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@taketake_bon
ルーマンは政治・法・経済・科学などの諸機能システムが等価に存在しているというように考えたようだが、ネオリベラルな世の中においては、経済システムが、他のシステムを植民地化しつつあるようにも思える。生活世界の植民地化だけで無く、経済システムによる他のシステムの植民地化である。
@taketake_bon
グローバル化で何が問題かというと、法の正当性が落ちるという点にある。法的手続きのみが法の正当性の根拠だとするルーマンの法学説を正しいとすると、法の正当性は国民国家内で完結してしまいグローバル化した世界の事情に通用しなくなる。
@taketake_bon
ルーマン法学説の限界は法システムが国民国家を単位として閉鎖的事故言及システムをなしているとした点にある。これによると、基本権は各国民国家の法制度を根拠にしているわけだが、不法移民のような国民国家外のアクターに対しては、基本権がない事になってしまい、人権を守ることさえ困難になる。
@taketake_bon
グローバル化の進展とともにちらほらと、基本権を前法的な前提とする学説が見られるようになってきた。このような考え方が無いと、グローバルな問題に基本権を通じて解決を図ることができなくなってしまうからである。こうした問題に対応できるのが、ヘルドらのコスモポリタン民主制理論の強みである。
@taketake_bon
もっともルーマンは世界社会システムを早くから主張していたのであって、これによると、各国の法は隙間無く問題を解決できるか、世界に一つの実定法ができあがるという状況を考えざるを得ない。しかし、これが可能だとは思えないので、ルーマン法学説はグロ-バル化の前には限界を露呈する。
@taketake_bon
現在、国際法の分野に限らず、ほかの法分野でもソフト・ローという実定手続きを経ない立法の重要性が増している。素早い意思決定、時限的な規制、国境を越えた決めごとの必要性が増しているからだが、これは実定法自体の相対的な地位の低下を招かざるを得ない。そこで法の根拠の赤字は増すことになる。
@taketake_bon
法の設立過程はルーマンの場合、歴史的にはゼマンティークという形で説明されるのだろうが、私自身『社会構造とゼマンティーク』をよく理解できなかった。実定法がなぜ正しいのかという問題に答えるためには、もっとわかりやすくて力強い思想が必要な気がする。
@Hima_Nosato
それはシステム論を用いたルーマンの「意味論の整理」であって、語られた対象自体はルーマンに帰属すべき内容でもない気が致しますが。RT @taketake_bon: ルーマン法学説の限界は法システムが国民国家を単位として閉鎖的事故言及システムをなしているとした点にある。これによると
@taketake_bon
@Hima_Nosato 難しい点ですが、私はルーマンの理論よりも、現在の世界の文脈の中における実定法をより強く念頭に置いています。というのも、グローバル化が進展した時代よりもちょっとだけ早くルーマンが死んでしまったので、彼のまとまったグローバル化論が無いからなのです。
@Hima_Nosato
@taketake_bon なるほど。ご承知のとおりルーマンは過去言及の人で未来を語りません。それは彼の軸が「言及構造を発見的に整理する」という半認識論・半批評であるためで、つまり問いの設定自体が違うかなと感じたまでです。もちろんこれは仰る本題とは別の話題に過ぎませんゆえ。
@taketake_bon
経済システムによる法システム、政治システムの植民地化の事例としては、国際的大企業や国境お構いなしの投資家などが想起できる。これらから税金を徴収するのは至難のことだし、時として一国の金融政策を左右し、時にこれを乗り越えることさえ可能である。
@taketake_bon
移民は19世紀から多かったが、国家によって管理できた。しかし今の移民は不法移民や難民、などが増えてきたため、昔よりも法的保護や基本権を受けにくくなっている。グローバル化による法システム、政治システムの限界が、問題をややこしくしていることの事例であろう。
そして謎が明かされる....。
@taketake_bon
ルーマンの法理論についてツイートしてきたが、正直に言うと、私はまだ『社会の法』すら読んでいない。だから間違いも多く含まれていると思うので、ご批判、ご鞭撻を賜りたいところだと考えている。
@taketake_bon
ルーマン法理論がグローバリゼーションとの接続に失敗しているというよりも、そもそも実定法が国民国家という枠内でのみ正当化されるしかないという現実世界の限界の方が重要である。ルーマン法理論がグローバル化時代に耐えられないというよりもそもそも実定法がグローバル化に耐えられないのである。
後日談
@Hima_Nosato
ここに俺のメンションを入れてくれてるのは光栄なんだけど、もう1メンションしてるのを入れて欲しかったぜ┃@contractio作 小島剛先生による「ルーマン法学説の弱点」まとめ http://t.co/Qn6UYaNk
縮限 @contractio
@hima_nosato 追加しときました。ちなみに、「問いの設定自体が違う」って どういう意味ででしょう? http://t.co/uIPHIjY5
@Hima_Nosato
@contractio お手数かけましてありがとうございます。「問いの設定自体が違う」ですが・・・
@Hima_Nosato
@contractio ルーマン的には実定法の立法形式自体が、法システム上の合法/不法コードに書き込まれていることになるわけですが、移民や多国籍企業といった概念が既存実定法と有縁化(有縁後にそれは法による媒介=メディアと形容)され、それに伴い既存実定法の「限界」が言及されます。 
@Hima_Nosato
@contractio そして既存の立法形式自体が、膨大な学説と賛否両論(すなわちプログラム)を伴う形でコードの判定俎上に上ります。既存実定法の改変/維持のいずれのロジックもが、実定法に有縁なる情報としてプールされる。その「意味の巻き込み」の過程。
@Hima_Nosato
@contractio さて、この過程を整理的に論じることの目的は普遍理論志向に沿って言うなればオープンであるとも言えます。つまり事前には明示されない「発見」に委ねられているとも言える。いっぽう事象を整理することで「両手の荷物が片手に納まる」という利便性の述懐も可能でしょう。
@Hima_Nosato
@contractio しかし、そこまでだ、と思うわけです。ルーマンにとって法の正当性根拠とは、まずもって「これは首肯的な正当性根拠です」という言明に関わる自己言及的な更新の過程です。正当性根拠の新アイデア自体を練るのはルーマンではありません。
@Hima_Nosato
@contractio このルーマンスタンスから、あえてパフォーマティブな意図を読み取るなら、それは実定法の根拠など、首肯性と波及の事実性さえ獲得されれば問題解決なのであって、それを例えば既存実定法の枠組みから演繹的に導こうとすること等は、得策ではないやも、という点でしょうか。 
@Hima_Nosato
@contractio 演繹ではなく、強引な両立。メディアとは思いもよらぬものを巻き込むがゆえメディアと形容され得ます。長くなりましたが、そのような意図で申し上げました。
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コメント

縮限 @contractio 2011年12月29日
「後日談」として @Hima_Nosato さんのツイートを追加しました。
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