渡邊芳之先生ynabe39の「怒っているのはずっと圧倒的に俺のほうなのである」

さてビールを飲みに行こう。by 渡邊芳之 http://twitter.com/#!/ynabe39/status/142560926783115264
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渡邊芳之 @ynabe39

しかしプロフィールに「当該の差別について専門的に研究する立場にいる」と明示している人がそれを行うことについては容易に甘受できない。私がこだわっているのは最初からそのことだけである。

2011-11-28 07:43:53
渡邊芳之 @ynabe39

研究者が常に研究者として発言しているわけではないのは当然だが、私はプロフィールに「心理学者」と書く以上は、心理学について述べる時には常に研究者として発言するし、自分の発言が「心理学の学問的な立場の表明」と受け取られてもよいことだけを述べている。

2011-11-28 07:46:54
渡邊芳之 @ynabe39

誰かに「差別主義者」というラベリングをして(学問的な言葉が好きなら「スティグマタイズして」とかでもよい)「その他の人」と切り離す、という「戦術」が「差別研究」の一般的なスタンスなのか、そう思われてかまわないのか、ということである。

2011-11-28 07:49:30
渡邊芳之 @ynabe39

自分が専門とする領域の問題について、研究者の肩書きが自分の意見を正当化するのに有利な時は肩書きを背景にして語り、そうでない時には一般人として語る、というような都合のいいことは許されないと、私は思う。

2011-11-28 07:58:51
渡邊芳之 @ynabe39

そこできっと「あなたのような学問観そのものが差別構造の一部なのだ」という話になるんだろう、というのが昨日の話。

2011-11-28 08:23:20
渡邊芳之 @ynabe39

それはまったくの勘違いで、私は金先生は研究者の立場をきちんと意識しておられると思っています。それに先生は私のことを「差別主義者」と呼んだりしないでしょうw。 RT @han_org: おや、今朝の渡邊先生はぼく宛だろうか。少しこじれているようだなぁ。

2011-11-28 08:45:35
渡邊芳之 @ynabe39

「相手陣営でいちばんバカな人の発言だけをRTして批判するのは卑怯」という基準を厳格運用するとこういうことになる。

2011-11-28 08:48:46
渡邊芳之 @ynabe39

@han_org 先生がそのスタンスをきちんと書かれることは重要なので続けていただけたらと思います。

2011-11-28 08:50:36
渡邊芳之 @ynabe39

@han_org 私が言っているのは、先生がおそらく私のために昨日からいろいろ書いてくれたような意味での「自己相対化」をともなわずに何かの問題について「研究者である」ことができるのか、ということです。

2011-11-28 09:13:54
渡邊芳之 @ynabe39

金先生はつねにそうした相対化の努力をしておられるから、私は先生をごく自然に「研究者である」と感じます。しかしそう感じられない種類の人々がいる。

2011-11-28 09:14:50
渡邊芳之 @ynabe39

全体と部分、マクロとミクロ、戦略と戦術、その他いろいろ。

2011-11-28 09:19:15
渡邊芳之 @ynabe39

「研究テーマを発見すること」に自分がさまざまなことについてもつ当事者性が影響するのは当然だし、それが批判されるいわれはありません。

2011-11-28 09:39:14
渡邊芳之 @ynabe39

「自分が正しい」という前提を相対化しないのであればそもそも研究をする必要がない。だから「文系の学問」では自己相対化が研究者としての訓練の中で非常に重要な位置を占めるわけです。

2011-11-28 09:46:19
渡邊芳之 @ynabe39

@han_org ありがとうございます。すくなくとも金先生がその文脈で書かれたことに私が強い疑問や反発を感じたことはありませんでした。もちろん「人それぞれだよな」と思ったことはありますがw。

2011-11-28 09:47:32
渡邊芳之 @ynabe39

@han_org @sanngatuusagino 私も研究者が政治性を排除すべきだなどとはまったく考えませんし、そんなことは不可能だと思います。しかし研究者であればまず自分の研究上の発言の政治性にきちんと気づくとともに、それを相対化する努力はしないといけないと思います。

2011-11-28 09:50:08
渡邊芳之 @ynabe39

注目するためにはむしろ異化すべき事象を一般化してしまう誤謬みたいなものが見える。「一般的でないからこそ深刻だし解決しなければならない問題」について「誰にでもあることだから用心しないと」と主張してしまうような。

2011-11-28 09:53:37
渡邊芳之 @ynabe39

自然科学のように自己相対化が研究のシステム自体に組み込まれている学問と、人文学のように研究者個人の努力によって達成されなければならない学問では、研究者の学問的倫理のあり方も大きく変わってくると思う。

2011-11-28 09:57:43
渡邊芳之 @ynabe39

金先生が「なんで金先生のような人が渡邊のような差別主義者と対話しているのか」的な批判のリスクを犯して説明の努力をしてくれることには感謝しています。それこそが研究者の態度だと思う。

2011-11-28 13:42:47
渡邊芳之 @ynabe39

自分への反対や批判をすべて「無理解」とラベリングすることはとてもありふれている。実際には理解しているからこそ反対している場合も多いわけだ。

2011-11-29 03:09:03
渡邊芳之 @ynabe39

科学は「ルールの共有について合意されたうえで開催されるゲーム」であって、その外側にルールを共有しない世界が拡がっているのは最初から意識されるべきことだ。

2011-11-29 03:11:43
渡邊芳之 @ynabe39

「学校教育は科学的であるべき」だと私も思う、というか初等中等教育で教えて意味のあるのは読み書きそろばん的リテラシーと科学だけだと思う。

2011-11-29 03:23:01
渡邊芳之 @ynabe39

「学校で教わらないこと」を豊かに残しておくことも大事。

2011-11-29 03:25:14
渡邊芳之 @ynabe39

ここでも「論理的に正しい」という言葉が「自分が納得できる」という意味で使われている。「小倉先生の意見には納得できない」のであって「小倉先生が論理的に間違っている」のではない。

2011-11-29 09:17:17
渡邊芳之 @ynabe39

「論理的に反論されようが、実証データで反証されようが、絶対に譲れない立場がある」なら、そう言えばいいことだし、それは間違いではない(ただしその問題の「研究者」を自称しない限り)。

2011-11-29 09:20:30
渡邊芳之 @ynabe39

論者の意見の正誤を個別に判断して「正しい論者」「間違った論者」といった属人的判断をしない、というのは人文研究者が資料を読むときの初歩的技術として訓練されることだ。「差別主義者」というようなラベリングがその対極にあることは言うまでもない。

2011-11-29 09:24:27