灰羽連盟とグノーシス-神の王国は汝らの間にあり…-

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Takuya Watanabe @sugar_thought

なんだってまかり通る世界でどれほど強く生を見つめる事が出来るのか。或は死に、また或は生まれる事が出来るのか。私の心臓の理論は前提として様々な硬直状態を孕む絶望から歩み始めたい。

2011-12-21 02:07:40
Takuya Watanabe @sugar_thought

なにもかも拡張する事で逆にフラット化してしまう。非合理的な秩序や理論を広がり過ぎた世界に付与して行かないとエントロピー氏に押し負ける。私のジョーカー。

2011-12-21 02:13:59
タト @Leethoo_Tat

@sugar_thought この絶望から始めるというの、「事実」「真理」「真実または開示真実」の三段論法からグノーシスにつなげると面白いですよ。あとで書いてみますね。

2011-12-21 03:03:11
タト @Leethoo_Tat

・「事実」:感性的・感情的・論理形式的に認識される世界のありよう。現象様態。 ・「真理」:世界の現象の論理的再構成に関する抽象的な真理命題。 我々は世界を多数の「事実」で知り、「真理命題」の集合体の有機構造の把握形式で思考する。(続

2011-12-21 03:10:15
タト @Leethoo_Tat

我々の思考は「真理命題」の有機構造と個々ばらばらな事実命題の集合を関係付け、そこから新しい真理命題を演繹するという論理操作になっている。(続)

2011-12-21 03:12:40
タト @Leethoo_Tat

・「開示真実」:このような論理思考、ロゴスの演繹展開にあって、何かを契機として突然に「ずれ」が起こるとき、真理命題の構造世界が別の構造世界に切り替わる一瞬にあって、垣間見える「何か」。(続)

2011-12-21 03:14:26
タト @Leethoo_Tat

つまり、「開示真実」とは、ロゴスの構造が別の構造に切り替わるとき、その隙間に瞬間に現れる、「気づき」のこと。〈グノーシス〉は「事実」でも「真理」でもなく、この「開示真実」にあたる。〈グノーシス〉=「開示真実」はロゴスを前提としているが、ロゴスではない。ロゴス的認識でもない。

2011-12-21 03:23:38
タト @Leethoo_Tat

というのは、ロゴスの有機空間のズレ・裂け目に垣間見える何かだから。

2011-12-21 03:28:45
タト @Leethoo_Tat

人間と人間のあいだに「神の王国」=「シェキナー」が宿るということについて。1)人は言葉を理解を求めて発する。[=人と人のあいだにシェキナーがある人] 2)しかし言葉は理解されず、言葉を発することで自己が滅びへと向かう。[=人と人のあいだにシェキナーがない人]

2011-12-21 03:36:25
タト @Leethoo_Tat

イエスは人と人の間に神の王国があると教えた、しかし、そのイエス自身はどうであったか。彼は孤独であった。人と人の間に神の王国が成立しない人というのは、孤独な人であり、他者との間に無限の距離があり、間に深淵がある人である。

2011-12-21 03:40:43
タト @Leethoo_Tat

人は本来的に「孤独」であり、その立ち位置のまわりには暗黒の深淵がある。人は孤独に生まれ孤独に死んで行く、この孤独と暗黒は、自己がどこから来たのかどこへ行くのか分からないという闇である。本来的自己が分からないということで、これが実存主義の人間の存在の姿である。

2011-12-21 03:44:33
タト @Leethoo_Tat

教えだけを見れば、人と人の間に「神の王国」=「シェキナー」があると云うのは、人の心と心の間の通い合いということである。しかしこの孤独なイエス自身を見ると、彼に見出されるのは、そのような「神の王国」=「シェキナー」は、実は本当の「神の王国」=「シェキナー」ではないということになる。

2011-12-21 03:55:26
タト @Leethoo_Tat

ある日のふとした「気づき」である「開示真実」=〈グノーシス〉と、イエスの如き孤独の暗黒とは無関係ではない。〈グノーシス〉とは、誰かと心を通い合わせる事ではなく、自己の中に自己の本来性の根拠を見出す事であり、無限の暗黒の深淵が実は既に乗り越えられているという自覚に他ならない。

2011-12-21 04:04:29
タト @Leethoo_Tat

「開示真実」=〈グノーシス〉は、絶望の中に光を見いだすことであり、この光は、ロゴスの構造の裂け目にあって垣間見えるもので、ロゴスの定式には従わない。「開示真実」=〈グノーシス〉とは、真理であるが真理はない、即ち無(非存在)である。

2011-12-21 04:13:28
タト @Leethoo_Tat

アニメで言えば『灰羽連盟』のクウを思い浮かべていただければうってつけの例であると思われる。

2011-12-21 04:20:23
タト @Leethoo_Tat

『灰羽連盟』が元々示していた世界というのは、そもそも、「人は本来的に「孤独」であり、その立ち位置のまわりには暗黒の深淵があって、人は孤独に生まれ孤独に死んで行く」というものだった。この孤独と暗黒が、自己がどこから来たのかどこへ行くのか解らないということの闇を示していたはずだった。

2011-12-21 04:27:22
タト @Leethoo_Tat

孤独と本来性の不在のなかで、ある日、「ふと何かが分かって」、クウは過ぎ去りゆく者となった。その名の関連からしてもであるが、空(欠乏状態)であったコップが充満した時、彼は過ぎ去りゆく者となった。これは「開示真実」=〈グノーシス〉によるものに他ならない。

2011-12-21 04:35:11
タト @Leethoo_Tat

もう一度取り上げれば(1)人は言葉を理解を求めて発する[=人と人の間にシェキナーがある人](2)しかし言葉は理解されず、言葉を発することで自己が滅びへと向かう[=人と人の間にシェキナーがない人]だったが、孤独者イエスに見出されるのは真のシェキナーが宿っているのは寧ろ(2)の人だ。

2011-12-21 04:41:27
タト @Leethoo_Tat

ある日のふとした気づきによる欠乏状態の充満。孤独の自我にあって光が「神の王国」であり、人間は本来性を失って求めているという真理にあって、全ての人は「神の王国」によって救いがあるという展望、これがクウの描写には見出されていた。しかし『灰羽連盟』の物語はこの主題を終盤覆してしまった。

2011-12-21 04:49:32
タト @Leethoo_Tat

『灰羽連盟』が当初の主題を覆してしまったと見受けられるのは、クウのストーリーにおいて見事に描き出されていた(2)の人の姿勢が、後半はむしろ(1)の方に転化してしまっていた、つまり「人と人とが心を通い合わせる事」に主題が転化してしまっていたということである。

2011-12-21 05:17:08
タト @Leethoo_Tat

グノーシスから灰羽連盟につなげたところで寝ます。シオラン読者的にはどう思われたかは気になる所。ではでは。(@sugar_thought

2011-12-21 05:30:27
Takuya Watanabe @sugar_thought

わっ!ちょっ!wおはようございますww(@Lucifer_Gnosis

2011-12-21 12:21:08
タト @Leethoo_Tat

灰羽連盟の、物語のあの終わり方に対して高く評価する人は多いようだけども、グノーシス的に解釈すると、あの結末はクウの描写に比べて評価を低くせざるを得ない。

2011-12-21 18:14:32
タト @Leethoo_Tat

もちろん私はそれが悪い結末だとは言わないけれども。

2011-12-21 18:17:56