memo: 加藤典洋と竹田青嗣“日本のロックを批評するということ”

2011/11/19(土)19:30~ ジュンク堂池袋 加藤典洋『耳をふさいで、歌を聴く』刊行記念トークセッション 「日本のロックを批評するということ」 加藤典洋(文芸評論家)×竹田青嗣(哲学者・文芸評論家)
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松岡正剛「千夜千冊」bot @1000ya_bot

1142夜『日本人の自画像』加藤典洋「それにはまず漢意をアタマから排除する。ついでその純粋な思考を「真心」あるいは「まことの道」とみて、その方法でたどった古言による古意(いにしえごころ)の世界を記述する(それが『古事記伝』になった)」 http://t.co/EoFWODnP

2011-11-18 08:20:02
松岡正剛「千夜千冊」bot @1000ya_bot

1142夜『日本人の自画像』加藤典洋「ここに「日本」という漢字2字があるとして、これを何語といえばいいだろうか。これだけでは中国語とも日本語とも判断がつかないにちがいない。どう読むのか、どのような意味なのかというと、さらに当惑する」 http://t.co/EoFWODnP

2011-11-18 10:20:03
松岡正剛「千夜千冊」bot @1000ya_bot

1142夜『日本人の自画像』加藤典洋「(ぼくはまったく逆で、物理学をどこまで極めようと、それとともにロックもパンクも芸談がありうると考えている)」 http://t.co/EoFWODnP

2011-11-18 13:20:01
松岡正剛「千夜千冊」bot @1000ya_bot

1142夜『日本人の自画像』加藤典洋「佐久間象山はアヘン戦争の知らせを聞いたのち、やっと朱子学を捨てて洋学に走った。宣長の方法があることを象山は知らなかったのだ」 http://t.co/EoFWODnP

2011-11-19 18:20:02
松岡正剛「千夜千冊」bot @1000ya_bot

1142夜『日本人の自画像』加藤典洋「福澤諭吉は独自な自画像のスケッチを試みた」 http://t.co/EoFWODnP

2011-11-19 10:20:02
松岡正剛「千夜千冊」bot @1000ya_bot

1142夜『日本人の自画像』加藤典洋「柳田は外の力を借りないで、いわば独自の漢意を日本の自画像につくりあげたのだ。常民などという概念は、そういう漢意をあらわしていた」 http://t.co/EoFWODnP

2011-11-20 08:20:01
松岡正剛「千夜千冊」bot @1000ya_bot

1142夜『日本人の自画像』加藤典洋「これによって徂徠が何を意図したかは、第1008夜に書いたように朱子学を批判した」 http://t.co/EoFWODnP

2011-11-20 13:20:02
松岡正剛「千夜千冊」bot @1000ya_bot

1142夜『日本人の自画像』加藤典洋「このような小林の継承に不満を申し立てたのが吉本隆明だった」 http://t.co/EoFWODnP

2011-11-21 07:20:02
松岡正剛「千夜千冊」bot @1000ya_bot

1142夜『日本人の自画像』加藤典洋「明治になると、かつてはあったかもしれない「この土地の思想」というものが音をたてて崩れていった。それとともに「民族の記憶」よりも「国民の誕生」が志向された」 http://t.co/EoFWODnP

2011-11-22 00:20:01
松岡正剛「千夜千冊」bot @1000ya_bot

1142夜『日本人の自画像』加藤典洋「日本は外側を意識して、アヘン戦争ののちにナショナリズムをつくったのである」 http://t.co/EoFWODnP

2011-11-22 14:20:01
松岡正剛「千夜千冊」bot @1000ya_bot

1142夜『日本人の自画像』加藤典洋「日本人自身はちゃんと自画像を描いたのか。どのように描いてきたのか。それはどこにあるのかというのが本書のテーマになっている」 http://t.co/EoFWODnP

2011-11-23 00:20:02
@amiquote

「わたしたちは、自分のうちに生じるさまざまな意識表象のうち、意識の自由にならず、その志向性の彼岸にあるようなものとして現れ出る意識対象を、〈知覚〉と呼んでいる」竹田青嗣『現象学入門』p.55

2011-11-19 08:48:58
@amiquote

「わたしたちは、自分のうちに生じるさまざまな意識表象のうち、意識の自由にならず、その志向性の彼岸にあるようなものとして現れ出る意識対象を、〈知覚〉と呼んでいる」竹田青嗣『現象学入門』p.55

2011-11-21 23:49:23
@amiquote

「わたしたちは、自分のうちに生じるさまざまな意識表象のうち、意識の自由にならず、その志向性の彼岸にあるようなものとして現れ出る意識対象を、〈知覚〉と呼んでいる」竹田青嗣『現象学入門』p.55

2011-11-23 02:18:33
kawade kenichi @kawademan

竹田青嗣は『人間の未来』において、近代国家を産み出した思想の流れ、ホッブス、ルソー、ヘーゲルを概括しながら、その根源的な欲望を「自由」だと看破している。つまり、「国家」の「正当性」の根拠は、それが人々の「自由」を開放していく方向をとるか否かにかかっていると。

2011-11-19 01:46:26
さえきかずひこ @UtuboKazu

人間は、じつはある意味では言葉によって捉えられたかたちでしか〈現実〉というものを把握していない(略)だが、わたしたちにとって世界は、どれほどそれを言葉で限定しようと、決して捉え尽くせず、常に予断を許さない新しい相を持って現れてくるものという性格を失うことなく持っている(竹田青嗣)

2011-11-18 15:50:23
さえきかずひこ @UtuboKazu

どれほど思想についての広く深い知識をもっていようと、そのことは、自分で自分なりに考えてみることとはほとんど関係がない、ということ。(竹田青嗣)

2011-11-19 10:32:34
@quesaisje_

「もしなんらかの超越的な原理によって社会改変の展望を導くなら、それは必ず、多くの人々の生き難さの核心から外れ、ほんとうはひとびとが欲望していない目標を立てることになり、その理由によって決して具体的な力を集めることができないからである。」(竹田青嗣「現代思想の冒険」p235)

2011-11-19 13:50:32
あり @uhop73121273

井上陽水『傘がない』70年代日本の状態の鏡?http://t.co/FKLHu7Fs 昼間に「傘がない」についてつぶやいたので、関連して面白い論考。竹田青嗣がこんなところで出てくるとは思わなんだ。

2011-11-20 00:14:32
ゆうさん(bot) @Yousan_bot

昨日ズバッときた言葉。『私たちは誰でも自分なりに考えようとしている。ところがじつはそれは、自分の感覚にフィットする意見や考えをさまざまな知見によって補強するような仕方で考えているのである。』 竹田青嗣・西研 編「はじめての哲学史」より

2011-11-20 08:54:15
苫野一徳 @ittokutomano

竹田青嗣の言葉を借りれば、哲学を信念補強型で読むのではなく、信念検証型で読むことがとても大切だ。特に若い頃は、自分に都合のいい文句だけ引っ張り出してくることがある。でも、優れた哲学は、実はこちらの思考を徹底的に修正するよう迫ってくるような力を持っている。

2011-11-20 11:00:00
蒼沼シズマ @ichiroukure

戦争いくなーい>これは竹田青嗣Pでしょ、絶対。ターンAの時は戦争ではなく、偏見と戦うって言ってたし〜。

2011-11-20 17:47:22
めっし @meshitoshi

ローマ教皇とイスラーム指導者のキス。「宗教の最大で普遍的な課題は他のへの寛容」(竹田青嗣)ベネトンの訴えたい核心部分への想像力があれば住みやすい世の中になるように思う。

2011-11-20 22:43:23
atikimm @atikimm

竹田青嗣が提示した新たな“歴史の終焉”説は、フランシス・フクヤマより周到ではあるにしろ、言ってることは同じだ。リベラリズム(下)の相互承認。ケッ、わしは関係ない!

2011-11-21 00:04:03
週刊読書人 @Dokushojin_Club

週刊読書人11/11号、見田宗介・加藤典洋 対談=「9・11から3・11へ」~『定本 見田宗介著作集』『定本 真木悠介著作集』刊行開始を機に。芳林堂書店高田馬場店、神保町・廣文館、JRC、神楽坂・文鳥堂にて先行発売中。 http://t.co/JuMabZTW

2011-11-09 17:28:16
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