- miya_fox_may
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@biotit @anannymouse 例えば「ヨハネスブルグの天使たち」は内戦と先進国と読者をつなぐあたりの可視化の仕掛けがSFならではだなーと思うんですけど、これに対して「SFガジェットが出てるだけの普通の小説」という感想が出てくる。ソーシャル部分ガン無視かと。
2011-12-31 03:48:18@biotit 電子化によって供給者とユーザが直結できる環境になってるし、ユーザの組織化も可能なんで、インディ・ミュージックみたいに読者がパトロン化して支えていくようになるかもよ。少量でも成り立つ世界は書籍の外ではできてきているし。
2011-12-31 03:48:20@anannymouse @biotit そのへんのソーシャルな部分の組み替えが、SFではなく一般小説の手法として捉えられ、そこに否定的な評価がなされる。それってもったいないよなあと思うわけです。
2011-12-31 03:50:15社会派SFをどう書く/読むかというのは、社会の捉え方によっても違ってくるのだろうな。社会を合理的な個人の行動の集積ととるか、内部をブラックボックス化した構造と見てとるか。などなど。
2011-12-31 03:51:39@wishgm はー、社会無視っていわれるとなんか今の風潮が分かるような気がする。ひとことでいえばオタクの世界観か。
2011-12-31 03:52:11@wishgm @biotit @anannymouse その点反論させてもらうと、ソーシャルな部分は学問でやってるものの方がSFよりも面白いので、読む時にSFの快楽として認識してないのじゃないかと、法学徒としては思うのですよ。
2011-12-31 03:58:57@clementia1960 それが成り立つとすれば、工学だって理学だって「学問のほうがSFよりもおもしろい」になってしまうわけで、あえて小説の形でやる意味がなくなりますわな。
2011-12-31 04:03:45@clementia1960 @wishgm @biotit それはもちろんそういう人はそれでいいんですけど、代替物で理解する(しようとする)層もいるので(含わたし)、価値はあると思いますよ。科学の専門家じゃない人がSFを楽しむように。
2011-12-31 04:04:38@wishgm うーん。とすると自分は頑固な専門馬鹿ということなのでしょうか。攻殻とか虐殺とかスターリングは好きなので、自分の中でも「ヨハネス~」のどこが足りないのか段々分からなくなってきました。前提条件をどう変更したかを上手く提示してあればフィクションとして楽しめるんですかね?
2011-12-31 04:10:52とはいえ同じ法学徒でも、「SFは社会を魅力的に描けるジャンルだ」といったことを言っていた蕎麦さんのような人もいる。あの人に「ヨハネスブルグの天使たち」を読ましてみれば何か動くのだろうか。
2011-12-31 04:11:37@clementia1960 そこは私もいしがめさんと同意見かな;専門については目が肥えて厳しくなるだけでは。現実のほうが常にフィクションより上回る、という信念があるなら止めはしませんし、そこが引っかかって「小説」を読まない人は世の中に少なくないでしょう。
2011-12-31 04:12:08@anannymouse ですよね。あんなギャングかミュージシャンのような身なりをしていながらも。そうすると、『都市と都市』を期待して読んでみたいです。
2011-12-31 04:15:24SFの手法で個人を扱う(自意識とか生命の定義とか)→おk、世界を扱う(宇宙論とかテラフォーミングとか)→おk。なら、社会を扱ってもいいでしょう、と。その上で個別作品についてダメ出しをするなら、それは「SFではない」ではなくて「SFだけどここがダメ」という言い方になるでしょう。
2011-12-31 04:17:47@clementia1960 じっさい蕎麦さんの伊藤Pトリビュート作品は、知識や学問への興味が細かいガジェットに活かされてるところがいいと思いました。そういうアイディアをなめらかに作中に出せてるし。
2011-12-31 04:18:39