「常識」の罠~可視化の効用~webの可能性。

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@junkoaile

力のある言葉には本当に励まされます。言葉に励まされ助けられたことは数えきれません。言葉はそれを発した人のエネルギーの結晶だからだと思うのです。自分も誰かの力になるような言葉を紡げるようになりたいと思います。そして頂いた言葉を謙虚に受け止められる自分でありたいと思います。

2010-05-18 08:20:34
@junkoaile

ココロの中で思っていることは、まず誰かに話してみないと始まらないって思います。例えば「バレエって楽しいよ!バレエが好きなんだよ」と思っていても、まずは自分から発信しなければ、それは誰もわかってくれません。

2010-05-18 08:28:46
@junkoaile

そして自分が楽しい・面白いと感じていることを、ただそれだけの理由では他人と共有できないとも思うのです。「楽しい・面白い」というのは抽象的すぎて、「何が楽しく面白いのか」が具体的にわからないからです。

2010-05-18 08:30:57
@junkoaile

バレエで例えるならば「音楽に乗って身体を動かすことはとってもワクワクする体験」「ジャンプや回転は日常では味わえない身体感覚を楽しめる」「優雅な雰囲気の中に身を浸し芸術の雰囲気を味わう」と紹介されたら、ただ「楽しいよ!」と言われるよりもずっと具体的にイメージできると思うのです。

2010-05-18 08:34:12
@junkoaile

「誰かに何かを伝えたい!」と強く思っていればいるほど、相手がわかってくれないときに、なぜ伝わらないのだろう・・と、もどかしく思うかもしれません。それは伝える「内容」に問題があるのではなく「表現」が適切でなく相手にとって”わからないもの”になってしまっているのかもしれません。

2010-05-18 08:39:21
@junkoaile

自分の認識と他人の認識は違います。自分が当たり前と思っていることは、一歩外に出たらそれは当たり前でないことはよくあります。専門性の高い分野に属していればいるほど、その世界の常識で物事を考えがちです。自分の中の常識は世間にとってどれくらい普遍性があるのでしょうか?

2010-05-18 08:43:32
@junkoaile

自分が「常識」だと思っていることを一般的な枠組みの中でもう一度考えてみると、意外な発見があります。例えば専門用語一つとってもそうです。専門的な世界にずっといると、それが専門用語であるということすら忘れてしまうのです。その言葉を使って他人と話をしても伝わるわけがないのです。

2010-05-18 08:48:10
@junkoaile

私もバレエの世界に長くいて、もはや自分の中で「当たり前」となっていた専門用語は、日常の中ではまったく通じない異世界の言葉なんだということに改めて気付きました。このように開かれたwebツールがなければ、もしかしてそれすら気づかずに通り過ぎてことなのかもしれません。

2010-05-18 08:51:56
@junkoaile

なぜならば、口頭で誰かと話すのとは違いwebツールは「可視化」できるからです。音声で言葉を聞くと多少わからなくても流れていってしまいますが、このように可視化つまり「文字化」できると視覚的にわからないものは「なんだろう?」とひっかかるからです。

2010-05-18 08:53:30
@junkoaile

そこで「あ、この言葉は一般的ではないものなんだ」と自分も気付くことができるのです。これは大きな発見でした。またそこから相手と共通の認識を作り上げていくことで、新しい考えも生まれます。想いや考えを「可視化」できるということの可能性はこういうところにもあると感じます。

2010-05-18 09:00:05