「他人のつらさがわかる」について
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「他人のつらさをわかるようになる」は不可能だ。つらさを「わかる」はその人自身ではないので不可能。その人自身ではない他者、つまり我々にできることは「わかろうと考える」。わかることができないのに、わかろうと努力することは矛盾するだろうか?きっとそうではないと思いたい。
2023-05-18 22:45:57情報を集めて推察して、その人自身の過去と現在と未来に思いを馳せる。わかろうと考える。絶対的な答えには辿り着けない。しかし、それが「思いやる」ということなのかもしれない。おおよそ答えに近い何かは掴めるかもしれない。
2023-05-18 22:48:48「全くわかろうとしない人」そしてむしろ「『わかる』と言う人」の方が危険度が高い可能性はある。「『わからない』ということがわかる」は大切なこと。人間は万能ではなく、人間は他人と完全な意味での同一ではない。無知の知、なんて難しい言葉もあるくらい。
2023-05-18 22:52:00つらさが『わかる』なんて簡単に言っちゃう人ほど、つらそうにしてる人のところへのこのこ行ってめちゃめちゃに掻き回しては自分が納得する答えを勝手に見つけていなくなる。寄り添う、という言葉の意味について考える必要がある。つらそうな人を自分自身に「寄り添わせている」なんて事例も散見する。
2023-05-18 22:55:42つらさを全て「解決できるもの」と考えるのは、少しばかり偏った考えかもしれない。むしろ大切なのは「つらさと折り合いをつけて共存すること」だが、これはとても残酷な道かもしれない。解決できると思いたいよなあ。だってつらいんだから。解決できるものもある、しかし解決できないものもある。
2023-05-18 22:58:06話を聞くだけ、なんて簡単で意味のないことに思えるかもしれない。しかし、話を聞かないことには何も始まらない。また、話を聞いてもらっても根本的には解決しないかもしれない。でも、話を聞いてもらうだけで楽になるつらさもある。実は「ただ話を聞く」にも専門的な技術があるんですよってこと。
2023-05-18 23:02:24人間と怪物は相互理解など不可能?たしかにその通りかもしれない。なぜなら、たとえ人間同士であっても、「家族」と呼ばれる血縁関係のある最小単位の社会の中ですら、人間はお互いを完全に理解することなどできないのだから。
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