ある意味で、民主主義が最も恐るべき体制なのかもしれない。200万人がデモをし、国中でストライキが起きても、数日でも経てば何事もなかったかのように変らぬ日常が戻って来るのだから。同じようなことが独裁体制下で起これば、1日で国が崩壊するだろう。
2011-12-02 00:38:50ツィッター主体のデモ人口を増やすためには、ツィッター以外での情報拡散と同時に、ツィッター自体への参加を呼びかけることが重要なのではなかろうか。ツィッター自体がデモみたいなものなのだから。
2011-12-13 23:55:51ツィッター等で原発ネターをツイートしてる人はすでに立派な脱原発エージェントと言っていい。とすれば、次なるステップは、日々の暮らしの会話にさりげなく原発ネタを混ぜ合わせていくことだろう。そういうことが同時多発的に広がっていけば、いざというときに世論を動かすことができるかもしれない。
2011-12-05 03:22:43客観的なデータをいくら提示されても、一度植え付けられてしまった猜疑心や恐怖心はそう簡単に消えるものではない。それを非科学的な態度だと決めつけて非難しても始まらない。人間はつねに科学的な思考に従っているわけではないのだから。
2011-12-05 21:04:16というより、いま「風評被害」と言われていることの多くは風評被害とすら呼べない。なぜなら、客観的データとして平常時には考えられなかったことが起きているのだから。それを「安全だ」といくら言い募っても科学的に説得力を持ち得ない。「普段より少々高めだけど、心配ないからね」と言われても・・
2011-12-05 21:08:42原発事故に対する過大評価を慎まなければならないというのなら、同じく過小評価も慎まねばならないだろう。なにせ人類史上未曽有の大事故が起きているのだから。未知なる部分がかなりの部分を占める限り、いくら防衛的になってもなり過ぎることはないはずだ。ただし、言っていいことと悪いことはある。
2011-12-13 03:37:35とにかく一つだけはっきりしているのは、3・11以降の現実に太刀打ちできるような表現が圧倒的に不足しているということだろう。原発問題はこれまでのありとあらゆる社会的矛盾を凝縮しているようなものだが、一方で確実に新しい問題をも提起している。そこには新しい可能性すらあるのかもしれない。
2011-12-05 23:59:29