メガネと政治家 あるいは眼鏡の政治学

メガネと政治家の関係について、政治学・政治史周りのツイートを収録。 先行まとめ(https://togetter.com/li/2244343)が出ているのは把握していますが、自分用に作成します。
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歴代大臣経験者とメガネ

清水唯一朗 Yuichiro Shimizu @ys_jpd

床次竹二郎もメガネですね。党人だと野田卯太郎くらいでしょうか。

2023-10-20 11:46:35
床次竹二郎(国立国会図書館HPより)

原内閣、高橋内閣で内相。原首相を補佐して郡制廃止・選挙法改正を実現した。13年政友本党の結党に参画、同党総裁となる。以後、立憲民政党顧問を経て昭和4(1929)年立憲政友会に復帰し、6年犬養内閣では鉄相。(中略)9年党議に反し岡田内閣に逓相として入閣したため除名、翌年在任中に死去。

野田卯太郎(国立国会図書館HPより)

大正2(1913)年東洋拓殖会社副総裁を経て、7年原内閣にて逓相、14年加藤高明内閣にて商工相に就任。

yusaku_matsu @yusaku_matsu

うさぎ先輩ハ草臥レtail/アイコンは@UT_Press さまからの頂き物です(くま戸長)です。

researchmap.jp/yusaku_matsuza…

yusaku_matsu @yusaku_matsu

仲小路廉文書の整理したときに、仲小路廉の老眼鏡(伝)というのが、複数(すくなくともなんでこんなに?というぐらいの数)出てきた記憶があるのだけど、憲政資料室には入ってません。

2023-10-20 13:03:00
仲小路廉(Wikipediaより)

1912年(大正元年)に第3次桂内閣の農商務大臣として初入閣を果たすが、この内閣は2か月間の短命に終わっている。1916年(大正5年)の寺内内閣で再び農商務大臣となり、この時は約2年間にわたってこれを務めあげている。

清水唯一朗 Yuichiro Shimizu @ys_jpd

歴代大臣(の代表的な写真)だと、青木周蔵、加藤高明と西洋イメージでいたところに千家尊福。 #メガネと政治

2023-10-20 15:57:21
青木周蔵(国立国会図書館HPより)

明治19年第1次伊藤内閣の外務次官。以後第1次山県内閣、第1次松方各内閣外相を歴任。27年駐英公使として陸奥宗光外相と条約改正に尽力、日英通商航海条約改正に成功。また第2次山県内閣外相として北清事変に対処。以後枢密顧問官、駐米大使をつとめる。

千家尊福(Wikipediaより)

出雲大社の宮司を務める出雲国造家に生まれ、神道大社派を創始する。その後、神道大社教に改称し管長に就任するなど、教派神道たる出雲大社教の礎を築いた。(中略)1908(明治41)年3月、第1次西園寺内閣の司法大臣に就任。

清水唯一朗 Yuichiro Shimizu @ys_jpd

山県伊三郎、高田早苗(!)、勝田主計、仲小路廉(まつざわさん)、床次竹二郎、中橋徳五郎、井上準之助、平沼騏一郎、岡野敬二郎、鈴木喜三郎、藤村義明、幣原喜重郎とつづき、官僚・学者だね、と思ったところに横田千之助、そして岡崎邦輔。 #メガネと政治

2023-10-20 15:58:30
山縣伊三郎(国立国会図書館HPより)

明治4(1871)年岩倉遣外使節に随行してドイツに留学。帰国後、外務省翻訳見習を経て、ベルリン公使館在勤。16年太政官に入り、法制局参事官、愛知県書記官、徳島県知事、内務省地方局長、総務長官、次官等を経て、39年に第1次西園寺内閣の逓相となる。

高田早苗(国立国会図書館HPより)

大正4(1915)年貴族院議員に勅選され、第2次大隈内閣の文相に就任。12年早稲田大学総長。昭和3(1928)年帝国学士院会員。法学博士。

勝田主計(Wikipediaより)

大正4年(1915年)に朝鮮銀行総裁に就任。寺内内閣で大蔵大臣を務めた。(中略)その後、清浦内閣でも大蔵大臣を、田中義一内閣で文部大臣を務め、昭和14年(1939年)に内閣参議となった。

中橋徳五郎(国立国会図書館HPより)

原内閣、高橋内閣の文相。高橋内閣では内閣改造に反対し、高橋と対立。13年政友会を脱党し、政友本党を結成。その後、政友会に復帰。田中義一内閣の商工相、犬養内閣の内相を歴任。

井上準之助(国立国会図書館HPより)

大正8(1919)年に日銀総裁に就任した。12年に山本権兵衛内閣の蔵相となり、翌年貴族院議員に勅選。昭和2(1927)年高橋是清蔵相の下で再び日銀総裁となる。4年浜口雄幸内閣の蔵相となり、金解禁を実施。6年に辞任後、民政党総務となるが、血盟団事件で暗殺された。

岡野敬次郎(国立国会図書館HPより)

明治19(1886)年帝国大学卒業後、24年ドイツに留学。28年帝国大学教授、法典調査会委員となり、商法関係法案の起草にあたる。(中略)44年第2次西園寺内閣、大正2(1913)年第1次山本内閣の各法制局長官、同年行政裁判所長官。6年中央大学学長、11年加藤友三郎内閣の法相、12年第2次山本内閣の文相兼農商相等を経て、14年枢密院副議長、帝国学士院長となる。

鈴木喜三郎(国立国会図書館HPより)

清浦内閣の司法相。立憲政友会に入り田中内閣で内相となったが、昭和3(1928)年の第1回普通選挙で選挙干渉を批判され辞任した。7年衆議院議員。犬養内閣では司法相から内相に転じ、5.15事件後に立憲政友会総裁となるが、衆議院で絶対多数を占めていたにもかかわらず後継首相に指名されなかった。

藤村義郎(Wikipediaより)

1924年(大正13年)1月、清浦内閣の逓信大臣に就任し、同年6月に同内閣が総辞職するまで在任。

横田千之助(国立国会図書館HPより)

大正10(1921)年ワシントン会議全権随員。原の死後は、高橋是清新総裁を支持して床次竹二郎らの反対派と対立。政友会を第二次護憲運動に参加させ、加藤高明(護憲三派)内閣の司法相をつとめたが、在任中に死去した。

岡崎邦輔(Wikipediaより)

1921年(大正10年)、原が東京駅で遭難後は政友会刷新派を支持し、第2次護憲運動で活躍し清浦内閣倒閣と、憲政会総裁・加藤高明を首班とする護憲三派内閣成立に動いた。1925年(大正14年)、加藤高明内閣の農林大臣として入閣する。

清水唯一朗 Yuichiro Shimizu @ys_jpd

若槻礼次郎、浜口雄幸、江木翼と、いけそうに見せて、早速整璽、町田忠治、片岡直温で安直な仮説は崩壊。後者2名は拙著では広義の官僚出身としていますが。 #メガネと政治

2023-10-20 16:01:38
江木翼(国立国会図書館HPより)

加藤高明内閣および第1次若槻内閣で法相、浜口内閣で鉄相を務め、ロンドン軍縮条約の成立に尽力し、第2次若槻内閣で留任。

早速整璽(国立国会図書館HPより)

大正4(1915)年衆議院副議長、13年鉄道次官、大蔵政務次官、14年加藤高明内閣の農相、15年若槻内閣の蔵相を務めた。

町田忠治(国立国会図書館HPより)

第1次・第2次若槻内閣及び浜口内閣の農相、岡田内閣商工相・蔵相、第1次・第2次近衛内閣、平沼内閣の参議、小磯内閣の国務相を務める。