「敵に関する報告書」の読解の足しにでも

拙作「敵に関する報告書」(同人誌『PLAYBOX vol.2』収録)の読解のための発言をまとめたもの。半分は冗句でもあります。
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@mado_m

「敵に関する報告書」関連作。『ボヴァリー夫人』(フローベール)、『それから』(漱石)、『ファーゴ』(コーエン兄弟)、『マルホランド・ドライブ』『エレファント・マン』(デヴィッド・リンチ)、『戦争の法』『小説のストラテジー』(佐藤亜紀)、『敵』(筒井康隆)、「高橋邦子」(ニコ動)。

2010-05-19 22:24:24
@mado_m

分かりやすいのは『ボヴァリー夫人』、『それから』、『エレファント・マン』、「高橋邦子」(これは知らないと無理だが)。「引用」してるのは『ファーゴ』です。後半一箇所、誤字脱字ではないレベルで変な部分がありますが、それはここから。『ロリータ』のハンバートの「操作」を思い浮かべれば。

2010-05-19 22:27:21
@mado_m

地味にこの作品に致命的な部分があるとすれば、私が『ロリータ』を読んでいなかったことでしょうな。

2010-05-19 22:28:25
@mado_m

ついでに言えば高橋邦子を入れることで2007年に書かれたはずのテクストに2009年のものが混ざり込んでいることとなり、「あれ?」となることを当時の私は考えていたらしい。「敵」(某新人賞に送った)のデータベース操作によって生まれた「敵に関する報告書」だが、すごく奇形になった。

2010-05-19 22:40:48
@mado_m

酔ってるついでに全部ぶっちゃけると、せがわさんの小説のレビューで書いたことを私はたぶんに意識して「敵に関する報告書」を書いてます。あそこで古代の地層に眠るテクストが現在に現れたとき、どのように変容するのか(変容させられてしまうのか)。サーガ的にはすぐあとに「戦争」があります。

2010-05-19 22:43:48
@mado_m

(2007年の出来事を描いた)「岸間戦争」という100枚ほどの小説はすでにあり、制作中の『FRAGMENT』でも100枚ばかりの挿話が一つあります。ただ自立的にこのテクストはあるので、裏設定に過ぎない。「私」は2009年において書いたわけではない。

2010-05-19 22:49:25
@mado_m

「私」は2007年、「岸間戦争」の前に報告書を書き、(おそらく直後に)死にます。どちらにしても戦火を逃れることは難しいので、死んだでしょう。外部に漏れることのないようにと祈ったテクストは、ここに存在する時点で、どうやら漏れてしまったらしい。それはおそらく「戦争」の所為でしょうな。

2010-05-19 22:51:00
@mado_m

「戦争」の後に発見されたテクスト(極秘文書的だったかもしれない)は、いかなる改変を受けたのか。「一、導入」自体がすでに「私」が書いたわけではないものかもしれない。いや、そもそも「(2007年)」と書かれているのは何故だ?少なくとも操作の跡は見て取れるわけです。2009年の刻印が。

2010-05-19 22:54:34
@mado_m

結構、私の中で謎なのは、なぜ「A-1」が存在しないのか、ということ。これによって「私」が今書き、今読まれるという状況を擬似的に作り上げているといえばそうだが、はたしてそうなのか。それは偽装されているのではないのか。だって直せばいいだけで、余計な文章はいらないのだから。

2010-05-19 22:59:49
@mado_m

結局のところ「フィクションとは何なのか」程度のことを考えていかないと「私」は(おそらく「私」ではない何者かが「私」の中に入ってきている)読み手を欺き続けるだろう。『れろれろ』(http://j.mp/a1ersE)でもそれは同様です。

2010-05-19 23:03:55
@mado_m

『れろれろ』は、「三、れろれろ(嘘)」によって、分かりやすくなっている作品。『PEAK-A-BOO』は「敵」-「敵に関する報告書」に先駆するデータベース操作の作品で、非常に露骨にそれを行っているのだが、思えばこれも「戦争」、正確には戦後の話です。少女も登場します。

2010-05-19 23:11:22
@mado_m

石田友、中沢さんの読みは非常に正確で、恐縮でありますなあ。

2010-05-19 23:15:26
@mado_m

一介の死者に過ぎないところですが、私の読みとしては「敵」の解説として「敵に関する報告書」はあります。「敵」は全20章の掌編で成り立っており、各章ごとに語り手、出来事も異なります。そのフラグメンタルな語りの設定の統合体(を目指そうとしたもの)が、「報告書」における「私」です。

2010-05-19 23:20:45
@mado_m

そして「フラクタル」でもある語りは、リアリズムの不成立を前提として語っていき、あることを語れない不可能性を20人(まあ正確には違うんですが)に分散させている。「敵」は増殖可能なテクストで、別に100章あってもいいし、「事実」100章分、すでに現前しているのです。

2010-05-19 23:22:41
@mado_m

「敵」にせよ「報告書」にせよ、それだけ言葉を尽くしても「敵」それ自体が登場しない点は注目すべきでしょう。これは露骨すぎて直接には言及しませんが、語りの不可能性にある種、それがすべて現れてます。「敵」「報告書」において、「敵とは何か」を考える意味は、あまりない。剥奪されています。

2010-05-19 23:26:30