南洋の髑髏たちは靖国で安らかか?

新陽 准さんとの、靖国神社(の神学的基礎?)と「大東亜戦争」の実態などをめぐる対話。最初の部分が途切れています。 http://d.hatena.ne.jp/noharra/20111211 からの「大東亜戦争の大義をめぐって」も参考にしてください。
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野原燐 @noharra

@Shinyou_Jun そうすると「平和を求める人々が多く、そしてそれが日本に息づいていた」というのは「平和を求める人々が多く、そしてそれが息づいていた」はソ連には当てはまらないと言うことですか?どっちもどっちじゃあないんですか? 後半意味が分かりにくいです。

2011-12-16 23:25:11
野原燐 @noharra

@Shinyou_Jun 「少なくとも理由なき攻撃ではない、」満洲建国をそうして弁護するとして、盧溝橋事件以後の事態は、攻撃に対して蒋介石が恐れおののいて手をあげなかった場合、どつぼにはまる作戦であり、そのとおりになったのでは?理由なき攻撃に近いものではないか?

2011-12-16 23:29:15
野原燐 @noharra

@Shinyou_Jun 日本側が(中国に)戦いを仕掛けたのは事実でも、一方的にやられるだけではなく、すでに侵略ではなくなっていた>何を言っているのか分かりません。侵略に対して反撃したからといって「すでに侵略ではなくなる」とは、なりませんよ。

2011-12-16 23:31:38
野原燐 @noharra

@Shinyou_Jun 「反共=平和」と言う認識というのが、まったくわかりません。 1940年前後、第一の敵は中国ですよ。反共のために蒋介石と戦うのですか? 弁護のために時代時代の状況をごっちゃにしているような印象を受けます。

2011-12-16 23:35:35
野原燐 @noharra

@Shinyou_Jun ただ、その理想は最後まで残っていたように思います。>その理想が最後まで残っていたとしても満洲国国家や日本軍にではないですね?  そしてそれが満州を亡ぼしてしまったとも………。>これはどういうことでしょうか?

2011-12-16 23:38:43
新陽 准(旧) @Shinyou_Jun_old

@noharra 日本は基本的にアジアを見ていました。ソ連も日本にとっては平和を壊そうとするものに写ったと思います。わたしはそれを必ずしも正しかったとは言いきれませんが、ただのちのソ連のやり方をみていればソ連を脅威とした日本は正しかったとも思います。

2011-12-17 01:41:06
新陽 准(旧) @Shinyou_Jun_old

@noharra 盧溝橋事件以降、攻撃がなければ停戦協定で終わりにしたはずですよ。日本側とてそこまで少ない兵力を投入する意義もなかったはずですし、わざわざ兵力を薄くするほどそこまで馬鹿でもなかったはずです。

2011-12-17 01:54:38
新陽 准(旧) @Shinyou_Jun_old

@noharra 侵略と戦争の違い。一方的にやられるか相互に拮抗するかだと思います。少なくともこの展開を見れば日本は有利に事を進めていたとは思い難いですし、もしも一方的に追い詰めまくっていたのならとっくに支那の方は負けていると思われるのですが………。

2011-12-17 01:56:41
新陽 准(旧) @Shinyou_Jun_old

@noharra 蒋介石氏率いる国民革命軍はソ連の手引きでつくられたようですが………。そうなると初めから疑ってかかるしかないと思います。ソ連が共産拡大以外の目的で誰かを援助するというのも考えにくいと思いますので。後に追い出されて別の方針を持っても、それ以前がどうにも………。

2011-12-17 02:12:18
新陽 准(旧) @Shinyou_Jun_old

@noharra 満洲の理想は軍に表れていました。日本軍とは違う系統の軍隊、本当に支配したいと望むならこうするでしょうか?そして元首をわざわざ溥儀としていたこともわからなくなるかと。その後、それが命取りになって軍は空中分解、日本は敗走することになったのだと考えています。

2011-12-17 02:16:33
新陽 准(旧) @Shinyou_Jun_old

@noharra 満州は理想を達成する前に亡くなってしまったのだと思います。空中分解もやる気がなかったからではなく満洲という意識がまだ定着する前だったからなのだと考えているのです。

2011-12-17 02:21:03
野原燐 @noharra

@Shinyou_Jun 対話の流れを追えるように、http://t.co/qwV3rfP3 南洋の髑髏たちは靖国で安らかか? というタイトルでまとめました。 新陽 准さんとの、靖国神社(の神学的基礎?)と「大東亜戦争」の実態などをめぐる対話。これからもよろしく。

2011-12-17 12:59:03
野原燐 @noharra

@Shinyou_Jun 「盧溝橋事件以降、攻撃がなければ停戦協定で終わりにしたはずですよ。」戦争をしかけておいて相手の反撃に文句をいうのは、どういう料簡だか?http://t.co/kFXynOsu に書いた「中国は弱い」病からまだ覚醒していないのではないか?

2011-12-17 20:20:09
野原燐 @noharra

@Shinyou_Jun 「一方的に追い詰めまくっていたのでない」から侵略ではない、というのは侵略の定義として誰も認めないものでしょう。

2011-12-17 20:21:55
野原燐 @noharra

@Shinyou_Jun 蒋介石氏率いる国民革命軍はソ連の手引きでつくられたようです>ソースは?

2011-12-17 20:22:51
野原燐 @noharra

@Shinyou_Jun 満洲の理想は軍に表れていました。日本軍とは違う系統の軍隊、本当に支配したいと望むならこうするでしょうか?そして元首をわざわざ溥儀としていたこともわからなくなるかと。>満州の現実と理想を一切知ろうとしない人のようにみえますね。

2011-12-17 20:24:53
野原燐 @noharra

@Shinyou_Jun 中国大陸の戦争について事実がどうだったのかの認識が全く違うので議論が成立しませんね。で問題は靖国信仰とそうした歴史認識、反共政治思想との間に強い結びつきがあるだろうという点ですね。あなたの靖国信仰を中国当局が認められないとしても無理ないと思いますか?

2011-12-17 20:31:40
野原燐 @noharra

@Shinyou_Jun 質問をもう一度読んでいただきたいのですが。 では最初に聞きましょう、中国大陸での戦争がどういうものであったのか、事実は一つであると合意していけると思いますか、中国人との間で? 

2011-12-18 18:03:17
野原燐 @noharra

@Shinyou_Jun 靖国信仰は「反共」を基にした政治の色を持つ信仰なのですね。反共でないと靖国信仰できないと。で次に、靖国信仰は国家を越えられないし、越えるつもりもないのですね。 

2011-12-18 18:05:36
野原燐 @noharra

@Shinyou_Jun 中国大陸での戦争の事実は一つであると合意していけると思いますか、中国人との間で? 今の時点ではかなり厳しいとも思います。お互いの主観がかかわっていますし。>主観が関わらない議論などない。では、私との間ではどうでしょう?

2011-12-18 18:18:43
野原燐 @noharra

@Shinyou_Jun 彼らにとって靖国信仰を否定することが正義でも、わたしたちはそうでない。正義の衝突だと考えています。>シオニスト派のユダヤ教徒のようなものですね?

2011-12-18 18:20:43
野原燐 @noharra

@Shinyou_Jun 靖国信仰は政治性と切り離し得ない?しかし西欧近代のカトリックやプロテスタントは国家や政治とは別の領域を宗教の領域として分離したように思います。地中海から死海までユダヤのものだと聖書に書いてあったとしてもそれは、政治的な意見であり宗教の名で主張すべきでない

2011-12-18 20:23:39
野原燐 @noharra

@Shinyou_Jun 「政治的な意見は宗教の名の下に主張するべきでない」親シオニズムのユダヤ教徒の意見も当然ありうべきものとなるのですね?宗教の名の下に。 たまたまそこにある国家を越えない宗教は、本来の宗教ではないと私は思います。

2011-12-19 00:01:18
野原燐 @noharra

@Shinyou_Jun チベットは?>ダライ・ラマが国家建設を求めていないのを、口先だけだと思っているのですか?

2011-12-19 00:02:07
野原燐 @noharra

@Shinyou_Jun 「蒋介石:1923年、ソ連に留学。1924年、黄埔軍官学校の校長となる。1926年、国民革命軍総司令となり、北伐軍を指揮した。途中、上海クーデターを起こして、反共に転じ、」http://t.co/FpeO4jXu 彼がソ連派だったのはごく短期間。

2011-12-22 22:52:02
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