法華経に現れる二重構造、文上と文底その二

大聖人の仏法を文の底から説くことの重要性に関して呟きます。偉大な戸田先生ですら、法華経解説に文上となる摩訶止観を用いた結果、事業が破綻するという罰を受けるという失敗をされています。そこで文底から法華経を説くために御義口伝を用い、奇跡の復活をされました。池田先生の晩年最後の講義も、法華経を文底から説いた御義口伝でした。
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komekome39 @komesandazo

「よくこの経法を護るものがあるならば、そのものは即ち、私と及び多宝如来を供養することになるのである。この多宝仏が宝塔におられて、常に十方に遊行しておられるのは、この経のための故である。また多くのきたりたもう化仏で、多くの世界を厳かに飾り、光で飾りたもうものをも供養するのである。」

2024-04-22 21:33:06
komekome39 @komesandazo

三枝充悳訳 法華経宝塔品 即ち、「其の跡を継紹」とは、釈迦・多宝仏がその中に座しておられる宝塔であるということが言える。しかもこの宝塔は正法時代の法華経ではない。南無妙法蓮華経の宝塔である。その理由は、同御書には、「彼(正法)は一品二半此(末法)れは但題目の五字なり」とあるからだ

2024-04-22 21:41:53
komekome39 @komesandazo

「其の跡を継紹」と同御書にあるのだから、当然この宝塔の中央におわすお方は、釈迦や多宝仏ではなく、大聖人その方でなくてはならない。事実、本尊問答抄では、「此(宝塔)の中には已に如来の全身有す」と、宝塔の中に仏様がいらっしゃることに触れつつ、その後で、 続く

2024-04-22 21:49:57
komekome39 @komesandazo

「法華経の教主を本尊とす法華経の正意にはあらず」と述べれていることから、南無妙法蓮華経という宝塔の中にいらっしゃる仏様は、釈尊などではなく、大聖人そのお方であることを間接的に仄めかされている。これで「日蓮が魂は南無妙法蓮華経にすぎたるはなし」の御文を証明できたことになる。 続く

2024-04-22 21:53:08
komekome39 @komesandazo

加えて大事なのが、大聖人が引用された法師品の「須臾も之を聞く・即阿耨多羅三藐三菩提を究竟するを得」の箇所。 三枝氏の現代語訳より、「ほんの短時間でもこれを聞くならば、即ち最高の完全な悟りを隅々まで極めることができる」。 この御文は、真筆が存在しないので偽書扱いされがちの、 続く

2024-04-22 22:15:17
komekome39 @komesandazo

総勘文抄の次の御文と全く同様の意味である。「釈迦如来・五百塵点劫の当初・凡夫にて御坐せし時我が身は地水火風空なりと知しめして即座に悟を開き給いき」。この総勘文抄で言及される釈迦如来は、実はインドの釈尊ではない。観心本尊抄で明らかなように、釈尊は即座に悟りを開いたわけではない。 続

2024-04-22 22:17:40
komekome39 @komesandazo

因位という修行時代、或いは開目抄に説かれるように、謗法を犯した時代を経て仏になったのがインドの釈尊だからだ。一方で大聖人は、法華経を聞いて即座に仏になったと観心本尊章で説かれているということが言えるので、修行時代や謗法時代という隙間がない、宇宙生命と一体の仏ということが言える

2024-04-22 22:26:12
komekome39 @komesandazo

一方で釈尊は、隙間のある仏なので、宇宙生命と一体の仏とは言えない。だから仏像という形態で表現された迹仏ということが言える。より詳しい議論は、池田先生の法華経の智慧5巻p277を参照すべし。

2024-04-22 22:28:29
komekome39 @komesandazo

今までの呟きのまとめとして、日興上人は「義道の落居無くして天台の学文す可からざる事」即ち、大聖人の仏法をよく知らないで天台の教えを学んではならない、これに背くものは、「日興が末流に有る可からず」、即ち、日興上人の弟子にあらず、と厳しく指導された。私は最初この意味が理解できなかった

2024-01-07 14:47:17
komekome39 @komesandazo

しかしながら、御書や法華経を学ぶことで、この意味がよく理解できた。どれほど深い意義がここにあるか、このまとめを最後まで読んでいただければ、分かっていただけるかと思う。そして、こうした大聖人、日興上人の教えを現代に蘇られてくれたのが、創価の三人の会長、牧口、戸田、池田先生だ。 続

2024-01-07 14:54:33
komekome39 @komesandazo

そして、池田先生なきあと、その教えを私たちが受け継いでいかなければならない。師匠はなくとも、師匠が残された書物、人間革命、新・人間革命、法華経の智慧、御書の世界、御義口伝講義、青春対話等が先生の遺言となる。法華経の重要なテーマの一つは、釈尊という師匠なきあと、誰が師匠の教えを 続

2024-01-07 15:00:13
komekome39 @komesandazo

正しく受け継いでいくのか、だ。時代が経つとともに、大聖人の御精神を腐らせて、法主こそが絶対であるという邪義を唱え、大聖人の遺言ともいうべき御書の教えに反した日顕宗は反面教師となる。創価の歴代の会長先生の教えを正しく後世に残せるか否かは、私たち残されたものにかかっていると言えよう。

2024-01-07 15:04:45
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