誰も住まなくなり地図から消えることもある「廃村」は切ない
「地図から消えても記憶だけは」 全国の廃村1千カ所回り見えたこと asahi.com/articles/ASS4V… さいたま市の浅原昭生さん(62)が、集落から人のいなくなった「廃村」と出会ったのは、約40年前のことだった。廃村に魅せられ、訪れた場所は全国で1千カ所を超えた…
2024-04-27 17:00:00令和6年4月下旬、鳥取県の廃村旅。 平家の落人伝説がある三朝町中津、昭和30年には34戸の暮らしがあったという。 いま霧の中、集落を歩くと、数戸の無住家屋が見られたが、 人やクルマの気配はない。 風も鳥の声もなく、集落は静まり返っていた。 #廃村 #三朝町中津 pic.twitter.com/vVAxtLHKD3
2024-04-29 07:15:28令和6年4月中旬、静岡県の廃村旅。 浜松市天竜区 久根鉱山、大久根小学校跡では、すべり台付きのジャングルジムが見られた。 傾き方を考えると、一度撤去しようとしたが、残すことになったようになった感じがする。 探索者としては、残っていて本当によかった。 #久根鉱山 #大久根小学校跡 pic.twitter.com/4QBMNk7M3R
2024-04-24 07:20:08令和6年4月中旬、静岡県の廃村旅。 静岡県森町 廃村の廃校 天方小学校嵯塚分校跡は、中塚-佐賀野間の山頂付近にあり、 山道を歩かないと行くことができない。 私は12年ぶりに訪ねたが、階段、門柱、校舎とひと通り残っており、 その趣は12年前と変わっていなかった。 #廃村 #廃村旅 #中塚 pic.twitter.com/BKZrz9wv5X
2024-04-26 07:22:43令和6年4月中旬、静岡県の廃村旅。 静岡県掛川市 農山村の廃村 明ヶ島(みょうがしま)は 太田川水系吉川支流沿い、行き止まりの市道が通じる山間にある。 明ヶ島分校跡には、キャンプ場の施設ができている。 天気の良い週末、キャンプ場には賑わいがあった。 #明ヶ島 #明ヶ島分校跡 pic.twitter.com/hqwkZ5Wxcj
2024-04-25 07:20:15石川県小松市津江は、昭和37年離村。 歩道入口から崩落現場を経て集落跡に建つ軍人記念碑まで0.4㎞、15分歩きました。 愛媛県西条市今宮は、昭和59年離村。 土砂崩れ発生現場は集落跡の始まりにほど近く、 林道から歩道に入ると、石鎚参拝の旅籠跡家屋が迎えてくれました。 #廃村 #津江 #今宮 pic.twitter.com/Uxn8ylBlHs
2024-04-15 07:22:16山形県南陽市外沢(よそざわ)は、昭和57年頃離村。 訪問は令和5年10月下旬、1㎞、20分歩いた集落跡では草ヒロが迎えてくれました。 広島市安佐南区丹原(たんばら)は、昭和50年離村。 訪問は令和6年1月中旬、1.2㎞、25分歩いた集落跡では「丹原の跡」碑が迎えてくれました。 #廃村 #外沢 #丹原 pic.twitter.com/3H3TgCz2Oi
2024-04-14 08:12:57高知県北川村竹屋敷(たけやしき)の離村時期は平成29年(新聞記事)。 令和2年1月の初訪時、平成離村から3年にして集落跡は顧みられることはなく、朽ちるにまかせる状態になっていました。 3年後の再訪時、元住民の方から「移転先は大阪など遠方が多い」とうかがいました。 #廃村 #無住集落 pic.twitter.com/SIYTIR9Mc3
2024-04-11 06:58:59廃村専門家。Team HEYANEKO代表。大阪出身、埼玉在住。東京の公益法人勤務。 北海道から沖縄まで、各地の廃校廃村をくまなく時には複数回訪問し、「廃村界」の極みを目指す。 近著『住まなくなっても守りたい』(秋田文化出版刊、2024) amazon.co.jp/dp/4870226154/
日本には、沢山の廃集落がある。 かつては人々の生活があった。そして、離れざるを得なかった理由があった。 往時を偲ぶと胸が苦しくなる。 pic.twitter.com/4hQ9YXp2VI
2024-04-29 07:08:22昭和44年に人口0になった集落。 pic.twitter.com/oS2mipn6wz
2024-04-28 12:09:11奈良県の山奥に存在した廃集落。 かつては、小学校も存在していた大きな集落だった。 hitoritabikenkyu.com/nakatugawa/
2024-04-28 14:06:04いつぞやの野迫川村中津川集落跡 廃村になって55年が経つのか pic.twitter.com/0eVTLB5pUp
2024-04-28 17:39:48