喜多野土竜さんがジブリを「浦島太郎」を使って解説

喜多野土竜さん(ジャンプ・スクエアのマンガ入門企画『SQ.マンガゼミナール MANZEMI』原作者(bio欄より))のジブリに関するツイートのまとめ
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喜多野土竜 ⋈ @mogura2001

12)例えば、王さという字は、上の横棒が天を、下の横棒が大地を表し、王様というのは天意を受けて地上を支配する・または天の意志を下界に伝える存在の事を表した文字、なんて説明がされていた訳ですが、白川先生が象形文字を追っていくと、王という字は元々は金属製の斧の形から生まれた物と判明。

2011-12-17 02:08:59
喜多野土竜 ⋈ @mogura2001

13)つまり、相手の生命与奪の斧、首切り用のそれを持つ者が王だった訳で。では、農耕文明が最も早く生まれたとされるメソポタミアはどうか? 実は、カインとアベルの物語は、メソポタミアの農耕文明の習慣が反映されているのではないか…という説があります。

2011-12-17 02:13:15
喜多野土竜 ⋈ @mogura2001

14)カインとアベルはアダムとイブの息子です。この兄弟はアダムとイブがエデンの園を追放されたのちに生まれ、兄のカインは大きくなって農耕を、弟のアベルは牧畜を行うようになります。ところが、二人がそれぞれの収穫物を神に捧げたところ、神はカインの農作物を無視、アベルの仔羊を是とします。

2011-12-17 02:21:40
喜多野土竜 ⋈ @mogura2001

15)この結果、嫉妬に駆られたカインは弟を殺害します。嘘をついてしらを切ろうとしたカインは、神に見透かされ、エデンの東の荒地に追放されます。しかし、神の慈悲で、復讐されないように額に印を付けられます。非常に重い内容の説話のため、このモチーフはいろんな作品の中に取り込まれます。

2011-12-17 02:25:46
喜多野土竜 ⋈ @mogura2001

16)ジェームズ・ディーンの『エデンの東』や有島武郎の『カインの末裔』、成田美名子先生の『サイファ』や小野不由美『屍鬼』などなど、この説話をベースにした作品は数多いです。農耕民族と牧畜民族の対立の反映という説もありますが、追放神官の制度の物語化ではないかという説があるのです。

2011-12-17 02:33:23
喜多野土竜 ⋈ @mogura2001

17追放神官とは、神に捧げる生贄の人間を殺した聖職者が、一定期間追放され、放浪の旅をするという制度。いくら神様のためとはいえ、人間を殺すのはかなりの負い目を背負う物なので、ある種の穢れが消えるまで、苦難の旅に出る事で中和するイメージでしょうかね。

2011-12-17 02:37:40
喜多野土竜 ⋈ @mogura2001

18)で、この神官の顔に、こいつは追放神官だよとわかる印がつけられていたと。四国のお遍路さんの格好のような物で、来たない格好をして放浪しているけれど、こいつを迫害しちゃいかんよという、通行手形みたいなものだったんでしょう。先のカインとアベルの物語に、ピタリと符合しますね。

2011-12-17 02:40:36
喜多野土竜 ⋈ @mogura2001

19)信仰や儀式の在り方は多種多様でも、どうやら人類には無意識的に何かを得るには何かを犠牲にしないといけない、何かを得たらその代償を払わないといけない、という考えが広く見られるようです。で、この考えは世界中の物語に、普遍的に見られる考え方のようです。例えば、浦島太郎。

2011-12-17 02:45:30
喜多野土竜 ⋈ @mogura2001

20)アレを亜高速移動して別の星に行った人間の話と解釈する向きもありますが、要は竜宮城に行って、美女に出会ってタイヤヒラメの舞い踊りなんて珍しいモノを体験した代償として、太郎は時間という大事なモノを奪われた訳です。人魚姫は王子様との恋のために、代償として美しい声を失います。

2011-12-17 02:48:58
喜多野土竜 ⋈ @mogura2001

21)逆に、醜いアヒルの子は、醜さというマイナス、他人と違うという差別を受けて追放されるというマイナスを強いられた代償として、美しい白鳥に成長するという対価を受けます。ここら辺は、鉢担ぎ姫やシンデレラも同じ。人生はプラスとマイナスの均衡という考えが根底にあります。

2011-12-17 02:53:20
喜多野土竜 ⋈ @mogura2001

22)さて、ジブリ作品。ようやくかいと怒らないように。実はジブリ作品は基本的に、浦島太郎的な構造を持っています。異界から来た人間に出会った主人公は、自分が知らなかった世界にいざなわれ、そこで珍奇な体験をする、というのが基本形です。浦島太郎では亀ですが、ジブリ作品ではどうでしょう?

2011-12-17 02:56:29
喜多野土竜 ⋈ @mogura2001

23)厳密にはジブリ作品とは言えませんが、『パンダコパンダ』では、突然やって来たパンダの親子によって、主人公は騒動(冒険)に巻き込まれますね。『未来少年コナン』では、ラナという亀(出会ったのは浜辺!)のおかげで、コナンは残され島という小さな世界から、大きな世界に踏み出します。

2011-12-17 03:00:52
喜多野土竜 ⋈ @mogura2001

24)『カリオストロの城』では、クラリスという亀がルパンを冒険の世界に。『トトロ』では、トトロという亀に乗って不思議な体験をしますし、『ナウシカ』では、亀役はラステル。『ラピュタ』では(以下略)。他の作品も、亀役という視点で役割を考えて見てください。パターンが見えてくるはずです。

2011-12-17 03:10:28
喜多野土竜 ⋈ @mogura2001

25)別にジブリ作品でなくても、間違い電話によってやって来た女神様や、時空を移動される不思議な京劇の面が亀役の作品とか、いろいろあります。さて、ジブリ作品の場合、傑作とされる作品と賛否が別れる作品とでは、あるポイントが別れるように、自分には思われます。それは、玉手箱の存在。

2011-12-17 03:19:30
喜多野土竜 ⋈ @mogura2001

26)浦島太郎の場合、彼の幸福な特異体験は、玉手箱によってマイナスが加えられ、代償を払わされます。宮崎作品でも、コナンは外の世界に出て行く代償としてオジイの死を経験し、そのマイナスを取り戻すかのように仲間を増やし、経験を積み、冒険を重ねますね。

2011-12-17 03:25:07
喜多野土竜 ⋈ @mogura2001

27)ラピュタとカリ城は構造がかなり似ていて、前者は亀役のシータとの愛を手に入れる代わりにラピュタの超科学文明を放棄する。ルパンはクラリスの愛を手にしながら、それを放棄する事でプラマイゼロ。その代わり、カリオストロの秘宝をクラリスに残す。表と裏の関係になっています。

2011-12-17 03:29:25
喜多野土竜 ⋈ @mogura2001

28)その視点でみると、パンダコパンダは小さな危機はありますが、基本的に玉手箱要素が少ない。それは一見カリ城に似ているように見える紅の豚にしても、ハウル、ポニョ、そしてアリエッティも同じ。トトロも、代償という意味で大幅黒字。だからこそ、娘が実は死んだ云々の伝説が生まれる訳で。

2011-12-17 03:36:50
喜多野土竜 ⋈ @mogura2001

29)宮崎作品の場合、この玉手箱要素が足りないと何か物足りない作品になりがち。ただ、例えばポニョでは、ポニョからの無償の突撃愛をもらったがために街が洪水になるし、千と千尋では少女買春の暗喩であるカオナシは、嫌われ目的を達成できないという、小さな玉手箱要素が仕込まれてはいる。

2011-12-17 03:41:22
喜多野土竜 ⋈ @mogura2001

30)コクリコ坂が、構造的には問題がありつつも、異母兄妹ゆえの許されない愛というマイナス要素の解消という、玉手箱の逆封じ込め型なので意外とまともに思えるのは、そのためでもあります。その視点でみると、アリエッティは誰が亀で何が玉手箱なのか? 亀は、実はアリエッティそのもの。

2011-12-17 03:45:11
喜多野土竜 ⋈ @mogura2001

31)問題は、そのアリエッティ自身が、父親という亀によって借りに出るという、二重構造になってしまっており、視点の混乱が見られる事。また、彼女の方には人間に見られたら終わりという玉手箱要素が一応あるのに、翔の方はその点が曖昧で、しかも玉手箱要素をアリエッティの側が突きつける。

2011-12-17 03:50:15
喜多野土竜 ⋈ @mogura2001

32)カリオストロの城なら、クラリスの方から、住む世界が違うから悲しいけれど別れましょう、とかいうのと同じ。そりゃ、宮崎監督泣きますよ。ラピュタなら、シータが「原発と同じで、ラピュタの超科学文明も使い方次第で安全だから、例の呪文は唱えずにおきましょ」と言うも同然ですね。

2011-12-17 03:55:38
喜多野土竜 ⋈ @mogura2001

33)一見すると、ジブリ風味はたくさんあるように見えながら、どうもアリエッティが自分にはピンとこないのは、玉手箱要素が曖昧な点と、カリオストロの城のリバースのように見えるアリエッティの身の引きかたが、必ずしもリバースではない事からくる、違和感なのかなと。

2011-12-17 04:01:03
喜多野土竜 ⋈ @mogura2001

34ピクサー作品でも、ファインディング・ニモが、お父さんの視点で語られていたはずの物語が、途中からずれてしまっている事を、三宅隆太監督が指摘していたけれど。アリエッティも、アリエッティという亀に乗った翔の視点なのか、父親や翔を亀としたアリエッティの視点なのか、曖昧。

2011-12-17 04:06:01
喜多野土竜 ⋈ @mogura2001

35)この曖昧さは、コクリコ坂にもある気がします。玉手箱を閉じるのが、自力ではなく他力である点や、校舎立て壊しの反対運動決着が鶴の一声である点など、主人公が追い込まれず、追い込まれても安易に助けが差し伸べられる。ゴローちゃんへの過保護ぶりの投影だとしたら、それはそれ…。

2011-12-17 04:12:17
喜多野土竜 ⋈ @mogura2001

36)コナンもナウシカももののけ姫も、自然から過剰に奪えばしっぺ返しがくると言う、ある種の畏れが宮崎監督の作品に常に通底していたとしたら、それが亀と玉手箱の関係であったはず。アリエッティとコクリコ坂には、亀は欲しても玉手箱はできればスルーしたいような、そんな気分が見えるような。

2011-12-17 04:17:36