渡邊芳之先生ynabe39の「怒っているのはずっと圧倒的に俺のほうなのである」

さてビールを飲みに行こう。by 渡邊芳之 http://twitter.com/#!/ynabe39/status/142560926783115264
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渡邊芳之 @ynabe39

アスなんとかラインに乗り込んだぞ。

2011-11-26 09:34:39
渡邊芳之 @ynabe39

じゃあ今日はどれに乗るんだ。 RT @daihiko: 明日のトラム、と覚えてください。 “@ynabe39: アスなんとかラインに乗り込んだぞ。”

2011-11-26 09:40:11
渡邊芳之 @ynabe39

アストラダムスの大予言。

2011-11-26 09:52:08
渡邊芳之 @ynabe39

けっこう時間かかるなあ。

2011-11-26 09:53:43
渡邊芳之 @ynabe39

反対する者を黙らせるのは運動、反対する者を説得するのが教育、反対する者を生み出すのが学問。

2011-11-27 10:02:29
渡邊芳之 @ynabe39

自分の考えを変える気は最初からなくて、自分の考えと合わない証拠や意見に対しては「そういうものが出てくる構造自体が批判の対象になる」というわけである。

2011-11-27 10:47:49
渡邊芳之 @ynabe39

アストラダムスに乗り込んだぞ。

2011-11-27 10:48:36
渡邊芳之 @ynabe39

少なくとも学問は「自分が守りたいものを守り抜くための道具」ではないはずだと思う。

2011-11-27 10:56:31
渡邊芳之 @ynabe39

アストラムラムラで市街地に向かう。宴会参加予定者のうちもう一人もこれに乗っています。

2011-11-27 17:21:59
渡邊芳之 @ynabe39

誰かを名指しで「差別主義者」とラベリングするようなことが「研究」の文脈で行われることがあるような学問とか、そういう文化を共有する研究者集団とかがあるのだろうか。

2011-11-27 17:56:06
渡邊芳之 @ynabe39

「自分以外のすべての権力との闘争を宣言します」。

2011-11-27 18:19:34
渡邊芳之 @ynabe39

「ネズミをとる権力はよい権力である」(鄧小平)。

2011-11-27 18:22:03
渡邊芳之 @ynabe39

味方を作るよりも敵を作る方が適応的ということがあるだろうか。

2011-11-27 18:28:49
渡邊芳之 @ynabe39

音楽がそうであるように研究も「愛に関する仕事」である。

2011-11-27 18:39:23
渡邊芳之 @ynabe39

行った、飲んだ、酔った。

2011-11-27 23:21:41
渡邊芳之 @ynabe39

言葉のリアリティ、ことばのリアリティ。

2011-11-27 23:22:49
渡邊芳之 @ynabe39

自分がバカであることのリスク。

2011-11-27 23:25:03
渡邊芳之 @ynabe39

バカなのは自己責任?

2011-11-27 23:26:10
渡邊芳之 @ynabe39

「多様な人々をひとつのラベルでまとめて考える」という「自分たちがされてきたこと」を「敵」に対して行う、ということは「自分が差別されない」ためには有効だろうが「差別をなくす」こととは対極にある。

2011-11-28 06:35:10
渡邊芳之 @ynabe39

「お前たちはずっと私が悪いと責め続けてきたが、ほんとうは悪いのはお前たちであり、今日からは私がお前たちを責める」。

2011-11-28 06:37:38
渡邊芳之 @ynabe39

「それは本来はよくないことだが、差別をなくす道筋における短期的局所な戦略としては有効なのでやむなく選択している」という認識がある人とない人。

2011-11-28 06:41:03
渡邊芳之 @ynabe39

「いじめられっ子がいじめっ子になり、いじめっ子がいじめられっ子になりましたので、いじめはなくなりました」。

2011-11-28 06:48:34
渡邊芳之 @ynabe39

もちろん、いじめっ子になることで自分がいじめられなくなるという戦略は個人レベルでは有効だし、それを非難することはできない。しかしそれが「いじめ撲滅運動」として行われるならどうだろうか。

2011-11-28 06:51:00
渡邊芳之 @ynabe39

「私がいじめっ子になるという選択を受け入れ、支援しない限りは、あなたもいじめっ子として非難されて当然である」。

2011-11-28 07:01:33
渡邊芳之 @ynabe39

だから私は、誰かが自分に対する差別と戦うためのミクロに有効な手段として私を「差別主義者」と呼ぶことについては甘受する。マジョリティとしてはそれに見合う利益を得ているだろうし、また息子のためには同じ手段を用いることがあるからだ。

2011-11-28 07:42:17
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