- sakaki_koheita
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@kiyomasa_k ありがとうございます。義父上と私の父は親しかったのですよね。それで我らの婚姻のお約束ができたのでしょうか。
2011-11-23 01:06:08あま姫はツイッターにおられる榊原康政殿の御子息である康勝殿に嫁いだが、実子に恵まれず、庶子を我が子のように育てあげたと聞いた。あ…、勿論ワシその頃死んどったから雲の上で眺めていたのだが(´∀`)はっはっは…
2011-11-23 01:45:15@kiyomasa_k 姫の再嫁先の阿部家で養育してくださったそうで、もうなんというか、いくら感謝しても足りません。
2011-11-23 01:46:32@sakaki_koheita いやいや、当然のこと(´∀`)水臭いことを言わんでくださ!しかし血の繋がりは無くとも、祖父として、勝政は幸せだったのかと…ふと思う事もあるのだ… あちこちを転々とすることになってしまったからな´`
2011-11-23 01:52:47@kiyomasa_k それは……なんとも……。平十郎は結局、仕官せず高野山に登ってしまいましたし……。榊原を継いだ私の甥が、阿部殿と一緒にかなりがんばってくれたようなのですけれどね。
2011-11-23 01:54:57こんな中ですがぼちぼち昨日の続きを呟いていきます。たぐなど特につけませんが、興味がある方はついろぐをご覧下さい。といってもたいした話はしてませんが。
2011-11-23 23:05:07私は天正18年の生まれなのですが、生地は小田原です。そのころ父は駿府に屋敷を賜っていたのですが、小田原の役の際、太閤殿下が籠城戦になるので、皆家族を小田原に呼ぶように仰せられたそうです。
2011-11-23 23:21:23母はすでに身重でしたが、父が小田原に詰めたままでしたので、無理を押して小田原へ行き、そこで私を産みました。戦闘は散発的にしか起こっていないとはいえ、無茶をされたものです。
2011-11-23 23:23:29ちなみに井伊家の兵部殿、掃部殿のご兄弟とは同年になります。江戸屋敷も近く、元服前には私も暫く上様のお側にて勤めさせていただいたので、親しくさせていだだきましたね。
2011-11-23 23:26:36初陣は、大阪の陣になりました。この時には、父の右腕であった中根がすでに66でしたが出陣、私の補佐をしてくれました。家老の原田も70すぎだったと思いますがやはり出陣。まさに家中総出でしたね。
2011-11-23 23:39:49あと従兄弟の若狭守……叔父上の子も一緒に出陣しましたし、長兄の息子である甥の国千代も出陣しています。国千代は10才でしたが、大御所様の本陣が乱れる中、家臣が諫めるのも聞かずに本陣に留まったらしいですね。もしかしたら父に一番似ていたのは、この甥かもしれません。
2011-11-23 23:47:08私はというと、腫れ物を煩っておりまして、戦闘の最中にその腫れ物が破れたのですが、そのまま戦い続けたために戦後体調を崩しまして。大阪の陣の後、京都にて病没となりました。
2011-11-23 23:51:26大阪の陣の戦功により、大御所さまも「鷹の子はやはり鷹だった」と仰せになられたそうなのですが、少し……がんばりすぎましたか。
2011-11-24 00:00:42私の死後、榊原家の家老達は、実子なしとして幕府に届け出、大須賀から甥の国千代……大須賀忠次が榊原を継ぐことになります。家中でよくよく相談の上での決断でしたでしょうから、仕方がないですが、その後の平十郎の身上を思うと少し淋しいですね。
2011-11-24 00:05:32