「福島原発事故の被害とコミュニティ ── 避難と受け入れ 」

環境社会学会と日本社会学会の合同セッション 「福島原発事故の被害とコミュニティ ── 避難者・受け入れ地域の調査から」 Hosokawa Komei (@ngalyak) さんによる実況ツイート (於:大阪梅田北のアプローズタワー 関学サテライト教室)
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HOSOKAWA Komei @ngalyak

【山下チーム/吉田報告4】 ともあれ6家族の状況紹介おわり。東電関連会社に勤める人からの情報で集団避難(複数家族で移動)したケースが珍しくないということ、以前からうすうす聞いてはいたが、吉田報告で確認された。いろいろ問題あり、要検証。

2011-12-10 14:48:33
HOSOKAWA Komei @ngalyak

【山下チーム/吉田報告5】「避難先」の目線との葛藤。「避難者の方ですか」と言って近づいてこられると、抵抗あり。吉田報告おわり。分析はまだ生煮え。次に、埼玉班の原田峻さん(東大)、避難者と支援者の両方について調査。西城戸誠さん(法政大)と共同調査。

2011-12-10 14:52:28
HOSOKAWA Komei @ngalyak

【山下チーム/原田報告1】 埼玉県、避難者の多さ(新潟についで2位)。集団避難者(町ぐるみ)と自主避難者が混在。その後、福島県に戻った人もあるが、今回は、ひきつづき埼玉で暮らす人たちから事情を聞いた。家族が福島と埼玉で分れて暮らす人も。

2011-12-10 14:54:53
HOSOKAWA Komei @ngalyak

【山下チーム/原田報告2】避難者への詳細聴き取りから見えた共通性。情報が無いなかで自己決定を迫られた。親族ネットワークを最大限活用したが、いつまでも親戚宅におれず、結果的に埼玉の「借り上げ住宅」や公営住宅に落ち着いた。ヨウ素剤渡されたが「危なくなったら飲め」といわれて判断できず。

2011-12-10 14:57:58
HOSOKAWA Komei @ngalyak

【山下チーム/原田報告3】 渡されたヨウ素剤を結局のまなかったが、それで良かったのかどうか、今も悩む。子どもたちが「逃げてきている」という罪悪感を抱いている。学校になじめず不登校になった子も。

2011-12-10 14:59:44
HOSOKAWA Komei @ngalyak

【山下チーム/原田報告4】埼玉県杉戸町は富岡市と「友好都市」の協定を結んでいたので、町役場も住民も熱意をもって富岡町民を支援。(しかし、他の市町村からの避難者には相対的に冷たかったとの評価も。)避難所を経由せずに借り上げ住宅に入ると、受入先自治体の支援の網から漏れる。

2011-12-10 15:02:21
HOSOKAWA Komei @ngalyak

【山下チーム/原田報告5】今回聴き取りしたのは自営業の人ばかり。今後の身の振り方、富岡の今後の方向性がわからないなかで、とりあえず埼玉に留まっている。避難先への愛着も。富岡町に「見捨てられた」という思いを抱く人も。

2011-12-10 15:04:01
HOSOKAWA Komei @ngalyak

【山下チーム/原田報告6】今後の支援の課題。埼玉アリーナでの支援は物量的に充実していた。他の避難所との格差。自主避難者はほとんど把握されず。配分ネットワークの構築におおきな課題残る。孤立しがちな避難者が出会う場ができていない。「いつまで支援するか」という展望も不明確。

2011-12-10 15:06:20
HOSOKAWA Komei @ngalyak

【山下チーム/原田報告7】杉戸町では富岡町の職員と共同で対処したのでスムースに行った面がある。今後は避難者互助団体の可能性がひとつの鍵。避難者をリーダーに、地域住民が事務局を担うケース紹介。まったく支援をしない越谷市への働きかけ。市の対応も少し変わりつつある。

2011-12-10 15:09:16
HOSOKAWA Komei @ngalyak

【山下チーム/原田報告8】互助団体の側面支援をおこなう人のコメント:避難先でのネットワークと避難元でのネットワークとがつながるような展開が必要。避難者を「埋没」させないための試み、自立支援の試みをサポートする体制づくりが重要。名乗りでない避難者も多数いるかも。

2011-12-10 15:12:12
HOSOKAWA Komei @ngalyak

【山下チーム/原田報告9】 3月が一番つらかった、という声多数。3月の記録をきちんととる/再構成することが大切。以上、原田峻さんの報告。次に、同じく山下チームから山本早苗さん(富士常葉大)、静岡への避難者と生活再建。

2011-12-10 15:14:48
HOSOKAWA Komei @ngalyak

【山下チーム/山本報告1】 静岡では「防災特区」としての取り組みがあったので、今回、静岡への避難者も多くなった。福島県からは1006人、うち富岡町から68名(34世帯)。ほか、宮城・岩手・茨城県などからも約500名。福島からの避難理由の第1は「放射線」。

2011-12-10 15:17:50
HOSOKAWA Komei @ngalyak

【山下チーム/山本報告2】 大半の人は「避難期間、未定」と回答(9月調査)回答333世帯のうち、170世帯が「仕事していない」。就労希望するも避難先で仕事がみつからない現状。「交流活動」については望む128、望まない144。交流からコミュニティビジネスへの転換の可能性。

2011-12-10 15:21:12
HOSOKAWA Komei @ngalyak

【山下チーム/山本報告3】 個別ケースの聴き取り紹介。震災直後の状況。避難時の交通事故(路面凍結)、病院での大混乱。3.14の爆発をうけて県外避難を決意(東電で働く友人からの事前情報あり)。ペット連れ、乳幼児、老齢者をかかえた家族が苦境に。二重ローンの重荷も。

2011-12-10 15:27:10
HOSOKAWA Komei @ngalyak

【山下チーム/山本報告4】「震災」や「原発」を実際におこったこととして受け入れられない人も。戻るか戻らないかも判断できず。「復興計画」からもれおちる感情や思いをすくい上げることが重要。放射線の影響を深刻に受け止める人は、さらに西へ移動する可能性も。

2011-12-10 15:29:19
HOSOKAWA Komei @ngalyak

【山下チーム/山本報告5】 避難者どうしのネットワーク作りと、地元コミュニティとの接続が課題。外国人避難者、とりわけブラジル人。静岡で津波・原発事故がくりかえされる可能性、どう向き合うか。

2011-12-10 15:31:31
HOSOKAWA Komei @ngalyak

【山下チーム/山本報告6】 中国や韓国での原発建設推進の動きをうけて、東アジアの環境社会学者によるネットワークを形成して、問題意識や対応の視点を共有していくべきと思う。以上、山本早苗さん。これで山本チームの3件の報告おわり。ちょこっと質疑。10分休憩(ふぅ!)

2011-12-10 15:34:15

関礼子(立教大学)

HOSOKAWA Komei @ngalyak

環境社会学会と日本社会学会の合同セッション「福島原発事故の被害とコミュニティ 」(於:大阪)再開、中継つづけます。関礼子さん(立教大)「大規模複合災害におけるコミュニティの減災力 ── 福島県・会津地方における避難者受け入れの事例から」

2011-12-10 15:45:57
HOSOKAWA Komei @ngalyak

【関報告1】 楢葉町の事例を紹介します。被害状況の確認、原発事故による避難の経緯。情報を持つ者は避難が早かった、「東電さんは早かった」。楢葉町では住民の7割以上が独自に避難。いわき市にとどまるひと、さらに遠くに逃げる人、対応分かれた。

2011-12-10 15:51:30
HOSOKAWA Komei @ngalyak

【関報告2】 オフサイトセンターの撤退をうけて、避難を決意した人が多かった。「避難所ごとに放射能の状況も違う。まだ大丈夫だという避難所もあるけど、こちらは危ないと、若い職員は泣いていた。」

2011-12-10 15:52:10
HOSOKAWA Komei @ngalyak

【関報告3】会津美里町へバスで住民移動くりかえす。しかし、よそへ避難した町民がいわき市に戻ってくるケースが続き、楢葉町行政は会津美里といわきの両方での対応をせざるをえなくなる。避難者の動きに大きな流動性。個々の家族の生活戦略と町の方針が噛みあわなかった。

2011-12-10 15:54:49
HOSOKAWA Komei @ngalyak

【関報告4】会津美里町での状況、6月に仮設住宅完成(工業団地敷地)、続々入居。旧新鶴(にいづる)村と楢葉町が姉妹都市協定&災害時相互応援協定。合併して会津美里町となってからも相互交流つづいた(海の幸と山の幸を活かした交流)。今回この蓄積がとてもよく機能した。

2011-12-10 15:57:58
HOSOKAWA Komei @ngalyak

【関報告5】交流を通じて知り合いが多かったことが美里町住民の積極的な協力につながった。炊き出し、着替えの提供、ガソリン灯油の確保にも住民や地元企業が協力(新潟への買い出しも)。3月28日時点で、6施設、約1200人(最大時)を受け入れ。しかし情報の混乱、現場の混乱はあった。

2011-12-10 16:00:32
HOSOKAWA Komei @ngalyak

【関報告6】いわき市と会津美里町の連絡が当初うまくつながらず、混乱に輪をかけた。楢葉町の職員は「24時間勤務」状態で、町民からの苦情への対処もあり「大丈夫だろうか」と美里町職員が心配した。美里町役場が積極的に支援する姿勢に。

2011-12-10 16:04:22