隠岐諸島神社巡り

島後、西ノ島、中ノ島に行きました。神社だけでなく自然豊かで食事もおいしく、また行きたい場所になりました。
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とよすけ @RB8203

境港から隠岐諸島へ! 古事記ではイザナギ・イザナミ夫妻は淡路島、四国を生み、その次に隠岐島を生みました。「三つ子の島」と記されており、古代から主要な場所でした。 島の位置関係はこんな感じ。西ノ島、中ノ島、知夫里島からなる島前と、島後に分かれています。今回は島後から周っていきます。 pic.twitter.com/OeG4BoP8kK

2023-08-12 16:34:16
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とよすけ @RB8203

玉若酢命神社です。 境内には隠岐三大杉の一つである八百杉が立っています。樹齢2000年ほどだそうでめっちゃでかい。 昔、若狭から来た不老不死の尼さんが去る時に「800年後にまた来よう」と言って形見に植えた杉の木という伝説があり、八百比丘尼杉とも言われます。 pic.twitter.com/piO7HgM7HL

2023-08-12 16:37:09
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とよすけ @RB8203

本殿は「隠岐造」と言われこの地方独特の建築様式。 ここのほかには、水若酢神社、宇受賀命神社、伊勢命神社など、いずれも隠岐地方の神社です。 pic.twitter.com/kq9Y4Qo75o

2023-08-12 16:41:07
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とよすけ @RB8203

お隣の億岐家住宅。 億岐氏は大国主命の末裔で、億岐国造、隠岐国国司を代々担ってきました。中には神社の宝物、古代の遺物が展示されています。 pic.twitter.com/JltoYu5t4i

2023-08-12 16:46:12
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とよすけ @RB8203

隠岐国一の宮 水若酢神社です。 中世の戦火により由緒、祭神については不明なところが多いです。延喜式神名帳では水若酢命を祀っているとされています。 玉若酢命神社と同様「酢」の字が入っていて、これは「酒」の意味なんだそう。 pic.twitter.com/g51VDzdAB3

2023-08-12 17:36:09
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本殿の傍には古墳があります。ここが神社の形になる前の太古から、埋葬、祖先崇拝の場所であったことが伺えます。 pic.twitter.com/HetSNJIOlr

2023-08-12 17:37:00
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とよすけ @RB8203

隠岐国分寺と、その奥にある後醍醐天皇行在所跡。 神代から時代は下って鎌倉時代と南北朝時代の境目、島流しにあった後醍醐天皇が一時的にここで暮らしていました。 pic.twitter.com/63Vm8vIpS6

2023-08-12 17:56:56
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とよすけ @RB8203

島後から中ノ島へ向かいます。 フェリーの車両甲板の扉が開く瞬間 めっちゃテンション上がるわー😆 pic.twitter.com/vibelrtMx8

2023-08-13 14:21:34
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とよすけ @RB8203

海士町のポスター「ないものはない」 離島ならではのキャッチフレーズ。 でも、ここには他にないものがあるのだ。 pic.twitter.com/bNk1Kara4h

2023-08-13 14:23:22
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とよすけ @RB8203

隠岐神社です。 この神社はまだ比較的新しく、創建は昭和になってから。鎌倉時代、承久の乱に敗れてこの地に配流となった後鳥羽上皇を祀っています。 pic.twitter.com/XJVA33DPuw

2023-08-13 15:12:11
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とよすけ @RB8203

後鳥羽上皇は壇ノ浦に入水した安徳天皇の義弟。 三種の神器は平家が持って行っていたため神器がないまま即位し、その後に天叢剣は壇ノ浦に沈んでしまいました。 そのせいもあってか、他の皇族とは対照的に上皇は武芸に励み刀剣の作成や相撲を盛んに行いました。

2023-08-13 15:12:44
とよすけ @RB8203

今でもその名残で、隠岐地方の神社の境内には土俵が備えられているところが多く奉納相撲が行われています。 pic.twitter.com/QFM1Ovd371

2023-08-13 15:17:20
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とよすけ @RB8203

われこそは 新島守よ隠岐の海の   あらきなみかぜ 心してふけ 後鳥羽上皇が隠岐に着く船の中で詠んだ和歌。 なかなか勇ましい、さすが武闘派。 一方で新古今和歌集を編纂していて和歌の腕も素晴らしく、都の歌人と文通してこの地にいながら歌合までされています。

2023-08-13 15:36:57
とよすけ @RB8203

残念ながら都に帰る願いは叶わず、19年島で過ごし薨去されます。都では怨霊になったとか勝手な噂がたてられましたが、島では人望あつく島民から慕われていました。 隠岐神社は、子供から大人まで島民一丸となり建てられました。当時の思いが今の島の人々にも受け継がれているのが実感できます。 pic.twitter.com/IP3zlgjRCH

2023-08-13 15:39:45
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とよすけ @RB8203

宇受賀命神社です。 拝殿に続く田んぼの中の1本道が趣がある。 ご祭神は宇受賀命。島後の水若酢命や玉若酢命と同様、記紀には載っていない土着の神様が祀られています。 3枚目の説明は本殿の説明だけれど、写真は拝殿。 本殿の写真でいいのがなかった😐 pic.twitter.com/zfrdc8fto4

2023-08-13 16:22:39
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とよすけ @RB8203

お隣の西ノ島へ向かいます。 島間運航の内航船で15分ほど。 近いね! pic.twitter.com/cY2LJN2e98

2023-08-13 16:50:45
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とよすけ @RB8203

西ノ島、中ノ島、知夫里島はもともと1つの大きな火山島でしたが、カルデラの部分が海に沈んでできた島々です。 このカルデラの中央、焼火山と呼ばれるところに焼火神社があります。 pic.twitter.com/AdXPJE56JZ

2023-08-13 16:55:33
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とよすけ @RB8203

セミとヒグラシの爆音をBGMにしながら汗をボタボタ垂らして15分ほど参道を登る。参道というか登山道で暑さも相まってちょっとキツイ。 余裕がなさ過ぎて途中の写真がなくていきなり焼火神社本殿です。 岩に嵌ってますね! pic.twitter.com/1QwUvDBrmx

2023-08-13 16:57:35
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とよすけ @RB8203

明治時代に松浦斌さんという神職がおりまして、先見の明がある方でした。当時は帆船の時代でしたが、島民の生活の安定のため周りの反対を押し切って私財の一部を投じ蒸気船を購入します。本土との航路を開拓し、これが後の隠岐汽船となります。 松浦家の家紋、三ツ星が隠岐汽船のロゴになりました。 pic.twitter.com/34orRm3UsP

2023-08-13 17:05:07
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とよすけ @RB8203

この三ツ星、船霊信仰が元になっています。夜に船が迷ったとき海から光る玉が現れて、進むべき方向を教えてくれたという言い伝えが残っています。 松浦斌氏は会社設立の前に亡くなってしまうのですが、今でも隠岐汽船の船は焼火山の前を通るとき、汽笛を鳴らして挨拶します。

2023-08-13 17:07:06
とよすけ @RB8203

火山が活発とあって奇岩が多い。起伏にとんだ地形や珍しい形の岩を見ることができます。 赤尾展望所から通天橋を見たところ。 歴史だけではなく地理オタの心も掴んでくる。 pic.twitter.com/t7Gkjm0WFZ

2023-08-13 17:21:04
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とよすけ @RB8203

あと、馬と牛は島の人口よりも多く、道路を走っていると放牧中の牛が道を占拠しているのに出くわします。近づくとちゃんと避けてくれる。 救急車が後ろから来てるのに避けない奴もたまにいるので、人間より賢いです。 pic.twitter.com/ghs9eX15JX

2023-08-13 17:25:41
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とよすけ @RB8203

由良比女神社です。 神社の前にある由良の浜は「イカ寄せの浜」と言われ、江戸時代まではイカがここまで打ち寄せられていました。写真に写ってる人形みたいにそのまま捕まえていました。 pic.twitter.com/S9JpwoBILh

2023-08-13 17:58:48
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とよすけ @RB8203

ご祭神の由良比女命はもともと知夫里島に祀られていました。由良比女命が知夫里島から西ノ島に渡って来る途中、イカに嚙みつかれてしまいます。 そのお詫びとして、西ノ島のこの場所にイカがうちあげられるようになったと伝えられています。

2023-08-13 18:03:03
とよすけ @RB8203

黒木御所跡と黒木神社です。 島後に行在所があった後醍醐天皇の御所跡。建武中興発祥の地とされ、ここから吉野へ向かい南朝を興しました。境内には吉野の吉水神社から送られた杉の木が植えられています。 吉野も行ったことあるけど、ここから吉野まで行くなんてバイタリティが凄い😮 pic.twitter.com/CCq4JuWKcF

2023-08-13 19:29:49
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