代小劇場演劇の主題でもあった。
2011-12-04 23:00:55もちろん、平田オリザは『ソウル市民』五部作で家元制度に代表されるリゾーム的=日本的増殖を相対化して描いている。因みにの因みにで脱線を重ねますが、青年団リンクというのが胡散臭いのは家元制度っぽいからです。あそこでの平田はミイラ取りがミイラのようなもの。家元になってしまっている。
2011-12-04 22:51:12とはいえ椹木が無節操な/原理なき増殖にオウム真理教を見るのは正しい。早稲田小劇場/SCOTだってカルトだと言えなくもないわけで。リゾーム的だといえば西洋近代批判になるわけですが。篠崎宗一郎という原父の身体から根茎のように増殖していく篠崎家の日本人たちと家屋の建て増しが重ねられる。
2011-12-04 22:47:07ちなみに『ソウル市民』では「建て増しばかりして」という台詞が出てきていますが、これは鈴木忠志のエッセイ「合掌造との出会い」を踏まえています。「日本の家屋の空間構成は、自分の好みに合わせてつぎはぎ的改造ができる」「一人の人間の身体を媒介として生き物のように変わっていく」
2011-12-04 22:32:06上手袖へのはけは音楽の不協和音のようなもので異様ゆえに強い印象を残す。『ソウル』の娘たちは脇役ですが上手袖にはけることで観客は台詞や役柄以上に何か強い意味があると無意識に刷り込まれるわけです。「余分」ではあるけれど無駄ではない。五部作を続けて見ると上手袖から女の匂いすらしてくる。
2011-12-04 22:29:36下手奥は下手袖と異なり観客は視線を向けやすい。しかし上手袖の出ほど劇的にはならない。他方、下手袖ほど「ひそやか」な出にはならない。とりわけ『ソウル』舞台装置では廊下が長いので、花道的な性格も帯びる。舞台に来る前に観客は歩き方で来客の性格や心理状態を察することができるわけです。
2011-12-04 22:22:41「『一本刀土俵入』は手法としては近代戯曲として書かれていますからそれも間違いじゃない」。少々話題がずれましたが、『ソウル市民』五部作の妙味の一つは下手袖を殺して下手奥から来客を登場させ、上手袖に娘たちを退場させるように作った舞台装置にあります。近代戯曲のお約束事の裏を書いている。
2011-12-04 22:16:53ソウル市民五部作、今日最後だったんだ。結局「サンパウロ市民」しか観なかったなー。ソウル市民が1989年初演ってほんとにすごいことだよねと今回改めて思った。
2011-12-04 21:35:44青年団「サンパウロ市民」吉祥寺シアター. ソウル市民シリーズは未見だが, ブラジル移民史を齧っていれば充分に面白く, 時に切ない. 控え目だが自然で立体感のある人物造形は好み.
2011-12-04 21:27:2410月から11月の異常なほど多忙な中、青年団の「ソウル市民」5部作を順番に観ることができたのは、素晴らしい収穫だった。深田晃司監督の原点がここにあったことはもちろんだが、大手の映画のどんな大作よりも、豪華な俳優陣とその演技力‥、すべての映画関係者に観てもらいたいシリーズだった。
2011-12-04 20:45:44(4) 経済の推進の理由で再稼働を進める原発…経済が好転する可能性がないのは目に見えてるのにすがる…現在描かれる物語。行き着くところまで行き金融破綻を迎えるのか、戦争も視界に入るのか…あまりに重なるものが多すぎスリリングな体験となった。青年団「ソウル市民1939 恋愛二重奏」
2011-12-04 20:12:29昨日は「ソウル市民 昭和望郷編 」を観に行きました。彼らの日常をホントに切り取ったかのようなどこまでも客観的な視点や「その外」を確かに感じさせる演出が切れ味抜群でした。どこか観客を簡単には安心させてくれないとこがあって、うーむ、と唸ってしまいました。
2011-12-04 20:06:05(3) それは数十年後、2011年を振り返った時、滑稽で何故そんな道を行ったのかと思うだろうことに重なるのだ。市場を植民地に求めた過去の変奏としての新自由主義のTPPがあり、中央集権体制志向の維新の会が躍進した2011年。青年団「ソウル市民1939恋愛二重奏」
2011-12-04 20:00:26