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はくえー(帝国巡察使) @tomoshibi6o6o
《北欧の歴史》《かく語りきは諸王のサガ》
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北欧に大神あり、オーディンという名のその神の系譜はスカンディナヴィアでやがて別れ、その地の王家となった。すなわち後のスウェーデン王国とノルウェー王国である。
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デンマーク・ヴァイキングはイングランド、イベリアを経て地中海のイタリア・トスカーナまで ノルウェー・ヴァイキングはスコットランドを経てイベリア、またはスカンディナヴィア半島北部を回ってロシア西部へ スウェーデン・ヴァイキングはノヴゴロドやキエフを経てコンスタンティノープルへ至った。
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補記:ノルマンディー公ロロの一派はセーヌ川を中心に荒らしまわったことからセーヌ・ヴァイキングと呼ばれ、デンマークあるいはノルウェー系であるとされる。
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北欧諸王国の中で、早くからまとまった王権を持ち始めたのはノルウェー王国であった。 ヴェストフォルのハルフダン黒髪王の子、「蓬髪のハーラル」が(沿岸部)ノルウェーを統一し、最初のノルウェー王ハーラル1世(美髪王)となったのである。 その在位は872年から930年頃と伝わる。 pic.twitter.com/W49C9ZCz4c
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ノルウェー内部への支配力はハーラル3世(苛烈王)の時代まで待たないといけないが、これが今日までのノルウェー王国の基礎となった。
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西暦900年代も終わりになると、スウェーデンと呼ばれることになる地にてビョルン老王の息子、エリクが王位に就いた。 エリク王は帰還してくるヴァイキングを滅ぼして、他のヴァイキング集団に格別の権力を示してスヴェーアランド全域に力を及ぼした。 彼は後に「エリク勝利王」と呼ばれた。 pic.twitter.com/BhsKcZdPUh
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デンマークではゴーム王が930年頃王位に就いた。彼は現在のユラン半島の西部一帯に支配権を及ぼして、史上初めて領域性をもったデンマーク国家を創設した。 彼は「寿命を人間にあたえられた限界まで引き伸ばした」がため、後世に「ゴーム老王」と呼ばれている。 pic.twitter.com/a86lz34wwW
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ゴーム老王の息子、ハーラル1世(986没)は「青歯王」と呼ばれた偉大な戦士であり、初のキリスト教王であった。洗礼を受け入れた初めてのデンマーク王である。 この頃ノルウェーのハーラル2世「灰衣王」が殺され、ハーラル1世「青歯王」は臣下を通じてノルウェーの支配を行った。 pic.twitter.com/kFBEtxcf35
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この頃ノルウェー王位は混乱にあった。 開祖ハーラル1世「美髪王」の死後、そのエイリークは他の兄弟を殺し即位。 これがエイリーク・ブラッドアクス(血斧王)である。 彼は妻が、ゴーム老王の娘であった。 結局は生き延びていた弟ホーコンによって国を終われ、ブリテンの地方王となって死んだ。 pic.twitter.com/s9thJ8BTIo
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新たに就いたホーコン1世「善王」は善い王だったが、彼もまた兄(エイリーク)の息子ハーラルによって追い落とされた。 こうして即位なったハーラル2世は、貧しい商人を哀れみマントを仕立てたことから「灰衣王」と呼ばれた。
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しかしこのハーラル2世が殺されたことで、ハーラル1世美髪王から続いた系譜が危うくなった。この前後に、前述のデンマークのハーラル1世青歯王が支配を試みた。 青歯王は支配に成功したが、ノルウェー臣下と軋轢を生じ、そのまま息子スヴェンと争って戦死してしまった。
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こうしてデンマーク王として即位なったのがスヴェン1世「双叉髭王」であり、同時に直接ノルウェー王を名乗った。 スヴェン1世はヴァイキング勢力を用いてスウェーデン領域の支配を試みたが、これを阻止したのが前述の「エリク勝利王」であった。 pic.twitter.com/CMYTrazj1S
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デンマーク本土から追われたスヴェン1世に追い打ちをかけるように、ノルウェーでは《ハーラル1世の曾孫》を名乗るオーラヴという男が現れた。 彼は奴隷として売られていた身分から成り上がってノヴゴロドで活躍し、祖国に帰還してそう名乗ったのである。そして「ノルウェー王オーラヴ1世」となった。 pic.twitter.com/UNdo45BC3d
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スヴェン1世はオーラヴ1世ととりあえず結んでおくことにして、994年にイングランドを攻撃した。
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この頃スウェーデン王はエリク勝利王に代わってその息子オーロフ「課税王」の時代であった。彼もまた受洗してキリスト教を受け入れたが、しかし決して死ぬまで異教の司祭としてもあり続けた。 今度はスヴェン1世はこのオーロフ王と結んで、オーラヴ1世を滅ぼしたのであった。 pic.twitter.com/ZWeOXuYSGt
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こうしてデンマーク=ノルウェーの王に返り咲いたスヴェン1世は、イングランドの支配を目論んだ。 この頃イングランドにはエセルレッド2世「無思慮王」がおり、彼はうっかり在イングランドのノルマン人を殺してしまったためにスヴェン王の怒りを買った。 pic.twitter.com/mt9xTtYYoY
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スヴェン1世は1003年から10年にわたって、全北欧世界から兵を募ってイングランド襲撃した。エセルレッド無思慮王はここでスヴェンの姉を殺すという無策を出てますます怒りを買い、術もなくなって亡命した。 ここにスヴェン1世はデンマーク=ノルウェー=イングランドを支配する三国の王となった。
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しかしスヴェン1世がまもなく死んで三王国の連合はわずか半年で終わり、デンマーク・ノルウェー・イングランド王位は別に継いだ。 デンマークはスヴェンの息子ハーラル2世が、ノルウェーは「ハーラル1世美髪王の玄孫」を名乗るオーラヴ2世「巨大王」が、イングランドにはエセルレッドが帰ってきた。
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しかし、スヴェン1世はもうひとりの息子“クヌーズ”にイングランドを約束していた。クヌーズはイングランドに攻め込み、エセルレッド2世は亡くなってその息子エドマンド「剛勇王」が防衛するもこれも7ヶ月で急死。 それにより名実ともにクヌーズが「イングランド王クヌート」となった。
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その2年後にはデンマーク王ハーラル2世が死に、クヌートは兄の王国を相続した。 この後ノルウェーでは、オーラヴ2世に対する不満が募っていた。急進的なキリスト教化を志向して軋轢を起こしていたのである。 とうとうノルウェー人はオーラヴ2世を追放し、クヌート王を自分たちの王にもした。 pic.twitter.com/vCqZuj8eGq
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ここにデンマーク・ノルウェー・イングランドの三王国による、俗に言う「北海帝国」が形成された。クヌートは後の世に「大王」と呼ばれる。 追放されたオーラヴ2世はスウェーデン王アーヌンド=ヤーコブ(オーロフ課税王の息子)と結んで復帰を目指すが敗れ、死んだ。
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恐ろしくも強大な北海帝国はクヌート大王の死と共に終わった。彼もまたその王国を分割したからである。 デンマーク=イングランドは息子ハーデクヌーズへ継がせたが、ノルウェー王はオーラヴ2世の息子マグヌス1世「善王」が継承した。 pic.twitter.com/8AaWtDlXeM
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しかし前途は多難で、ハーデクヌーズの庶兄ハーラルがイングランド王を僭称(ハロルド1世「兎足王」)し、兄と争う羽目になった。 やっと兄を滅ぼすことに成功したハーデクヌーズは、今度は自らが嫡子を残さず死んでしまった。 生前にノルウェー王マグヌス1世と「生き残ったほうが王国を継ぐ」という→
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約束を交わしていた、と当のマグヌス1世本人が主張し、デンマーク王も兼ねた。 イングランド王位はハーデクヌーズの異父兄エドワード「懺悔王」に渡った。
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