「キエフの聖オリガ:復讐の守護聖人」 「復讐は旧約聖書全体を通じて一貫して存在するテーマであるが、通常私たちは、宗教的な敬虔さを復讐と結びつけたりしない。確かに、一般には復讐を聖人と結びつけたりしない。キエフの聖オリガの生涯と経歴はやや特殊である。」 引用 x.com/fasc1nate/stat…
2024-03-17 07:45:32St Olga of Kyiv: The Patron Saint of Vengeance historydefined.net/st-olga-of-kyi…
2024-03-16 08:16:48「10世紀のキーウ・ルーシの王族であるこの人は、今日、東方正教会で聖人として崇められているが、彼女は、また復讐の守護聖人でもある。復讐心に燃えることが敬虔なことであるという尋常ならざる特質を、彼女は一体どのようにして獲得したのか。」
2024-03-18 17:46:30「キーウのオリガ」 「オリガは、ヴァイキングの末裔であり、10世紀の第一四半期のある時期、恐らく 920年頃だろうが、その頃、現代の北西ロシアのプスコフ辺りの地域で生まれたと信じられている。」
2024-03-18 17:49:21「彼女が生まれた頃、ヴァイキング、すなわちノルウェー(古代スカンジナビア)人たちが、半世紀にわたって、東ヨーロッパ地域に大挙して押し寄せていた。最初は、この地域の大河、ドニエプル川、ドン川、そしてヴォルガ川沿いに襲撃部隊を送り込み、その後、その地に定住して町や都市の礎を築いた。」
2024-03-18 17:58:14「これらの都市の一つが、現在のウクライナ、ドニエプル川沿いにあるキーウであった。キーウは、880年代にその基礎が築かれ、その後東ヨーロッパで強大な権力を行使するようになった。…」
2024-03-18 18:02:15「… 最終的に、ここのヴァイキングは、スウェーデン人を意味するフィンランド語の Ruotsi から、ルーシとして知られることになった。」
2024-03-18 18:03:13「それがどのような経路を経てそうなったのか、私たちには、正確なことはわからないが、935年頃、オリガは、キーウの支配者イーゴリ公と婚姻することになった。イーゴリ公は、912年から、その都市とその領土を支配管理していた。かくて、プスコフのオリガはキーウのオリガとなった。」
2024-03-18 18:06:30「イーゴリ公の統治と殺害」 「イーゴリ公は、彼の治世の間、キーウの実質的な拡大を画策していた。彼は、東ヨーロッパの重要な地域、北方へはノヴゴロド、現在のモスクワの南部へ、南東へは黒海やカスピ海へと支配を広げていた。」
2024-03-18 18:10:17「その過程で、キーウは、北東ヨーロッパで強大な勢力となった。記録文書は、その時代、幾分限られたものであり、私たちは、その創設から11世紀終わりまでのキーウ・ルーシの年代記である「原初年代記」の記述に頼らざるを得ない。」
2024-03-18 18:18:50「イーゴリ公が、ビザンチン帝国の首都コンスタンチノープルに何度か攻撃を仕掛けたことは、かなり明らかなことのように思える。ここは、中世、世界最大の都市の一つであり…」
2024-03-19 05:43:10「… キエフのノルウェー人支配者が、10世紀半ばまでに、どれほど強大になっていたかを示している。イーゴリがコンスタンチノープルを包囲し、そこの皇帝たちから貢物が得られるほどに。」
2024-03-19 05:51:48「943年、オリガは、イーゴリ公との一人息子スヴャトスラフを産む。しかし、イーゴリ公は、その直後、血塗られた死を迎える。945年、ウクライナの隣接するスラブ民族、デレヴリャーネ族に対して軍事作戦を行っている時に、彼は、捕えられ、拷問を受け殺害された。」
2024-03-19 05:55:25「キーウの新しい支配者は、デレヴリャーネ族の使者が到着した最初は、婚姻のことを考えているように見えたが、翌日、再び宮廷に呼びかけると、彼女は、彼らを運び去り、見ている前で生き埋めにした。」
2024-03-19 06:21:09「彼女の第一の目的は明らかだった。夫を殺害したデレヴリャーネ族に復讐をすること。公を殺害した後も反逆は止まず、キーウの地を侵略し、オリガに使者を送って来ては、彼らの支配者マル公と婚姻するよう言ってくるので、さらに一層怒っていた。」
2024-03-19 06:22:22「オリガの摂政政治 - デレヴリャーネ族への復讐」 「イーゴリ公の死で、オリガは息子スヴャトスラフのためにキーウの摂政となった。父親の死の時、わずか三歳であったので、成人するまで長い期間があり、オリガは、彼に代わって何年もの間キーウを統治することになる。」
2024-03-19 06:25:34「彼女の最初の目的は明らかだった。夫を殺害したデレヴリャーネ族に復讐をすること。公を殺害した後も反逆は止まず、キーウの地を侵略し、オリガに使者を送って来ては、彼らの支配者マル公と婚姻するよう言ってくるので、さらに一層怒っていた。」
2024-03-19 06:27:04「キーウの新しい支配者は、デレヴリャーネ族の使者が到着した時、最初は、婚姻のことを考えているように見えたが、翌日、再び使者が宮廷に呼びかけると、彼女は、彼らを運び去り、見ている前で生き埋めにした。」
2024-03-19 06:35:02「キーウとデレヴリャーネ族との戦いは続いた。この時期、原初年代記によると、オリガは、一連の嘘や騙しの行動をとり、狡賢いやり方でデレヴリャーネ族を騙し、尋常ならざる仕方で彼らを攻撃した。」
2024-03-19 06:40:12「例えば、原初年代記には、彼女がデレヴリャーネ族の定住地をどう攻撃したかが述べられている。一群の鳩を、それぞれの鳩に小さな硫黄と布を結え、放つ前に火を付けて村の上に解き放つ。」
2024-03-19 06:59:31「鳩は、これらのその場しのぎ的な爆弾をデレヴリャーネ族の家の上に落とし、家々を炎上させた。このようにして、デレヴリャーネ族へ復讐を果たす。…」
2024-03-19 07:03:25「… そして、彼らが遂に敗北すると、彼女は、生き残った者たちをすぐさま奴隷として売り払った。オリガが、復讐の評判をどのようにして得たか見るのは困難ではない。」
2024-03-19 07:09:29「キリスト教への改宗」 「もちろん、これには、オリガがどのようにして聖人として崇拝されるようになったのかと言う問いを起こさせる。これは、彼女の後半生とつながる。950年代初め、オリガは、夫が何度か包囲した都市コンスタンチノープルに旅をする。」
2024-03-19 07:12:47「しかし、オリガがここに来たのには、さまざまな理由があった。彼女は、皇帝コンスタンティノス7世の招待で訪れていた。そして、その訪問の途中でオリガはキリスト教に改心し、…」
2024-03-19 07:18:21「… 崇拝するよう育てられたノルウェーの多くの神々を放棄した。また、彼女はビザンチンの首都で洗礼を受け、キーウに戻って、彼女の民を改宗させる決心をした。」
2024-03-19 07:19:13