これまで原発に生活を振り回されてきた地方は、今こそ自らが再生エネルギーの開発基地になって、原発の甘い汁だけをむさぼってきた都会にリベンジする時が来たのではなかろうか。
2011-12-19 06:08:33都会は都会で自分で電気を調達できないというのならば、今こそ自ら原発を造ったらいいのではないか。都会人自身に罪はなくとも、地方に原発があることに対しての責任はある。
2011-12-19 06:10:12放射能の問題は時間が経てば経つほど顕在化してくるが、人間の脳は時間が経てば経つほど物事に鈍感になってくる。この恐るべき逆説に抵抗するにはどうしたらよいのだろうか。
2011-12-19 02:26:52仮にいま原発を全部止めたとしても、放射能の問題は何世代にもわたって残る。そう考えると、脱原発運動は全原発の廃炉を最終目標にすることで終わってしまってもいいのか、という疑問すら浮かぶ。それほど事態は深刻なのだという認識。そこから出発するしかない。
2011-12-19 02:31:27チェルノブイリ関係の映像を見ると、その悲劇のリアリティを実感できる。だが、日本でまったく同じようなことが起きつつあるのだというリアリティをもつことがはるかに困難であるのはなぜだろうか。ずっと反原発を叫んできた自分ですらこの有様なのだ・・・。
2011-12-19 02:36:51危険を煽ることと、安全を帰することは異なる。多くの場合、安全を帰そうとすると、危険を煽っていると言われる。危険を煽ることを慎むからといって、安全を帰することを妨げてはいけない。危険をタブー視すればするほど、安全を帰することが難しくなっていく。
2011-12-19 02:45:45原発や放射能の問題は考えれば考えるほど出口なしであるという閉塞感に襲われてまったくやりきれなくなる。だから人は考えないようになっていく。しかし、それよりもはるかに恐ろしいのは、たとえ考えたとしてもほとんど何も実感できないことだ。
2011-12-19 03:17:11物理的証拠がいくらでもあるホロコーストでさえその事実を否定しようとする者が後を立たなかったのならば、物的証拠がほとんど計測器の数値しかないような今回の原発事故の悲劇を記憶に留め、その影響と被害を正当に評価し、正当に補償させるためには、一体どれほどの想像力が必要とされるのだろうか。
2011-12-19 03:29:05「立入禁止区域内の遺棄された風景は、私にとっては人類の終焉を意味するものです。あなたはそこで、人類の終焉を見ることができるでしょう。人類の未来は、私たちが原子力エネルギーを使い続けるかどうかにかかっています。」(ピエル・パウロ・ミッティカ、『図書新聞』2011年12月24日号)
2011-12-19 03:49:17ミッティカ氏は立入禁止区域の汚染は20万年続くと言っている。かたや、政府筋は早くて数年、長くともせいぜい数十年と言っている。両者の平均をとっても、10万年弱にしかならない。
2011-12-19 03:52:54原発と放射能は死を象徴する。だからタブーになる。3・11以降、タブーは破られつつあるが、人間が死を封印したがる限り、タブー化の圧力は消えない。デモはそうした自動的なタブー化に抗う最も有効な武器だ。
2011-12-17 02:24:092030年でも2050年でもいいが、いずれは原発のない社会をめざしましょうといった言葉は、電力会社はもちろん、現政権からも経産省からも経団連からも一切届かない。ということは、単にその気がないだけでなく、原発にもっと頼りましょうという3・11以前の姿勢のままと理解せざるを得ない。
2011-12-14 16:18:14原発政策を未だにに実質的に支えているのはもはや電力会社と国と経済界と原発立地の一部住民だけ。そういう一握りの意思を食い止める上で今最も大きな潜在力をもっているのは、原発が現に存在する土地の周辺に住んでいる住民だろう。彼らの断固たる反対の声とそれを支える私達にすべてはかかっている。
2011-12-14 16:24:17ドイツが最終的に脱原発を選択したのは、倫理や論理や社会正義の問題と関わる知識人たちの見識が、電力や原子力の知識を売り物にする専門家や科学者の見解よりも政府に重視されたからである。「社会学者や哲学者が原子力に終止符を打った」(日経ビジネス)http://t.co/pHOmdqo1
2011-12-18 15:54:01日本にも倫理や論理や社会正義の問題と関わる知識人は少なくないが、政府だけでなく世間にもあまり珍重されていない。そうした大きなハンデはあるものの、著名な批判的知識人による社会問題へのコミットメントにおける不徹底さの罪は大きい。
2011-12-18 15:59:57