新しい楽器:13.レコード:ミラン・ニザのBroken Music
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nakagawa09
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13.レコード:ミラン・ニザのBroken Music:今日はレコードという楽器を使う作品の古典として、ミラン・ニザのBroken Musicという作品を紹介します。
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ニザはチェコのアーティストで「Knížák」と書くらしく、Wikipediaによれば発音記号は[ˈmɪlan ˈkɲiːʒaːk]とあるので、「二ザック」とか「クニザック」と表記したくなるのですが、「ニザ(ック)」という発音しか聞いたことがないので、僕は「ニザ」と記します。Milan Knížák en.wikipedia.org/wiki/Milan_Kn%…
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Broken Musicは1960年代から1970年代にかけて作られたものです。レコードを傷つけたり、分割したレコードの断片同士を組み合わせたりしたレコード、もしくはそのレコードを再生したもの、です。展示される視覚美術だったり再生される音響だったりします。youtu.be/88ONydyRX7c
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なので、(リンク先の音を聞かずに話していますが)例えば、ビートルズの楽曲とファラオ・サンダースのサックスとベートーヴェンのピアノ協奏曲とディキシーランドジャスが数秒毎に再生されるレコードが出来上がったりするわけです。
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図式的に紹介すると、これは、〈普段は気づかれずに「透明」になっているメディアの存在感を可視化あるいは可聴化するアート〉です。 私たちはレコードを聞くとき、レコードに記録されるために発音された音(=原音)をそのまま聞いている、と思っています。でも実はそうではありません。
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私たちが耳にするのは、レコードの溝(あるいはイヤフォンやヘッドフォンの振動板)がゼロからその場で作り出す音、です。 例えば私たちは、レコードで「忌野清志郎の声」を聞くとき、実はキヨシローの声を聞いているのではなく、あくまでもレコードの溝がゼロからその場で作り出す音を聞いています。
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しかし、私たちはいちいちそんなことは気にせず、レコードの存在を無視して、レコードが作り出す音のことをキヨシローの声だと思いこんで聞くことにしています。そうしないと、レコードがレコードして機能しない。youtube.com/channel/UCpClB…
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記録される前の音と、記録に基づいて再生産される音とを(ほぼ)同じものだと思い込むことで、私たちは「レコード」というメディアと付き合っています。電話とかテレビも同じで、メディアの多くは、その存在感が意識されなくなって初めて、メディアとして機能します。メディアは「透明化」するのです。
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ニザのBroken Musicは、こうした透明化したメディアの存在感を改めて意識させることで、メディアの存在を可視化あるいは可聴化するアートです。
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こういう発想はけっこう昔からあります。まず挙げられるのが、リルケの「始源のざわめき」(1919)というテクストです。|ライナー・マリア・リルケ - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9…
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そこでリルケは、蓄音機の針を頭蓋骨の縫合線に当ててみたい、と述べます。以下はフリードリッヒ・キットラーの『グラモフォン・フィルム・タイプライター』に採録されたテキストの一部です。|筑摩書房 グラモフォン・フィルム・タイプライター上 / フリードリヒ・キットラーchikumashobo.co.jp/product/978448…
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「 頭蓋骨の冠状縫合線と、蓄音機(フォノグラフ)の針が録音用の回転する円筒(シリンダー)に刻み込む、細かく揺れ動く線とには(まずこの点をただす必要があるだろう)――私たちがそう思おうとすれば――一種の類似性があるようにみえなくもない。(つづく)
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さて、ここでこの針を欺き、本来はある音をさかのぼって再現すべきその針を、任意の線状、すなわち音が図形に転化された線形の上へではなく、それ自体で自然のままのものとして存在している線状の上へ持っていくとしたら、どうだろう(つづく)
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――そうなのだ、もうはっきり言ってしまおう、(たとえば)まさにあの冠状縫合線の上へと――そうしたらいったい何が起こるだろうか。音が発せられるだろう、音の連なり、音楽が…。」
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次に挙げられる有名な例は、バウハウスにいたモホリ=ナジ・ラースローの「生産ー再生産」(1922)というテクストです。|モホリ=ナジ・ラースロー - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2…
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1920年代初頭に彼は、普通は再生産のために使われる蓄音機を音楽制作のために使ってみるのはどうか、と提案しています。また、実際に1920年代には、蓄音機や自動ピアノなど再生産のために使われているメディアを、作曲のために使う芸術音楽の作曲家がたくさん出現しました。
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パウル・ヒンデミットら当時の前衛作曲家たちが「グラモフォンムジーク」という動向に関わったことが知られています。 |Hindemith, Toch, and Grammophonmusik: Journal of Musicological Research: Vol 20, No 2 tandfonline.com/doi/abs/10.108…
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彼らは、レコードに録音された音を舞台上で音楽作品の一部に使うなど、「機械音楽」を追及していました。また、ストラヴィンスキーも自動ピアノのために作曲していました。こうした動向についても、渡辺裕の名著『音楽機械劇場』(新書館、1997年)に書かれています。honto.jp/netstore/pd-bo…
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1920年代後半にはトーキーが出現したので、フィルムに音を記録することが可能になり、1950年代以降に本格化する録音物の編集が実はこの頃に既に可能になっていたり、フィルムのサウンドトラックに直接手で描くことで音を作る試みがなされていたりしました。
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描くのではなく編集した代表例は、Walter Ruttmannの《Wochenende (Weekend)》(1930)です。youtube.com/watch?v=UvrS8u…
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エイゼンシュタイン(Sergei M. Eisenstein)とG・アレキサンドロフ(Grigori Aleksandrov)による《Romance Sentimentale》(1930)も、録音物を編集した最初期の事例のひとつです。youtube.com/watch?v=5PAgAd…
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また、描いた代表例は、モホリ=ナジ・ラースロー自身による《Tönendes ABC》(1932年)です。彼は音の描き方と生み出される音を「アルファベット」と呼んで実験したことで有名です。|ABC in Sound | BFI National Archive - YouTube youtube.com/watch?v=ui_FU-…
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この作品では、おそらくはサウンド・フィルムのサウンドトラック 部分を手で描くことで音を作り出し、その音に合わせて変化するアニメーション映像が同期しているように見えます。
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モホリ=ナジのこの試みは長らく失われたと思われてきましたが、2019年6月に再発見されました。以下はその記事。|ABC in Sound: László Moholy-Nagy’s rediscovered experiment in visual sound | Sight & Sound | BFI www2.bfi.org.uk/news-opinion/s…
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