「生徒会の一存」―内的想像力肯定の物語における<内部>×<外部>―

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良し 変わった菓子 @MO_TACT

『生徒会の一存』第12話:内的想像力(夢や妄想、過去)が外部(現実、現在)に影響して、各人の人生や未来を前向きに変える。外部の現実と内部の妄想は完全には分離しておらず、妄想によって現実の生活が好転し豊かになることもある。本作は、そういった内的想像力の肯定(承認)の物語なのだろう。

2009-12-24 03:09:10
良し 変わった菓子 @MO_TACT

『生徒会の一存』:話が進むごとに増えていく室外のシーンは、「内部(室内)への外部(室外)の侵入・侵食」というよりも、「内部の外部への進出」って感じがする。というか、途中の数話をまだ視聴できてないんだけど。

2009-12-24 03:21:40
mike_neko @mike__neko

なるほど。「内的想像力の作用」については鋭い指摘。 RT @MO_TACT: 『生徒会の一存』第12話:内的想像力(夢や妄想、過去)が外部(現実、現在)に影響して、各人の人生や未来を前向きに変える。(略)本作は、そういった内的想像力の肯定(承認)の物語なのだろう。

2009-12-24 03:41:59
mike_neko @mike__neko

@MO_TACT 「外部の内部への侵食」というのは第11話で明確に打ち出されていますから、たぶん、「内的想像力」と対比される「外部」と、生徒会室の内部・外部は混同すべきでないのではないかと思います。

2009-12-24 03:45:18
mike_neko @mike__neko

生徒会の一存は、メタフィクションの形式をとり、さらに生徒会メンバーたちが多様な創作をおこなうという、多重のメタ構造に特色がある。そして、それら「内的想像力」の作用は生徒会内部で閉じている気がする。しかし、なんでそんな形式をとったのかが分からなくて確信を持てない。

2009-12-24 03:53:18
良し 変わった菓子 @MO_TACT

@mike__neko 第12話で登場した中目黒君は、真冬の内的想像力が実体化したキャラクターですよね。言わば妄想が現実になったと。で、その妄想のキャラクターを、現実世界で杉崎が自身の妄想(ハーレム思想)によって救うという展開は結構感動的でした。

2009-12-24 04:06:12
mike_neko @mike__neko

@MO_TACT 最終話は感動的でしたね。指摘されるまで気づきませんでしたが、あのシークエンスはまさに「内的想像力の肯定」に他なりませんね。さっきのpostで私が首をかしげているのは、は意識的な「(空間的)外部」の排除を何のためにやっているのかということです。

2009-12-24 04:22:24
良し 変わった菓子 @MO_TACT

@mike__neko 「(空間的)外部」の意識的な排除については、日常的に内部に留まっているからこそ、外部に出た時の異化効果がより一層働く、という程度の演出意図を私は読み取ったんですけど、他に理由はあるんでしょうかね?

2009-12-24 04:37:20
mike_neko @mike__neko

@MO_TACT 「外部性の排除」として一番顕著なのが、モブキャラが登場しないことですよね。生徒会メンバーが5人揃っているときにモブキャラは出てこなくて、揃っていないとモブキャラが出てくる、という法則がある。シリーズを通してそうなんですが、実は11話に一番強く表れています(続く

2009-12-24 04:53:18
mike_neko @mike__neko

@MO_TACT その話はネタバレ回避のために話せませんが、9話の終了のポーズや10話の校内放送などのエピソードをみるに、どうやら生徒会メンバーの創作・表現というのは、どうも彼ら自身のために為されているように思えるのです。そこまで排他的になる理由ってなんだろう…って考えて。(続く

2009-12-24 04:59:47
mike_neko @mike__neko

@MO_TACT お待たせしてすいません。それで、「外部に出たときの効果を際だたせるため」というのは少しずれている、と思ったのです。

2009-12-24 05:34:12
橡の花 @totinohana

@mike__neko それは、「コミュニケーションにおける外部(コンテキスト)への依存」を抽出するための仕掛けじゃないでしょうか。“一見”遮断された外部の規則が機能していることの表れ。そして、それらでは「彼/彼女(メンバー)のこと」は何も語れないこと、「語れなさ」を導いている。

2009-12-24 05:04:11
橡の花 @totinohana

@mike__neko 「生徒会室」という限定空間での創作(意思疎通、話題の展開)は、よく腐されていたものですけれども、外部(コンテキスト、ネタ)に強く依存していますよね?本編ではそのあとでキャラの過去等、内心の事情に接続されますが、それは創作が「語れなかったもの」として表れる。

2009-12-24 05:07:08
mike_neko @mike__neko

@totinohana なるほど。創作・表現自体は「外部」を媒介としていて、その創作活動の裏返しとして過去や心情が抽出される、ということですか。創作の発信先は彼ら自身ではなくて、どこへでもない。

2009-12-24 05:30:28
橡の花 @totinohana

@mike__neko 「語れない=分からない」から、「本日の議題」を模索する段で「外部」(モデル)が召喚される、ということですね。さっきの投稿に関しては、一番わかりやすいのはリリシア初登場回ではないでしょうか。ゴシップ(外部)と創作(外部)の衝突が面白い。

2009-12-24 05:44:52
mike_neko @mike__neko

@totinohana なるほど、ゴシップによって「内部」の事情は明らかにならない、それと同様に創作によっても明らかにされない、と。

2009-12-24 05:57:16
橡の花 @totinohana

大雑把に言えば、回単位で「一存」の前半に鍵やヒロイン達が行っていることは「模倣」であって、模倣は「ここ」と自分の限界を「語れなさ」という形で明らかにするものの後半、その躓きが「そこで同じ困難を経験した仲間」という風に「ここ=生徒会室」を、ひいては「生徒会」という狭い円を転回する。

2009-12-24 06:03:42
橡の花 @totinohana

@mike__neko そうですね。「創作物そのもの」は何も明らかにしませんが(この点はゴシップと同じ)、「創作行為」は「彼/彼女のこと」を描出している。例えばあの回のクライマックス、杉崎がリリシアへ語ったのはその「創作行為」こそを重んじている、という意味での「生徒会」愛かと。

2009-12-24 06:13:06