カント哲学と「王と覇王」論

LDさんとお話した内容をまとめました。
1
ash @blue_ash_brown

@Gaius_Petronius ハーバード白熱教室は面白ですねー。前回はカント哲学に関してだったんですが、個人的にLDさんの「王と覇王論」に繋がるところを感じて一人で盛り上ってました(笑)放送している時間帯に、岡田斗司夫さんがツイッターで要約をしてますよ。

2010-05-12 07:33:55
LD @LDmanken

@blue_ash_brown >「王と覇王論」|あ……まだ観てない。きっと録れているはずなので、観てみます。

2010-05-12 07:47:28
ash @blue_ash_brown

@LDmanken 功利主義とカント哲学の対比を話していたのですが、「功利主義は目的のために行為する。しかし、カント哲学では行為の動機に道徳的価値を置く』・・・という話をしていて、あ、覇王と王の対比につながるかも、と。

2010-05-12 21:24:12
ash @blue_ash_brown

さらに、命方(理性がどのような動機で行為に影響を及ぼしたか)の話もそうですね。仮言命方(目的を重視したのか)、定言命方(手段を重視したのか)という話が出てきたので、うわ、これは・・・!!と一人で熱くなっていたと言うwちょっと私的解釈すぎるかもですが・・・w

2010-05-12 21:27:54
ash @blue_ash_brown

そして思うのは、「結果主義」で求めている「結果」って、過去に自分が定めた結果(目的)なんですよね。現在の行動を、過去に定めた目的で縛っている。過去に無かった情報を得て、「本当の目的」が変わることもあるのに、それに気づきにくいことがあると思う。

2010-05-12 21:34:02
ash @blue_ash_brown

しかし、手段を尊重するということは100%の能力を現在の問題処理に使う、ということなのかなと。目的を一番にすると、過去に大切だったことに縛られてしまい、現在に対する処理能力が落ちてしまうのでは?ということを考えました。

2010-05-12 21:36:35
LD @LDmanken

@blue_ash_brown 【ハーバード白熱教室】5回|観ました。いつもは何かしら“ながら”で観るのですが、これはちょっと意識を集中して聞かないと理解できませんでした。

2010-05-13 05:56:22
LD @LDmanken

ちょっと述べておきたいのは、僕がこの界隈で発言する「王(と覇王)の話」は、一般的な「王と覇王」を元に「物語」を解釈するためにカスタマイズしたものです。

2010-05-13 05:57:50
LD @LDmanken

→「物語」はある形而上的な概念に対して、それを象徴/体現してくれるキャラが大抵居てくれるので、政治の在り方を「王」「覇王」というキャラクターの在り方に昇華させて語る「王覇論」の、その“論法”と相性が良かったんですね。それを物語のキャラ(登場人物)用に変換して語っています。

2010-05-13 05:58:51
LD @LDmanken

@blue_ash_brown しかし、ここまで論点が進むとそのままというのは不味い気がしてくる(汗)僕の「王の話」は、この領域では“たとえ話”に過ぎなくって、そのまま使うと“別のたとえ話”が混じって焦点がぼやけてしまう気がしないでもない。

2010-05-13 06:01:38
LD @LDmanken

@blue_ash_brown とはいえ、繋げて考えてもらえたのは凄く嬉しいですw……カントは分からないのですが、儒家的に言うと「中庸」の話をしているように思います。「中庸」とは絶対に正しい判断と言われるものの事ですが。

2010-05-13 06:07:03
LD @LDmanken

→仮言命法と定言命法の違いは、この“軸”の部分、議論上では理性と言われるものの意識がないと体感が難しく思います。学生さんの質問にもありましたが、結果から答えを求める思考法だと同じ場所をぐるぐる回る感じになるんじゃないかと。

2010-05-13 06:11:22
LD @LDmanken

@blue_ash_brown →理性は在るという体感に意識を持っていかないと、循環論法じゃなくって…問いかけ被せというか「それもまた病なり」という思考にハマったり、あるいは「動機が純粋でなければNG?」という思考に進んで行ったりしてしまいますよね。

2010-05-13 06:20:59
LD @LDmanken

@blue_ash_brown カントの話は最終的にその帰着を「個人の自由の獲得」に求めているように見えます(誤解かも)。儒家は、そこは御先祖様→「繋がって行く物語」に求めています。儒家としては「繋がって行く物語」をオススメしたい。(´・ω・`)

2010-05-13 06:25:07
LD @LDmanken

@blue_ash_brown >「本当の目的」が変わることもあるのに、それに気づきにくいことがあると思う。|僕はそれを「都度考える」と表現しています。「理に屈しない」、「言葉に縛られない」事を進めて行けば、この姿勢に落ち着くかなと。

2010-05-13 06:30:15
ash @blue_ash_brown

@LDmanken おはようございます。連投、ありがたいです、感動です(笑)僕はノート取りながら観てました(笑)「理性は在るという体感」が大切、というのはなるほど!です。

2010-05-13 07:39:37
ash @blue_ash_brown

@LDmanken あの講義の「理性」の根底にあるのは一神教の発想なのかもですね。より「人間らしい人間」とは何か?と。カントの時代は今よりキリスト教が強そうだし、そこと現代の学生、そして現代の日本人の我々との差が理解を難しくしているかも。(歴史をほぼ知らないのに適当発言 汗)

2010-05-13 07:45:50
ash @blue_ash_brown

@LDmanken 「自由の獲得を主においている」はそうかもしれません。自由の説明が、僕は森博嗣の「自由をつくる 自在に生きる」で言われている自由と同じだ!と思ってまたテンション上げていたわけですが(笑)

2010-05-13 07:49:07
ash @blue_ash_brown

@LDmanken 考えの核を「自由」から「繋がっていく物語」として考えるのも面白そうです。ちょっと具体的に結び付けられてないですが(笑)風雲児たち、まおゆうとも接続する「動機の感染」ですよね。それをもっと個人-社会レベルでうまく腑に落ちる言葉が欲しいです。

2010-05-13 07:51:46
LD @LDmanken

@blue_ash_brown ああ…(感)うう、出勤時間です(汗)またぼちぼちと…。

2010-05-13 07:54:44
ash @blue_ash_brown

@LDmanken 僕も・・・(笑)またよろしくおねがいしますー。

2010-05-13 07:55:47