20091216- : heis101 contractio

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縮限 @contractio

#mutual_us 「「僥倖」は意識されないからこその幸せ」だということですが、それは誰に識られないのでしょうか。誰にも識られないなら、inf.さんはどうしてそれについて語りうるのでしょうか。

2009-12-22 17:22:20
縮限 @contractio

#mutual_us あるいは、誰かには識られるのでしょうか。ならばそれは「思いがけない」という辞書の記載事項と、どれほどの違いがあるのでしょうか。

2009-12-22 17:23:07
縮限 @contractio

#mutual_us 思うに、inf.さんは、「僥倖」というシンボリックな表現を酷使しすぎです。この言葉で述べたい事柄の検討まで立ち返って、言葉の選定も併せて やりなおしたほうがよいのではないでしょうか。

2009-12-22 17:24:16
縮限 @contractio

#mutual_us 次に、「思い込む」とか「擬制」といった表現について。

2009-12-22 17:24:21
縮限 @contractio

#mutual_us これらの表現は、それをそのように認定できるための審級を必要とします。つまり、「実際は・ほんとうはそうではなのに、そのように私は思い込んでいた」と語ることを可能にする「実際はどうなのか」という審級がないなら、それを「思い込み」と語ることすらできないはずです。

2009-12-22 17:24:41
縮限 @contractio

#mutual_us なので、「実際・ほんとう」に相当する審級をあわせてあげていただくか、それができないなら、「思い込み」「擬制」の代わりに別の言葉を選定していただくかのどちらかをリクエストします。

2009-12-22 17:24:50
heis101 @heis101

#mutual_us それはそうなんだけどさ。“不確かさ”はいかに計られているか、なんじゃないの。inf.さん(と私)の関心の矛先は。「やりとりは、「ここで理解が達成されたか否か-の-不明確さ」を資源にして進んでいく」http://j.mp/8niyDT

2009-12-22 21:51:54
heis101 @heis101

#mutual_us やりとりが誤解を資源として進んでいく実例があるのは分かる。だが、その実例がなぜ可能となっているのかは、我々に知られているのであろうか。

2009-12-22 22:08:41
heis101 @heis101

#mutual_us 「やりとりのなかで我々には非常に多くのことが分かっており、また多くの手がかりを互いに与え合っている」とは、要するに、やりとりにおいて一方が体験する主観的な情報を自明なもの(分かっていること)と非自明なもの(手がかり)とに区分したに過ぎない。

2009-12-22 22:09:25
heis101 @heis101

#mutual_us contractio氏は「やりとりが誤解を資源として進んでいく」という当たり前のことに無自覚なまま「外延の近接」はなぜ可能かを問うとおかしなことになる、とは言うが、これをちゃんと自覚したうえで問うことまで、おかしいとは言っていない気がする。

2009-12-22 22:40:48
heis101 @heis101

#mutual_us ところで、inf.氏が「外延の近接作業が可能となっていること」を奇跡のように思えたのは、「やりとりは誤解を資源として進んでいく」という当たり前のことを無視していたからなのだろうか。どうもそのあたりが怪しい気がする。

2009-12-22 22:46:58
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