さかな家女将さんの震災直後の様子

福島県矢祭町在住のさかな家女将さんの震災直後の様子についてのツイートをまとめてみました。
復興 震災 東日本大震災 福島県 原発
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安東量子 @ando_ryoko
自分自身の原発事故後の行動を書いてみます。連続twになります。
安東量子 @ando_ryoko
3/11在宅中に地震発生。うちの地域は被害は軽微で、停電もせず、家屋被害もほとんどなし。棚のものが落ちた家があるくらい。大津波警報が出て、岩手・宮城で被害が出ているらしい事は夜にはわかったが、近隣の様子はまったくわからず。夜、断水。車で山方向に行けば山水があるので危機感はなし。
安東量子 @ando_ryoko
その日、水汲み場で下から水汲みに来ていた人から、津波の被害の様子を聞く。集落が丸ごとなくなっていると。水がなく、ガソリンスタンドも軒並み閉まっているので、街場の水不足はかなり深刻と聞く。住宅街のお客さんは大変かもしれない、と、翌日は様子伺い兼ねて水を持ってお客さん回りをする事に。
安東量子 @ando_ryoko
3/13水を入れる容器がないので、フォロワーさんに教えてもらったポリ袋二枚重ねにしたものに水を入れて、地震後初めて下界におりる。交通量が異様に少ない。地震の被害自体は、屋根瓦が落ちている家が目立つ程度で、あまり大きくはないようだった。道路に若干段差ある箇所もあった。
安東量子 @ando_ryoko
3/13水を入れる容器がないので、フォロワーさんに教えてもらったポリ袋二枚重ねにしたものに水を入れて、地震後初めて下界におりる。交通量が異様に少ない。地震の被害自体は、屋根瓦が落ちている家が目立つ程度で、あまり大きくはないようだった。道路に若干段差ある箇所もあった。
安東量子 @ando_ryoko
ちなみに、うちの地区は、地震後一度も停電していない。ただ、電話は自宅、携帯ともにほぼ不通に近い状態。遠地はかかりやすいようで、親族との連絡は、何度もかけなおせばできた。ネットは地震直後からずっと不通。TVはもともとつないでいないが、携帯のワンセグで視聴できた。
安東量子 @ando_ryoko
3/13続き。住宅地、水不足が深刻。給水車がほとんど出ておらず、給水ポイントが遠い人は、ガソリン不足のせいで車も出せず、1人6Lの水を手で運ぶ。ご主人が医療者で病院詰めの小さなお子さん抱えたお客さんの所に水を持って行くと、奥さんは泣き出してしまった。それくらい水不足が深刻だった。
安東量子 @ando_ryoko
原発避難区域が拡大された事は知っていたが、どうなんでしょうね?とお互い話す程度で、深刻さはあまりなし。帰り道、路上から津波被災地が見えるポイントから、初めて津波被災地を見る。呆然。TVでは三陸や宮城の被害を繰り返し伝えるが、福島県内の津波被災地情報は一切なし。
安東量子 @ando_ryoko
この日、医療従事者のお客さんから、病院は拍子抜けするほど軽症者ばかり、と聞く。海岸付近、ご遺体が漂着している場所があるらしい、と。生と死の明確な境界線。また、ヨウ素剤の備蓄があることも聞く。店頭商品ほぼ空っぽ。閉まっている店舗ばかり。開いている店舗に静かに列をなす人々。
安東量子 @ando_ryoko
3/14引き続き、水配り。3/13夕方には、自宅近辺は断水回復。午前中は変わりなし。昼過ぎに回ったお客さんから、皆、一様に不安げな表情に変わる。後から知ったが、原発の爆発映像がその頃TVで流れたらしい。夕方、お客さんから49号大渋滞なのでそれ以外に中通りに抜けるルートはないかと。
安東量子 @ando_ryoko
3/14夜から、遠地の親族から次々に電話がかかってくる。ワンセグでTV視聴。TV以外に一切情報入らず。避難を真剣に考え始める。水配りには軽トラを使い、乗用車のガソリンは満タンなままなので余裕あり。翌朝まで判断を持ち越し。自分たちよりも南相馬25km地点にいる両親が心配だった。
安東量子 @ando_ryoko
3/15朝、次々と爆発する原発映像を目に、避難を判断。親族から避難しろの電話が次々と。南相馬の両親を迎えに行きたかったが、海沿い6号ルートが使えず、山ルートで南相馬までの往復ぶんガソリンが間に合うか不安なため、一度、水戸の親戚宅へ行き、ガソリンを調達することに。
安東量子 @ando_ryoko
水戸もガソリン不足は深刻だったが、なんとか調達。物資は、店を探せばいわきに比べると比較的余裕ある。親戚宅でネットに接続し、いわきへの物資や救援が断たれている事を知る。まばらな自衛隊車両以外は、県外ナンバーはほぼ一切入ってきていなかった。
安東量子 @ando_ryoko
3/16夫が水戸から南相馬両親を迎えに。両親、来られるところまで来てもらって待ち合わせるようにしたが、ガソリンの残量少なく、飯舘の叔父宅で待ち合わせる事に。携帯での連絡は比較的取りやすかった。叔父が東和まで送ってくれた。無事合流し両親水戸へ。その夜、天候が荒れ、飯舘では積雪。
安東量子 @ando_ryoko
3/16夜、初めて政府が各地の放射線量を発表。いわき市平23μSv/h、最高値。おそらくプルーム通過時。すぐに下がっていた。その後は、ネットにかじりついて、ずっと情報収集。いわきの不在宅は、断水地域の友人の避難先にしていた。その友人が北海道へ避難すると言うので、3/19一時帰宅。
安東量子 @ando_ryoko
一時帰宅のついでに、いわき市内で不足している紙おむつなどを避難所になっている近所の支所に差し入れ。山間部で人が少ないせいもあって、比較的落ち着いた雰囲気。街中の津波被災地そばの避難所は物資不足で大変な状況であったらしい。
安東量子 @ando_ryoko
避難先親戚宅ではすることもなく、ひたすらネットで情報収集。情報が錯綜する中、まだTLも原発事故仕様になっておらず、フォローしている方の中で精度良い情報を流してくれる方が非常に有り難かった。 @Pines1 さんがダントツだった。この件、お礼を言ってませんでした。ありがとうです。
安東量子 @ando_ryoko
避難先で、山下俊一氏の福島県内講演録を読む。経歴等確認し、信用できると判断。その他の信頼おけそうな情報と勘案し、3/23帰宅。避難先は、することがなく、実に過ごしにくい。避難先から戻った人は、皆、口を揃えて「あれでは身体をおかしくしてしまう」。
安東量子 @ando_ryoko
3/23以降は、ごく普通に過ごす。物資、特にガソリンの問題は、3月末頃にかなり回復。4月に入ると、まだまだ品薄ながら、ほぼ回復。疲れたので、この辺で終了。備忘録代わりに。長々と失礼しました。
さかな家おかみ@矢祭町 @okami_sakanaya
先日安東さん@ando_ryokoが連続TWしていた「震災直後の様子」を、私もやっておこうと思った。私の暮らす矢祭町は震災直後からどうも他の「被災地」とは様子が違ったようだ、ということもあったからだ。途切れ途切れになるとは思うけれど、記録としてつぶやいてみようと思う。
さかな家おかみ@矢祭町 @okami_sakanaya
まずは矢祭町の位置。県最南端の町。県庁所在地で言えば、福島県庁(福島市)より茨城県庁(水戸市)の方が圧倒的に近い。また、福島第一原発からは南西に80km超のところにあります。地図はこちら http://t.co/5wLMF2FS
さかな家おかみ@矢祭町 @okami_sakanaya
3/11は金曜日。週末ということで宴会等の予約が多く、地震直前までその日の予約の料理の仕込みやその他もろもろの仕事に追われる。オットは調理場で、私はその中の事務仕事をするスペースにて「そのとき」を迎えた。
さかな家おかみ@矢祭町 @okami_sakanaya
緊急地震速報が鳴って、その後すぐ揺れ始めたときは仕事の手を止めなかった。が、「なんかおかしい」というオットが私を急かして外に出た。その後強い揺れ。震度5強。隣の鮮魚店で仕事をしていた義父と3人、中庭でやっと立っていた。義母は散歩中。橋の真ん中で「振り落とされるか」の揺れを体験。
さかな家おかみ@矢祭町 @okami_sakanaya
長く強い揺れが一瞬収まった時、私が考えていたことは逃げ道の確保と近隣のお年寄りの安否だった。中庭は万が一店と義両親の家が崩れたら逃げることが出来ない。また、ご近所は二世帯以上同居のお宅が多いのだが、昼間はお年寄りだけで過ごしているお宅が多い。落ち着いたらすぐに様子を見に行こうと。
さかな家おかみ@矢祭町 @okami_sakanaya
幸いにも家が崩れることも、塀が全壊したところもなく、大きな揺れが収まったときすぐにご近所に声をかけた。停電だったけど、明るかったし寒さを感じなかったので不安感はなかった。お茶を入れて近所に配り歩く。家族がそばにいない不安感を和らげられたらと思って。
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コメント

ちくわぶ大将軍@萬年ウデマエB帯 @Kirokuro 2011年11月2日
安東量子さん(@ando_ryoko)の間違えでした。すみませんでした。
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