- contractio
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最初は「うわーinf.さん嫌な奴!」とか思ったが(笑)、読み進めていくうちにinf.さんの問題意識が分かってきた(悪気がないことをも含めて)。一発目のボール問題ね。「僥倖」の理由も多分そこにある。うーんとね、…外挿、じゃないかな。 http://j.mp/7UTP4g
2009-12-16 06:54:37僥倖の発生と外延の近接は同一の事象ではないかしら。外延が近接していく際に通過する経路は必ずしも一つではないことを、inf.さんは僥倖と表現されている気がする。その意味では、外延の近接⊃僥倖の発生、なのかもだけど。 http://togetter.com/li/1817
2009-12-16 06:55:54「僥倖」という言葉でどんなことが考えられているのかは判明ではないですが、@inflorescencia さんは RT @heis101: 僥倖の発生と外延の近接は同一の事象ではないかしら。 http://ow.ly/Mw72
2009-12-16 09:44:13、「外延を近接させる作業」よりも前に「選択肢が狭められる」という事態が生じ_得_て_いる、と考えているように読めます。(→すると、「違う」という話になりそうな気がするんですが) RT @heis101: 僥倖の発生と外延の近接は同一の事象ではないかしら。
2009-12-16 09:45:03@heis101 @inflorescencia さんは、「外延を近接させる作業」よりも前に「選択肢が狭められる」という事態が生じ_得_て_いることを指摘しているように読めます。
2009-12-16 12:07:09@heis101 この点で、@heis101 さんは、@inflorescencia さんとは異なる主張をしようとしている、という理解でよいですかね。(確認)
2009-12-16 12:07:17それには私も同意します。RT @contractio: @heis101 @inflorescencia さんは、「外延を近接させる作業」よりも前に「選択肢が狭められる」という事態が生じ_得_て_いることを指摘しているように読めます。
2009-12-16 20:35:24. @contractio 「外延を近接させる作業」という概念を広く取れば、「選択肢が狭められる」という事態もまた、その概念の範疇に入る(入れることができる)のではないか、というのが、私が思ったことです。多分。 @inflorescencia
2009-12-16 20:41:04. @contractio 入れるとどういう利点があるか→ @inflorescencia さんの疑問点の解消につながるかもしれない。/どのように入れれるか→ 近接する際の経路の違いとして入れることができる、と、思っていますが、もうちょっと論理的な整理が必要な気もしています。
2009-12-16 21:00:37@heis101 「少なくとも一見したところ相容れない(か距離がある)ように見える二つの主張のうち、どちらかを他方に包摂できるならば争点は消える」というのは、一般論としてまことにごもっともです。が。 <「@inflorescencia さんの疑問点の解消」という利点
2009-12-16 22:13:00@heis101 さしあたりまずは「外延を近接させる作業」(@tricken)は能動的、「選択肢が狭められる」(@inflorescencia)は受動的、という違いを指摘できそうです。なので、どちらかをどんなに拡張しても、他方を包摂することは無理では?
2009-12-18 07:33:31.@contractio 「外延を近接させる作業」として、無意識のうちに行なわれているものをも含めることにすると、「外延を近接させる作業」は能動的(なだけ)だ、とは、一概には言うことができなくなるかと思うのですが。
2009-12-18 07:40:20@heis101さらに、「外延を近接させる作業」ができるためには、先行するやりとりについてのなんらかの理解が(=「選択肢が狭められ」ていることが)必要ではないですか?
2009-12-18 07:42:28@heis101 そうだとすれば、@heis101さんの主張とは逆に、「近接作業」のほうが「選択制限」に依存する、と言えそうにおもうのですが、どうでしょう。
2009-12-18 07:43:41.@contractio 「近接作業」の概念を無意識下で行なわれるものにまで拡張しても、「近接作業」自体が何かしらの「選択制限」に依存しているという事実は変わらないというご指摘ですね。でもその場合、「選択制限」と呼ばなくても、「構造」とかでも何でもいい気がしますがどうでしょう。
2009-12-18 07:57:17@heis101 このやりとりの冒頭では、ある言葉に対して、参加者たちが異なる外延を想定しているために遣り取りがうまくいかないことがある、と述べられています(なるほど、そういうことはよくあります)。 http://togetter.com/li/1817
2009-12-18 08:02:02@heis101 ここで @inflorescencia さんは、@tricken さんに対して、次のように問うて見たらよかったのではないかと思います:
2009-12-18 08:02:34@heis101 「いったいどうやって あなたは、「そのやりとりが うまくいかないこと」の理由が、ーー他の理由ではなくてーー「語に対する外延の不一致」である、ということが わかったのですか?」
2009-12-18 08:06:00呼び名はなんでもよいです。(ここで使った表現は、 @inflorescencia さんが使ったものを短縮しただけです。) RT @heis101 .@contractio 「近接作業」の概念を無意識下で行なわれるものにまで拡張しても、「近接作業」自体が何かしらの「選択制限」に依
2009-12-18 08:11:45.@contractio 「近接作業」という概念を無意識のうちに行なわれているものにまで拡張すると、 @inflorescencia さんが想定されたような「選択制限」には少なくとも依存する必要がなくなるのではないかというのが私の考えです(ほかの何かに依存する必要はあるかもです)
2009-12-18 08:17:42それは相当に不思議な主張ではないでしようか。やりとりの中で与えられる選択制限なしに、近接作業は、どうやって やりとりに関連付けられうるのですか? RT @heis101 「近接作業」という概念を無意識のうちに行なわれているものにまで拡張すると、@inflorescencia
2009-12-18 08:28:39@contractio あれ、選択制限ってやりとりのなかで与えられるんでしたっけ? やりとりがはじまる開始直前の段階ですでに起こっている僥倖のことを「選択制限」と呼んでいたものとばかり思っていたのですが…。(「選択制限」の語義の認識に食い違いがありそう)
2009-12-18 08:47:25@heis101 この言葉は、@inflorescencia さんの「ルーマン?」(19:34:02)という問い掛けに対する @tricken さんの返答に対して使われています(20:53:48)。http://togetter.com/li/1817
2009-12-18 09:14:49@heis101 そして、[20:53:48] は、「@inflorescencia さんの [19:34:02] が、@tricken さんに選択制限を与えたからこそ、それを資源として [19:44:54] のポストが可能だったのではないか」、
2009-12-18 09:15:08