- hachisu716
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アリス「おかしいわねえ」 アリス・マーガトロイドは腕組みをしながら片頬に手をあて、考え込んでいた。 アリス「こんな筈ではなかったんだけど」 目の前に広がるのは、よく知る人里。 しかし普段と違うのが、どうも家々の屋根の上辺りから、どれもみな景色がにじんでぼやけているところだ。
2020-02-09 21:52:18そして、足許。 ひとりの幼い少女が自分を硝子玉のような眸で見上げていた。 年の頃、五つか六つほどか。 可愛らしい着物を着ていながらも、髪色はふわふわとした蜜色の甘い金髪だ。 あどけないながらも聡明そうな碧玉の眼が、黄金(きん)の睫毛に縁取られている。
2020-02-09 21:58:12無表情にじっと見上げるこの顔立ちを、アリスはよく識っていた。 いや、これから識るのを、識っているというべきか。 もう十年ほど経てば、この娘には今ある聡明さに生意気が添加し、今は感情をどこかにすとんと落としてきてしまったようなこの顔に、憎らしいくらいの笑顔を浮かべるようになるのだ。
2020-02-09 22:06:01だが、それらの彼女が識った顔つきがないということは。 アリス「……こんにちは。お嬢さん」 声をかけてみても、相手は返事をしなかった。 長い睫毛をぱちぱちとしばたたかせるので、聞こえていないということはないらしいが、あまり対人的な反応を返してくれない。
2020-02-09 22:11:37アリス「お名前は云えるかしら」 片膝をつき、しゃがみこんで目線を合わせながら、もう一度話しかける。 スカートが土で汚れるが、今はそう気にすることでもない。 どうせ意識していなければ、汚れた事実自体がなくなるのだから。 「……わたしがわからないの」
2020-02-09 22:15:39少女はアリスを真っ直ぐに見つめ返しながら、そう小さく囁いた。 意外といえば意外で、数年後の気性を考えれば意外でもないような返事に、アリスは微笑み返す。 アリス「分かっていたほうがいいのかしら」 「……いいえ」 思っていたよりも大人びた返事で、少女が首を振る。
2020-02-09 22:21:29「ごめんなさい。おどろいて。知らない人が、あまりこの辺にはいないものだから」 どうやらこの少女は、自分が識っている数年後の姿とは、ずいぶん異なるらしい。 それを改めて確かめながら、さてどうしたものかと内心で思案を巡らせた。
2020-02-09 22:24:52どうやらわたしは、魔理沙の夢の中にいるらしい。 現時点で持っている思案の材料で、アリスはそう結論づける。 だって、自分は知らないのだ。 幼い魔理沙がこんな風に大人びて、年齢に不相応にしゃべるところも。 人形みたいに表情がないことも。 眸の色が、かつてはブルーだったということも。
2020-02-09 22:31:15(小さい魔理沙なんて、今よりもっと手のつけられない、元気に元気をべき乗したような悪たれかと思っていたんだけど) そんなイメージしか自分にはないのに、思いもよらない情報が多すぎる。 知り得ないものがここに在るのは、他者の夢だからだ。 (……それに) アリスはもう一度空を見上げた。
2020-02-09 22:38:38屋根から上の景色がもやもやと蜃気楼のように霞み、歪んでいる。 逆に言えば、自分が知り得ている情報がここには“無い”のだ。 それはつまり、これが幼い魔理沙の視野の限界だからだろう。 里から外のものはよく見えない。 腰の下あたりのほうが見えるものがクリアになる。
2020-02-09 22:44:37きっとこの子どもは、目線が下ばかりを向いていて。 屋根から上など見ないのだ。 空に憧れて飛び立ったのはいつの日だったのか。 少なくともこの年頃では思いもよらなかったのかもしれない。 (……あの子ったら。わたしの胡蝶夢丸を飲んで、勝手にベッドに入ったわね……)
2020-02-09 22:48:45就寝前に飲めばいい夢を見せてくれる丸薬、胡蝶夢丸。 ヘッドボードに小瓶を置いて眠ってしまったのが失敗だった。 恐らくその後魔理沙がお決まりの不法侵入をしてきて、当たり前のように丸薬を勝手に飲み、同じベッドに潜り込んで隣で寝息を立てているに違いないのだ。
2020-02-09 22:56:02(……夢が混ざるから近くで飲むのはやめてと云ったのに) おまけに魔理沙には、夢を見る才能があまりない。 夢と眠りに慣れれば、ある程度は自由に見るものの内容を操れるようになるのだが、魔理沙の眠りが深いのか、胡蝶夢丸を飲んだところで、快眠するばかりでまるで夢など覚えていないのだ。
2020-02-09 23:02:51そうすると、コントロールを手放し た(というよりするつもりのない)魔理沙の夢が、発酵させすぎたパン生地のように膨むだけ膨らんで、アリスの夢を包み、侵食してくるのである。 そうなると割を食うのは自分で、自分の夢であって自分の夢ではなくなるので、起こることの予測がつかないのだ。
2020-02-09 23:08:10やれやれ。なんとか問題なく帰れればいいのだけど。 起きたら小憎たらしい鼻を思い切りつねってやらなくちゃ。 内心で小さく溜息をつきながら、今だけはなんら罪のないこの幼い子どもに、もう一度向き直る。 この辺りで自分を知らないものはないから驚いたという、その言葉に返事をする。
2020-02-09 23:17:18アリス「あまり、名乗りたくないのかしら?」 「…………」 迷ったように目線を動かしてから、こくり、と小さく頷く。 アリス「……そう。では、訊かないことにするわ。でも呼べないのは困るから、そうねえ、代わりにジェシーなんてどうかしら」
2020-02-09 23:19:30片眼を瞑ってみせる。 「じぇしー……?」 幼い魔理沙はそう口の中で呟いて、意外そうにぱちぱちとまばたきをしてから、コルリのように可愛らしい声でくすりと笑った。 表情は、あどけなくて清らかだ。数年先も、こんな風に笑ってくれればいいのに。 「……おかしい。そんなこと言われたの、初めて」
2020-02-09 23:25:19アリス「わたしの名前はアリス」 名乗ってしまってから考えて、おどけたように目玉をくるりと動かす。 アリス「もちろん偽名よ」 「ふふふ」 魔理沙が淡い薔薇色の口唇に、ふっくらした指をあててまた笑った。 笑おうと思えば、笑えるのね。
2020-02-09 23:49:16そう思いながら、識っているようで識らない少女をしみじみと眺める。 アリス「じゃあ、ジェシー? わたしはここに来るのは初めてなのだけれど。慣れるまではお散歩しようと思うの。あなたはどこかに向かう予定があって?」
2020-02-09 23:52:18「……ううん」 少しだけ打ち解けてくれたのか、先ほどよりも優しく返事をする魔理沙。改め、今はジェシー。 「……あの。分からないの。こんなことを言うのは、おかしいと思うんだけれど」 戸惑いながら自分と相談するようにたどたどしく告げる。 「どうするつもりだったのか、分からなくて」
2020-02-10 06:22:00アリス「よくあることよ」 アリスが笑って促す。 「きっと何かするために外に出たんだけれど、何をすればいいのかすっかり忘れてしまって。でも、探さなくちゃ……」 自分の両手の指を組みながら、魔理沙が話す。 アリス「……家には、」 云いかけて、アリスは言葉を止めた。
2020-02-10 06:28:51魔理沙の仕種に気付いたからだ。指を組み、それを組み替えながら話し出すときは何事か言いにくい事柄があるときの癖なのだ。 今の魔理沙の癖が反映されているのか、もしくはこの頃から、既に小さな胸には色んな打ち明けがたい秘密を仕舞っていて、自然に身に付いていた癖なのかは分からないけれど。
2020-02-10 06:37:29家には帰らないの? そう訊ねようと思ったが、恐らくそのつもりはないのだろう。あるいは帰るべき家がこの夢の中にはないか、どちらかだ。 でなければ、今初めて会う素性も怪しげな赤の他人に、世話話をするわけがない。 この年代の子どもは、幻想郷ではよく言いつけられている。
2020-02-10 06:55:48