一人称「僕」の略史/自意識から共通過去を再構成すると?
- nirvanaheim
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ふと「僕」の話題を思い出し、日国で引いてみる。 ❷〔代名〕男子の自称。 *談義本・根無草〔1763~69〕前・三「僕(ボク)儀は何によらず、祝儀の席をはづさず、仁義礼智のはしくれも覚へしとて、儒者の数に加へらるれば」 ……
2011-11-10 15:21:04…… *交易問答〔1869〕〈加藤弘之〉下「オット才助大人、俟(まち)たまへ俟たまへ、僕はまだ咸服いたさん」 *安愚楽鍋〔1871~72〕〈仮名垣魯文〉二・下「ハイ僕(ボク)なぞも矢張(やっぱり)因循家のたちであまり肉食はせなんだが」 *司馬相如‐子虚賦「欲夸僕以東騎之衆」
2011-11-10 15:21:44割と、慣習儀礼に通じた方の人が使う表現として江戸期に認識されていた(それでおそらく作品中に揶揄めいた形で運用されている)らしいことが窺えますね。
2011-11-10 15:24:47【語誌】(❷について) 漢文の中では、古代から男子の、非常にへり下った表現として見られるが、訓読されるのが一般的であった。奈良時代の訓は不明だが、平安時代以後は「やつがれ」がふつう。 ……
2011-11-10 15:25:43……江戸時代の漢文から「ぼく」の形で、対等もしくは目下の者に対する自称の代名詞として青年・書生などが使った。以後多用されるようになり、現代では、年齢にかかわらず用いられるが、特に少年男子の自称として広く用いられる。……
2011-11-10 15:25:55……また、子どもが自分を指して言うのを利用して、大人がその子に呼びかけるのに用いることもある。
2011-11-10 15:25:59まあいつもの、一定の文化的上層における習俗が、社会全体の底上げによって敷延していったというパターンですね。
2011-11-10 15:28:44●http://t.co/1jiTzUxx 〝周知の通り、「僕」という呼称は三田誠広の『僕って何?』や栗本薫の『ぼくらの時代』等の本が証言するとおり ┉ 全共闘世代や安保闘争の世代に使われた「我々」という一人称複数の呼称に対するカウンターアタックとしての起源を持つ〟
2011-11-10 15:35:15●http://t.co/1jiTzUxx 〝だから、私は一人称に「僕」を使うのはいかがなものか、と主張する。書き手としての自律・自立した意識を持つということは、読者に媚び、甘えることではないのだ。むしろ、積極的に対立することなのだ〟
2011-11-10 15:35:42自意識と自分史から過去を構成すると(また、そういう複数の「自分」が複合体をなすと)こうなるわけですね。
2011-11-10 15:36:48いやもちろん、「現代における『僕』の用法は、一般的に、ポスト二次大戦期のカウンターカルチャーに起源を持つものであり、それ以前の用法とは区別されるべきものである」という言明が正しい可能性はありますし、今のところその真偽を判定する能力はわたしにはありませんが。
2011-11-10 15:39:34一応、現代と変わらぬ感覚と思われる日国所載の用法(さっきのとこれで全部)も置いておきますね。 *風の中の子供〔1936〕〈坪田譲治〉「お父さん、ボクさっきから待ってたんだよ」
2011-11-10 15:41:24