自分の息子の「正妻」を「妾」(めかけ)だと日記に書いてた藤原道長。常識では理解できない平安時代の「結婚」。本当に「一夫一妻制」だったのか?

源氏物語の時代の「結婚」は、本当に「一夫一妻制」だったのか?疑問点を検討する。
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巫俊(ふしゅん) @fushunia

@SazakiRyo ご教示・ご紹介頂きまして、ありがとうございました。時間が無くて、読めたのは博士論文の「婚姻研究に見る源氏物語論」の方でしたが、ずっと疑問に思ってたことが丁寧に読み解かれていて、心が晴れました。

2024-01-07 15:16:46
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@SazakiRyo 中国古代史が好きで、大学でも中国史を選んだ後、「妻・妾」などの言葉は中国から来てても、異質だとすぐ気付く「日本の古代」に興味を移しましたので、何故、「正妻以外は妾」「律令に書いてある」って話になってるんだ…どうして正しい説として扱われてるの?と、当惑してました。

2024-01-07 15:40:39
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@SazakiRyo すべての新説が正しい訳では無いですが、疑問点があっても押し切られるというか、押し切られるというより、新陳代謝がゆっくりしてて、平安時代の「一夫一妻」説がようやく世間に広まってきた頃には、疑問点がたくさん浮かんで来る訳ですから、何を参考にしたら良いのか、分からなくなっていました。

2024-01-07 15:57:32
巫俊(ふしゅん) @fushunia

青島麻子「婚姻研究に見る源氏物語論」(博士論文、2012年)を開けたところなのですが、奈良時代においては「妻妾未分離の実態」があったとし(関口裕子説)、8世紀の籍帳では便宜的に年齢の高い方の女性が「妻」、続いて「妾」と表記され、別の文献では同一人物が「妻」とも「妾」とも表記されてると twitter.com/SazakiRyo/stat…

2024-01-06 14:41:23
砂崎良【SazakiRyo】 @SazakiRyo

一夫一妻多妾制説については藤井貞和先生が「奇抜な説(珍説と言ってよかろう)」と批判されていて また法的な面を言っているのか実態か、正妻は婚姻時に定まったのか事後か、確定か流動的かという諸要素が混乱したまま話が進んでしまう傾向があります 青島麻子先生の『源氏物語 虚構の婚姻』が詳しい twitter.com/tarareba722/st…

2024-01-03 07:16:45
巫俊(ふしゅん) @fushunia

また、胡潔氏は、公的行政執行にあたるときの等親基準となる日本の律令の「儀制令」五等条では、妻・妾をともに二等として区別をしないが、私的な事柄の財産相続・服喪の規定では、妻妾区別があるとして、「ある種の選択の自由を提供していた」と指摘してるそうです。

2024-01-06 14:49:59
巫俊(ふしゅん) @fushunia

「妻」として法令に服するか、「妾」として法令に服するかは、個人を取り巻く諸要因によって決められるようになっていて、好都合な実態があったとのことでした。律令には「妻」と「妾」の待遇に格差が見える条文もあるものの、それは日本が律令の参考にした中国に比べて、不徹底だったとのことです。

2024-01-06 14:57:09
巫俊(ふしゅん) @fushunia

平安時代になってくると、面白い。まず、「妻(め)」という言葉は時代が下るほど、身分低い者の配偶者を指す言葉になるが、それはより敬意を込めた「北の方」などが出てきたから。複数の女性を妻と呼び、三人の妻がいる男性の例も『大和物語』にはある。『源氏物語』にも「妻ども」とあるとか。

2024-01-06 15:15:04
巫俊(ふしゅん) @fushunia

この「妻ども」は、身近な話で例えると、小学校の学級懇談会に集まった既婚の女性たちを(一人ひとり別の夫がいる一夫一妻制社会の)「妻ども」と呼ぶようなものでは無くて、光源氏の妻たちを指してるから、正妻一人以外は妾になるとの記述とは違います。

2024-01-06 15:20:19
巫俊(ふしゅん) @fushunia

しかし、一方で文学作品では無い貴族の日記になると、『小右記』には藤原道長の二人の配偶者を、源倫子=「北方」、源明子=「妾妻」と記した例があるが、太政大臣藤原為光の娘の場合は、前夫の妻になった後、三条天皇の皇后に仕えて、そこで皇后の親の道長に寵愛されて「摂政妾」と記述されてる。

2024-01-06 15:28:02
巫俊(ふしゅん) @fushunia

太政大臣の娘が、「妾にされてしまう」のは、彼女が道長の娘にあたる皇后に仕えたために、身近な存在としての召人扱いされたからでした。

2024-01-06 15:31:09
巫俊(ふしゅん) @fushunia

一方で、当の藤原道長は、自分の日記の中で、倫子と明子の地位に差があることを示す表現を一切していないともあります。

2024-01-06 15:32:54
巫俊(ふしゅん) @fushunia

しかも、藤原道長は、自分の部下(家司格)が任地に同行した女性を「妾」と呼んでるが、これは身分低い者の配偶者だから「妾」と呼ばれてるのであって、妻に対する妾では無いとあります。

2024-01-06 15:35:56
巫俊(ふしゅん) @fushunia

道長は、部下の本妻を「本妾」と記述する他、建物の妻戸口を「妾門口」と書くこともあったし、他の記録には「北方」とある女性を、自分の息子の妻だから「妾」と記すことさえありました。

2024-01-06 15:41:34
巫俊(ふしゅん) @fushunia

また、『名義抄』という文献では、「妾」を当時の日本語で「コナミ」と読み、「嫡」(嫡妻=正妻)を「モトツメ」と読むとあるが、「前妻」の読み方になると、「モトツメ」「コナミ」だとしていて、妻妾の分別が徹底されて無いです。

2024-01-06 15:51:38
巫俊(ふしゅん) @fushunia

そのため、『源氏物語』には「本妻」という言葉が出てくるが、これは新たな妻に対する「本からの妻」と言う意味でしか無いとのことです。

2024-01-06 15:53:06
巫俊(ふしゅん) @fushunia

『うつほ物語』には、藤原兼雅の配偶者たちが、まとめて「本妻ども」と呼ばれる場面まであるとか。

2024-01-06 15:55:21
巫俊(ふしゅん) @fushunia

そのため、「嫡」の和名がモトツメ(本妻)だとする『新撰字鏡』『名義抄』の記述は、実態に即していないとのことで、漢籍を意識したすり合わせのようです。

2024-01-06 15:58:11
巫俊(ふしゅん) @fushunia

ただ、コナミが「妾」と表記されるのは、新たな女性が寵愛されると、前の女性は顧みられなくなる、当時の社会の悲しい様相が、「妾」との漢語表記に込められる、とされてます。これも興味深いですね。

2024-01-06 16:01:15
巫俊(ふしゅん) @fushunia

一方で、「むかひめ」(すり合わせ漢語は「嫡」)の派生語とおぼしき「むかひ腹」などの言葉を見ていくと、時代が下るにつれ、格差が顕在化してく様相も読み取れるそうです。 「むかひ腹」は「外腹」と対比して、『栄花物語』に出てきます。

2024-01-07 18:45:46
巫俊(ふしゅん) @fushunia

藤原実資の『小右記』では、倫子を「当腸」、明子を「外腹」と記述してるとのことです。そうした正妻にあたる存在は、相対的かつ流動的なものだったと見られてて、この人は「妻」、この人は「妾」だと、法律的に結婚した時から決まってた訳でも無く、その女性に有力な後見人がいるか、子どもを産んだか

2024-01-06 23:27:12
巫俊(ふしゅん) @fushunia

といった風に、色々な事情を合わせて、結果的に正妻だと認知されていくようになってて、最初から正妻だと認知されてたパターンもあるかもしれないですが、流動的だとのことです。

2024-01-06 23:34:48
巫俊(ふしゅん) @fushunia

少なくとも、より古い時代に関しては、複数の氏族と婚姻関係を結んで勢力を強化する必然性からして、正妻以外は劣位の妾だと見て良いようには思えませんでした。

2024-01-05 19:52:02
巫俊(ふしゅん) @fushunia

あまり知られてないですけど、奈良時代の信濃国では、主人が死ぬと「妾」に殉死を強要してた国俗があり、それを許容しない立場も法令的には存在したようです。この妾が生殺与奪を思うままにされた身分だとすると、複数の集団と婚姻するときの第二夫人的な妾ととは違う妾が存在したことになります。

2024-01-05 20:00:02
巫俊(ふしゅん) @fushunia

そうすると、やはり「妾」というのは、妻と妾を分ける中国的な表記から出てきたもので、日本列島の多様な実態とは離れてると考えるべきだと思うようになりました。

2024-01-05 20:02:10