10/21~22 甲府特別公開&講演会―義雲院特別公開、山梨文化学園講演会「信玄守護所への祈り」、菅田天神社楯無鎧特別公開、講演会「楯無鎧と武田氏」

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日光81 @nikko81_fsi

甲府でも来たことないあたり。 pic.twitter.com/irpExySXSS

2023-10-21 11:01:03
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あまり公開されない?甲府義雲院を堪能。鉄山集を残した鉄山宗鈍所縁の寺。よきよき。昨日今日の2日のみ。 pic.twitter.com/RLSVurCEnM

2023-10-21 12:15:22
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本日はまず甲府三ヶ寺特別公開・大慈山義雲院。なかなか普段見られない武田家所縁の文物に出会えました。更に撮影可。こちらは甲斐国志巻之七十九 仏寺部第七によると、光明院跡(どこ?)の毘沙門堂に安置され、勝頼滅亡時に託され、後にこちらに移されたという。彩色がまだ残り保存状態がよさげ。 pic.twitter.com/0fn7DPZnGQ

2023-10-21 18:41:49
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武田家代々の守り本尊というが、毘沙門天である点が興味を引く。円光院の刀八毘沙門天など、武田家所縁と伝わる仏像としては、毘沙門天の方がたくさん残ってるんだなあと。すっかり武田信玄=不動明王のイメージだが、実は毘沙門天のほうが長いのかもしれない。武田不動尊のインパクトが強すぎて。

2023-10-21 18:47:08
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続いて、義雲院開山の鉄山宗鈍肖像。鉄山遷化後127年後、禅師号を与えられた記念に描かれたそう。他には晩年、見性院との交流が縁で武蔵新座の平林寺に住職しそちらに肖像が伝わるが、参考にしつつもそちらよりもやや老いた姿に描かれる。臨済寺住職のイメージだが、甲斐でも住職してたんだ。 pic.twitter.com/lvPtTxHGb1

2023-10-21 18:54:59
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鉄山宗鈍というと、あの穴山信君の読みが判明した「鉄山集」を思い出しますが、あまりそういや関わりを知らなかったな…たくさん学べてよかったですね。天文元年生まれで信玄の11歳下。まずは恵林寺で剃髪、太原雪斎の孫弟子、東谷宗杲の弟子。京・天龍寺妙智院の策彦周良にも学ぶという。

2023-10-21 19:01:01
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師匠から授かった鉄山宗鈍の院可状。弟子に一人前の僧と認められた証。「鐵山」の道号が大きく記され道号の由来や弟子が一人前になったことを祝す言葉がならぶ。時に永禄10年、武田家中を揺るがす義信事件の少し前。 pic.twitter.com/dcy8LeiiM5

2023-10-21 19:08:17
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見惚れる字ですなぁ…というのと、武田の文書などと見比べても、こういう感じ(うまくいえない)の字が当時尊ばれていたんだろうな。 pic.twitter.com/cIcdwMMEiF

2023-10-21 19:11:31
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永禄12年12月。信玄の駿河侵攻に際し、当時臨済寺末寺の隆福院住職であった鉄山は、今川諸将の調略に活躍。義雲院にどの程度いたのかわからないが、永禄10年6月に院可状を与えられて2年そこそこで、もう今川諸将の帰順に貢献。その人脈づくりに驚かされる。 twitter.com/nikko81_fsi/st…

2023-10-21 19:17:16
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元亀2年には、高遠の乾福寺住職(三世)、乾福寺殿(勝頼母、いわゆる諏方御料人)の17回忌を執行。信玄の遠三攻略の頃には臨済寺住職(四世)となり更に天正3年、正親町天皇の勅命で妙心寺入寺(八十世)トントン拍子で大寺院に…この点、信玄・勝頼との関係をもう少し深掘りしたい。

2023-10-21 19:23:09
日光81 @nikko81_fsi

そして、天正四年の信玄本葬儀では執骨役を担い、また臨済寺住職に復帰。この段階で駿河に戻ると、穴山信君・見性院との関係が深くなるのは自然だな。天正になって臨済寺から妙心寺に入り、しかも勅命だったというのは、勝頼段階の京都とのパイプ役として、鉄山が重要な位置を占めていたのかな?

2023-10-21 19:30:09
日光81 @nikko81_fsi

そして、御館の乱後に北条と決裂した天正七年。伊勢神宮と熊野三山に武運長久を願った願文を起草したのも鉄山。鉄山宗鈍からみた武田氏の歴史というのも、興味深い視座になるかもしれないな。快川紹喜や南化玄興とは違った関わり方がありそうだ。

2023-10-21 19:37:09
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その他にも義雲院には興味深い史料がたくさん。こちらの禁制は慶長八年、武田遺臣の徳川四奉行の連署。桜井安芸守信忠、石原四郎右衛門尉昌明、小田切大隅守茂富、跡部九郎右衛門尉昌忠。家臣団辞典によれば、桜井と石原は舅―婿の間柄、小田切は母が馬場美濃娘、跡部は勝忠子。 pic.twitter.com/NDp1kuwpNe

2023-10-21 19:51:21
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こちらは義雲院の由来にもなった開基でもある石坂筑後守次包とその妻の位牌、そしと石坂筑後守木像。鉄山宗鈍の父という。鉄山木像は最近の作かな?駿府で見た太原崇孚像と造りが似ているな。 pic.twitter.com/bDUjgFhR1Y

2023-10-21 19:57:38
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本尊は千手観音。禅宗で千手観音が本尊って珍しい…かも? pic.twitter.com/uUDWjLfOCT

2023-10-21 20:00:06
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義雲院、初めて知ったお寺でしたが、たくさん興味深い史料をお見せいただき、またお写真もお許しいただきありがたい次第。妙心寺との関わりへの考えを深める意味で、鉄山宗鈍も大事だな…と再認識できました。 pic.twitter.com/FyOjhkfmib

2023-10-21 20:05:47
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日光81 @nikko81_fsi

特に元亀から天正初年の鉄山の動きと武田の関係。元亀年間は信玄の存在感が正親町天皇にとっても大きなものとなり、積極的に関わっていこうとする姿勢を感じるだけに、鉄山の妙心寺の初回入寺の経緯を調べたくなった。twitter.com/nikko81_fsi/st…

2023-10-21 20:10:27

講演会「信玄守護所への祈り」

日光81 @nikko81_fsi

山梨文化学園講演前の定番。今日もおいしい徳栄軒🍜 pic.twitter.com/DXjSD8iJFO

2023-10-21 16:41:47
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日光81 @nikko81_fsi

さて、午後は信玄公の祈りについての第一回め。令和五年度下期は信玄公の宗教的な側面のテーマ企画が並びます。昨年来、このテーマは個人的にも関心が高くありがたい限り。 ybg.jp/post_koza/66776 pic.twitter.com/BKv9uymuCW

2023-10-21 13:56:41
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日光81 @nikko81_fsi

さて、ようやく振り返るか…躑躅ヶ崎には「祈り」に関わる場が多く屋形内外の祭られた神仏のうち、ちょっと知らなかったのが、御崎社って稲荷を祭り、あの稲荷曲輪には御崎社があった認識が薄かった。そして新府城にも稲荷曲輪が…だとか、国母地蔵堂跡の石仏一体は戦国期にさかのぼりうるだとか。 twitter.com/nikko81_fsi/st…

2023-10-25 20:31:49
日光81 @nikko81_fsi

あと大神宮。これも石和からなんだな…もとは石和の窪中島の大神宮旧社があったそう。現在の神明神社。石和は旧武田氏の本拠だっただけでなく、御厨(伊勢神宮領)が甲斐で唯一あったらしく、その所縁で伊勢神宮と関係があるのか…と発見。 twitter.com/nikko81_fsi/st…

2023-10-25 20:35:02
日光81 @nikko81_fsi

石和御厨は豊受大神宮(外宮)領だったそうで、実際甲府に出入りしていた伊勢御師幸福大夫も外宮の御師だし、伊勢神宮といっても外宮とのかかわりが武田氏はつよかったのかもしれないな。甲府城築城の際、柳町大神宮と横近習大神宮に遷座とは知っていたが、古府中にも遷座していると知って。

2023-10-25 20:39:56